その時、青年は眼下に広がる光景を見ていた。
 彼の目に映るのは、高い山に挟まれた豊かな渓谷と森と穀倉地帯を有する小国、クレストフォーリアの城下町。
 クレストフォーリア元々は隣国であるアラルド帝国の一地方だったが、300年ほど前に当時の皇帝の圧制に民衆が蜂起し、独立を成し遂げ国を興した。
 たかが一地方でしか過ぎなかったこの場所が独立を勝ち取った要因はいくつかある。
 攻撃的な帝国と国境を接することを嫌った近隣の国の援助があったこと。
 度を越した皇帝の浪費と度重なる戦費によって帝国の国庫が十全ではなかったこと。
 それに伴い帝国の内部が纏まらずにいたこと。
 そして……クレストフォーリアには『鳥』の存在があったこと。

『鳥』とはクレストフォーリアの王族を指す隠語だ。
『鳥が歌いその声が大地に響く時、全ての緑は鳥を祝福する』と言われる通り、クレストフォーリアの王族は植物の成長を促す異能の力を有している。
 元々は帝国が時折生まれる異能者を集めて極秘に研究――その中には非道な人体実験が数多く含まれた――を重ね、自国に有利な能力者を生み出す過程で生まれた存在の1人だった。
 自然に出生した微かな力しか持たない異能者と違い、実験によって強化された力を持つ実験体たちは後にその能力ゆえに危険視されるようになり、ある事件をきっかけに明るみに出た研究内容を揉み消すために大多数は処分――処刑されたが、その中の1人は生き残りクレストフォーリアに逃げ延びた。
 彼の者が歌えば雪がちらつく真冬であろうとクレストフォーリアは兵糧に困ることなく前線を維持することができた。
 いくら帝国が巨大な軍を有していようとも、その軍で働くのはあくまで人間であり、人間である以上は食べなければいずれ動けなくなる。
 ましてや乾燥が著しい荒野が大部分を占める帝国にとってクレストフォーリアは欠かせない食料庫だった。
 その食料庫自体が帝国に歯向かっている上に財政難では、戦いが長引くほどに満足に兵糧を賄えるわけもない。
 かくて帝国はクレストフォーリアとの停戦――終戦ではない――を結ぶことを決め、豊かな領土を手放すしかなくなった。
 その後帝国はその威光を弱めていき、現在では最盛期の半分ほどまで領土を削られてしまっている。
 帝国にとってそのきっかけになったクレストフォーリアは憎悪の対象であり、屈辱の軌跡であり、いずれ取り戻すべき場所だった。
 クレストフォーリアにとっても帝国は憎悪の対象であり、屈辱の軌跡であり、油断ならない相手だった。

 停戦を結んで後、クレストフォーリアの王族・貴族が帝国を訪れたという公式記録はない。
 その逆もまた然りで、明確にはされていないが互いの国である一定以上の身分の者には入国制限が掛けられるというのが慣例になっている。
 その場所に自分がいることの皮肉を彼が考えていると、静かに近づいてくる気配に軽く半身をそちらに向けた。
「鳥籠の用意が整いました」
 直立不動の体勢であらかじめ決められていた暗号を口にする部下に軽く頷いて、再び視線を少し離れた場所に佇む美しい城に向けた。
『屈辱の汚名は雪がなくてはならない』
『彼の地は我々のもの、盗人から取り返さなくてはならない』
 凝り固まった憎しみと嫌悪を滲ませてそう口々に訴えていた帝国の上層部の顔触れを、彼は白けた気持ちで思い出していた。
 自分の生まれる遥か昔に起こった出来事に対する負の感情も、命じられたことに対する感慨も彼は持てなかった。
 ただ多少の面倒に感じる気持ちを押し殺しながら、忠実に確実に命じられたことをやり遂げるだけ。
 自分に対してその確認をしてから視線を城より引き剥がし、いつの間にかすぐ傍に集まっていた部下たちに向けて淡々と宣言した。
「――これより作戦行動を開始する」

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鳥籠 - 序章

閲覧数:241

投稿日:2014/01/13 23:27:42

文字数:1,592文字

カテゴリ:小説

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