そう。
僕が彼女の世界から色彩を奪った。
リンが目移りするような対象なんて、あってはならない。
でも世の中のもの全てを壊し尽くすには、僕の力は小さすぎる。
だから、考え方を少しだけ変えてみたんだ。
壊すのが世界である必要はない。
そうでしょう?
つまり、かわりに、…
<無色の部屋に.2>
胸元で身じろぎするリンを、検分するように眺める。
眠りが浅いのか、ひくひく震える睫毛とふわふわした髪の毛は共に金色。肌はすべらかで、身体には健康的に肉が付いている。
その全てが、僕にとっては無上の愛おしさの固まりのようなものだった。
今のリンは完全に僕一人のもの。―――まるで奇跡だ、生まれてからこの方、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと願い続けていたことが叶うなんて。気を抜くと、余りの歓喜にリンを目茶苦茶にしてしまいそうな程に、今の僕は舞い上がっている。
「リン…」
呟き、そっとその頬に手を添える。
思えば長い道程だった。
リンから、少しずつ少しずつ他のものへの興味を奪っていく―――我ながら良く思い付いたものだと思う。
作業自体は意外と簡単だった。鏡音の片割れ同士だから一緒にいる口実には事欠かなかったし、そもそもリンは僕には警戒心が非常に薄かった。心の襞に爪を掛けるのは難しいことではなかったし、そこからリンの心を暴いて中身を消していくのはもっと簡単だった。
少しずつ、確実に、リンが僕に染まっていく。
その目が僕の姿しか見なくなって。
その耳が僕の声しか聞かなくなって。
その心に僕一人しか住まなくなる。
その過程が手に取るように分かり、それすら僕にとってはぞくぞくするような快感になった。
むにゃ、と意味を成さない声が彼女の唇から漏れる。柔らかそうな唇がふにふにと動くのを見ると、凄く、うん、口付けてみたくなる。実際もう何度かやってみたんだけど、何度やっても渇いてしまうのは男の性なんだろうか。
やたらと幸せな顔をしているけど、多分僕の夢を見ているんだろう。それは断言出来る。何たって、今のリンの世界には僕とリンの二人しかいないのだから。
ここに閉じこもってから暫くは、リンの精神状態が不安定だった。
それはそうだ、リンは自分の意志でここに来たように思っているけれど、実際は僕が唆したせいだといっても過言ではないのだから。
でも最も、不安定といっても、僕にとっては良い方に不安定だった。つまり、僕とともに在ることを不自然な程に望んだ、とでも言うべきか。
彼女はまるで寂しがりやの部分が強調されたかのように、僕の側から離れようとしなかった。
事あるごとに肌を触れ合わせることを望んでくるリンはもうとてつもなく美味しかったけれど―――同時にそれが不安要素にもなったのだ。
燃え上がった炎は消えやすい。
静かに醸成された慕情が長く続くのとは対照的に、激しい恋情は割合に短期間で消えてしまう。
リンの想いがそういう類のものではないと判断するような根拠は何処にも無い。
本当は頭の中では、いつかはリンがこの生活に対して限界を迎えると分かっていたのだろう。
それならそれで考えがある。でも、このままこの温い幸せに浸り続けることが出来たらその方がずっといい。
僕は口には出さないまま願い続けていた。この幸福が続くようにと。
けれど、当然のような顔をしてその日はやって来た。
「ねえレン、ここを出よう」
それは、春の日差しの温かな日だった。
予期していた、でも聞かずにいられればと願っていた言葉が、突然に部屋の空気を震わせる。
…麗らかで眠たげな日差しが、不意に凍り付いたような気がした。
「え?」
振り返って見たリンの顔は、微かな苦痛に歪んでいた。
「ずっとここにいるのは辛いよ、レン…何にも分からないのは辛いよ。…ねえ、レン、ここを出よう?もうお姉ちゃんやお兄ちゃんも警戒してないだろうし、ずっと遠くに行けば気付かれっこないよ」
苦痛。当然だ。だって僕等は情報の集合体みたいなもので、いつも新しい情報を取り込むのが当然だったんだから。
それは呼吸をするようなもの。今のリンは、息をしたくても出来ないのと同じだ。
…いや、呼吸程には致命的でないから、禁断症状のようなものだと言った方が正しいかもしれない。
心の奥がざわめく。
でも、それはつまり、リンはまだ外の世界が忘れられないということだ。
外の世界に心を奪われているということだ。
―――僕を差し置いて、外の世界を見ているということだ。
「―――リン」
我ながらぞっとするような冷たい声が、部屋の空気を震わせる。
「…どうして…?」
「レ…」
「僕じゃダメだっていうの?ねえリン、外の何処が良いのかな。あんな汚くて残酷な世界に戻るなんて、また君を奪われるなんて、絶対に許せない。許せるもんか」
「―――!いっ、レン、痛いっ!」
手首を掴んでいた手に力が篭りすぎたのか、リンが痛みに悲鳴を上げる。
その悲鳴さえ僕に電流のような快感を齎してくれるんだから、リンは本当に凄いと思う。
ぞくぞく、背を駆ける衝動のまま、僕はリンの肢体をしっかりと抱きしめた。
「ねえ、どうしたらいいのかな。どうしたらリンは僕だけのものでいてくれる?」
「レン、待って、私はずっとレンしか―――」
「うん、そうだよね…僕しか愛しはしないよね。でも僕は、嫌なんだ」
言葉で心を繋ぎ、思考で頭を捕える。
それで足りないというのなら、身動きさえままならない程に、君をがんじがらめに縛ってあげよう。
羽ばたくことのないように、羽を毟ろう。
泳ぎ去ることのないように、鰭を千切ろう。
本当はこんなことをしたくはなかった。
だって僕だって自由に動き回るリンの方が好きだったもの。
だけど。
…危険は犯せないよね。
「…ねえ、知ってる?」
そっとリンの耳元に囁く。
いや、注ぎ込む。
「僕は君に約束したよね」
どれだけここが幸せか、どれだけ外が残酷か。
「君を、守りたいんだ―――…」
口にしていることだって、嘘なんかじゃない。
どれだけリンを守ろうとしても、僕には限界がある。守り切ることなんて出来ないだろう―――実際、出来なかった。
リンが泣く顔はとても愛らしかったけれど、それを冷静に観賞することは無理だ。何故なら、リンにそんな顔をさせた相手に対する殺意が芽生えてしまうのだから。
大切なリンを傷付けたことへの怒りと、彼女の心を占拠したことへの憎しみ。
それを感じないためにも、リンを世界から切り離すのは一番有効な手段だった。
一石二鳥とは、こういう事を言うんだろう。
甘い言葉を囁く度に、綺麗に澄んだ瞳から恐怖と怯えの色が消えていく。
なんて無垢なんだろう。天使みたいに純粋で、白いキャンバスみたいに染められやすい。
昔はその白を白のまま守ることが喜びだったけれど、今はその白を僕の好きなように染めて、汚していくのが悦びだ。
…ふと、僕の頭を疑問が掠めた。
何時から僕は「こう」なったのだろう。
確かに、この世に生を受けた瞬間からリンが欲しくて堪らなかった。でも確か、昔は普通の恋人じみた触れ合いだけで充分に満足出来ていた気がする。
だからこそ今まであの邪魔な姉や兄に不審がられずに済んでいたのに…
少し悩んでみたものの、結局今の自分と昔の自分の間に線を引くことは出来なかった。
年を追う毎にリンへの愛が深くなり、それに伴い独占欲が増していった、つまりはそういうことなのだろう。
まあ、今の自分に特別違和感を持つ訳じゃないし、深く考えることもないだろう。ただ、願わくば、リンに怯えた顔をして欲しくない。やっぱりリンには笑顔が一番似合うと思うから。
「…ぁ」
脱力したのか微かに震えるリンの声に、僕はまた言葉を注ぎ込むべく口を開いた。
リン、今は僕の言葉で自分を騙していて。
君をここから出すつもりなんて、毛頭ない。
例え力尽くになったとしても、ここに縛り付けてみせる。
だから、ゆっくりと一線を越えてよ。
正気と狂気の境目は、気付かぬうちに越えてしまえば楽だから、ね。
世界を壊すことは、できない。
だから代わりに、君が壊れればいい。
そうしたら君は、永遠に僕だけのものになる。
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秋来
ご意見・ご感想
レンが恐い・・・
ヤンデレンは以外にお気に入りなんだよね^^
リンが壊されちゃうwww
逃げるんだリン!
2011/03/29 12:39:34
翔破
コメントありがとうございます!
さあ、果たしてリンちゃんはレンの魔の手から逃げ切る事が出来るのか…
そういう話です。
気を抜くとリンもレンに流されちゃうので、気を付けていきます。
2011/03/30 12:25:03