UV-WARS
第二部「初音ミク」
第一章「ハジメテのオト」

 その26「逆襲のテト」

 話は数分前に戻る。
 テッドの家の前から出た男たちを乗せた車は、夕闇の中、人家もない畑ばかりの景色をバックに走っていた。
 助手席で、イヤホンを嵌めていた男は不意にイヤホンをはずした。
「途切れました」
「どういうことだ。盗聴器が見つけられたのか」
「いえ。あの家に地下室があったようです。そこに潜りこまれたようで、音が拾えなくなりました」
「そんな情報、聞いてないぞ」
「条件書や見取り図にも書いてありませんから、我々の落ち度じゃないですよ」
「しかし、モニターされてた訳だし、外から見える範囲のライフラインはすべて切ったと言っても、こちらの注意不足にされてしまいそうですね」
「しかも、次回からはガードが固くなってますでしょうからね」
「ただ、…」
「『ただ』、なんだ?」
「帰ってきた男が、『みく』という呼称以外に、『みんな』と呼びかけていましたから、…」
「情報の提供者と、例の妖怪は市内の病院にいるということですから…」
「2体以上の素材がある、ということか」
「『みんな』というからには、4体以上でしょう」
「1体しか、見当たりませんでしたが…」
「地下室にあるんだろう」
 もう一人の男が「うーん」と唸った。
「もう一度あの家にもぐりこむ必要がありますね」
「あの家は、リフォームかリペアされるでしょうから、業者になって潜り込みますか」
「どうして、あの家が、リフォームされると判った?」
 リーダー格の男がしらじらしく聞いてきた。
「きっと泥棒に入られたんじゃないですか」
 もう一人の男もしらじらしく答えた。
「ぷっ」
 車を運転している男は込みあげる笑いを堪えられなかった。一瞬だけ、目を閉じた。再び目を開けた時、すぐ目の前の道路の上、ヘッドライトが照らす中に女性が立っていた。
 車のスピードメーターは、70キロを指していた。運転している男は慌ててブレーキを踏みかけた。
「止まるな! そのままだ!」
 後ろの席のリーダー格の男がそう指示した。
 過去にも似たような経験が運転している男にはあった。そのときは、逃走途中で道路を横断している老婆だったが、今度のは比較的若い女性だった。
 ブレーキを踏みかけた足がアクセルに戻ったとき、運転している男は女性の顔に見覚えがあるような気がした。
 しかし、今は車が女性に衝突する直前の刹那だった。
 男は、はねられた女性がボンネットの上で弾んで道路の脇に落ちるのを想像した。
 次の瞬間、車は女性ではなく、見えない壁に衝突した。
 落雷のような音が響いた。
 車の前方は一瞬でひしゃげた。車の勢いはそのまま前方を支点にして車体を逆立ちさせた。
 見えない壁にぶつかった車は、全ての窓ガラスを粉砕し、天井を潰し、逆立ちから元の状態にもどって、地面でバウンドした。
 すき間から、車の中はエアバッグが膨らんでいるのが分かった。
 車の揺れが収まり、エンジンも止まったようだった。タイヤがパンクしたのか、エアコンのガスが漏れているのか、シューと気体の噴き出す音がしていた。
 音が収まっても、車の中に動きはなかった。
 女性が歩き出し、はいているミュールの硬い底がカツカツと乾いた音を立てた。
 歩き出した女性は、テトだった。
「キミ達は実に莫迦だなあ。歩行者が道路にいたら、普通、速度を落とすものだろうに」
 テトの声はよく通る声だったが、反応はなかった。
「寝たフリかい、小牧さん、犬山さん、岩倉さん?」
 やはり、反応はなかったが、空気が一変した。
「みなさん、フランスで訓練を受けただけあって、こういう荒事にも慣れてらっしゃるようで安心しましたわ。やはり、…」
 テトの声が終わらないうちに、運転席から銃声がした。
 エアバッグの袋を破って、銃弾がテトに向かって飛んだ。
 それを予期していたかのように、テトは首を少しだけ傾けて、涼しい顔でかわした。
「獲物は活きのいいほど、おいしい…」
 今度は、マシンガンのような連続した発砲音が響いた。
 エアバッグの袋を水平に切り裂くように銃弾が飛び出し、テトに襲いかかった。
 それもまた予期していたかのように、テトは大きく飛び上がってかわした。
 着地した時、ミュールの靴底が乾いた音を立てた。
「ものですから」
 再び、車の中は沈黙した。
「そうそう。うちの研究所が開発中のものに、コンタクトレンズ型の、赤外線スコープがありまして、今、わたしが装着しているのが、そう」
 テトは赤い瞳を指差した。
「だから、車の中であなたたちがなにをしようとしているのか、実は筒抜けなんですのよ」
 その言葉を合図に、三人の男たちは雄たけびを上げながら、一斉に車から飛び出してきた。
 三人はそれぞれ自動小銃のようなものを手に持っていた。
 運転席、助手席、後部座席の反対側、それぞれから飛び出した男たちは、テトを見て一瞬凍りついた。テトの姿があまりにも軽装だったからだ。
 タンクトップの上に、サマーベストと呼ぶのか薄い布を羽織り、ショートパンツをはき、裸足でミュールを履いていたのだ。いかにも、なにも武器は持っていないように見えた。
 リーダー格の男には却ってそれが不気味に映った。
 そして、街灯の明かりでテトの顔を確認した。
「よ、妖怪…」
「え、こいつが?」
「こんな、女子高生みたいなやつが?」
「それより、病院にいるはずじゃ…」
 運転席にいた男は、目の前のテトがただの家出娘にしか見えなかった。
「畜生!」
 男は、銃を腰だめに構えなおした。
 しかし、男が引き金を引くよりも速く、テトの指が銃口を塞いだ。
 男が引き金を引くのをためらった瞬間、テトの拳が男の胸の真ん中に突き刺さった。
「ぅごっ!」
 男が銃から手を離した次の瞬間、テトは銃をつかんで男の口の中に叩き込んだ。
 鈍い骨の折れる音と男の意味不明な叫びが混じった。
 男は頭を車の角で打ち、気を失った。
 助手席の男は、引き金を引いた。しかし、次の瞬間、テトの姿は視界から消えていた。
「残念でした」
 テトはいつの間にか、男の背後に立っていた。
「そ、そんな…。速すぎる」
 テトは男の首を背後から締めあげた。
「うわっ」
 男は抵抗する間もなく、意識を失った。
 テトが手を離したとき、男は地面の上に崩れ落ちた。
 テトは残ったリーダー格の男の方を振り返った。
 テトと目があった瞬間、男は銃を放り投げた。
 そして、後退りして、男は地面にひざまづき、両手を放り投げるように、土下座をした。
「ど、どうか、命だけは、取らないで、ください」
 テトはつかつかと歩み寄った。
「あなた、小牧さんだっけ?」
 男の体がぴくっと動いた。
「あなた、自分が何をしたのか分かってるの?」
 男の体がかすかに震え始めた。
「ど、どうか、命だけは…」
 テトはふんと鼻を鳴らした。
「盗聴はまだ許せるけど、…」
 テトは男が放り投げた銃を拾った。そして、銃身をつかんで銃把の角で男の頭を軽く叩いた。
「あなたは、わたしの、大事な人を、傷つけた」
 その言葉に、男の体が最大級にびくっと震えた。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
 終始平身低頭を続ける男の姿に、テトは閉口した。
「あなたを八つ裂きにしてやりたいところだけど…」
 テトは少し力を込めて銃把で、男の頭を叩いた。
「いいわ。許してあげる」
 男は顔を伏せたまま、ほっと息を吐いた。
「ただし」
 テトの強い口調に男はぴくっと体を震わせた。
 テトは銃を持ちなおすと、男の手の上に置いた。
「それで、自分の足を撃ちなさい。それで許してあげる」
 男は左手の上に乗った銃を右手で持つと、目の前にテトが立っているのを確認して、銃口をテトに向けた。
 そのまま引き金を引いてもよかったが、男の勘が働いて指が動かなかった。
 男は次第に目の前のテトに静かな気迫を感じた。銃を向けられてもテトは微動だにせず男の顔をじっと見つめていた。
 男にはテトの表情が全く読めなかった。
 男の向けた銃口からテトまでは1メートルほどだった。
 男は立ち上がって銃口をテトの胸に突き付けた。
 それでもテトの表情は変わらなかった。無気味な程に静かで、全てを超越したかのように泰然としていた。
「小牧さん、あなたの会社、インターネッコ社って言うんでしょ? 情報の入手のためならどんなこともするんでしょ?」
「どうして、それを…」
「あなたは、わたしたちを甘く見すぎているわ。『妖怪』なんて変なあだ名はやめてほしいけど」
 テトが笑顔を作った。話の流れから場の雰囲気を和らげようとしているように見えたが、それさえ疑いたくなるほど、テトの表情は読めなかった。
 男は銃口をさらにテトに、テトの眉間に近づけた。
 それでもテトの表情は揺るがなかった。引き金に掛かる指の力が抜けていった。
「いい判断だわ」
 その声に男の肩はガクッと力なく落ちた。
「ぶっちゃけ、わたしはあなたに引き金を引いて欲しかったの。引き金を引いた後、あなたがどうなるか、見てみたかったの」
 それを聞いて 、男の背筋が凍った。
 テトの自信が何に由来しているのかは解らないが、それを理解することは絶対できない。男は悟った。
「う」
 男は引き金にかかった指に再び力を込めた。
「うぉー!」
 男は銃口を天に向け引き金を絞った。
 マシンガン特有のパラパラと軽い銃声が辺りに響いた。
 弾倉が空になると、男は銃をテトに投げつけた。
 それをテトは片手で受け止めた。
 男はその間に脱兎の勢いで反対方向に走り始めた。
「無駄なことを…」
 テトは呟くように言った、追いかけもせずに。

         〇

 小牧と呼ばれた男は必死で走った。「小牧」というのは今回の仕事のためのコードネームのようなもので、本名とはかけ離れた呼称ではあるが、それが知られていることが驚きだった。
 情報の漏洩源が気にはなったが、それを詮索しても効果があるとは思えなかった。
〔まるで孫悟空だな〕
 男は自嘲しながら、自分が大きな何者かの手のひらの上で踊らされているような気分になっていた。
 時々後ろを振り向いて確認したが、なにも追跡してくる様子はなかった。
 男はそれでも走るのを止めなかった。例え無意味な行為であっても、最善と信じる行為をやめる訳にはいかなかった。
 男はしばらく走って道路脇の小道の先に小型の乗用車が止まっているのに気付いた。
 車を借りる、やむを得ない場合は車を奪う、そのつもりで車に近づいた。
 車の側に人影があった。シルエットだけでは男か女か最初解らなかった。
 女性とわかるまで近づくと、その服装が独特なことが分かった。
〔チューブトップにショートパンツ? おまけにバニーキャップ、って、マルセイユかパリの路上だったら、街娼と間違われるぞ〕
 側に立っている女性に気を取られ、男は車の中に気付くのが遅れた。
 男は、困っているように話しかけた。
「お嬢さん、すみません」
「はい」
「そこで車が故障してしまって、ちょっと近くの駅まで送ってもらえませんか?」
 女性は思いもしないセリフを口にした。
「うわ、ホントに、来た」
「え?」
 女性が星明かりの下でニヤリと笑うのが判った。それは先ほどテッドを家まで送ったルナだった。
「やっぱり、フレンズの車だから?」
 男は後部座席に座っている人影に気づいた。
 男は息を飲んだ。
 誘拐の実行を担当した男女の二人がぐったりともたれるように座っていた。
 よく見るとそれは情報提供者の携帯だけを運ぶために使っていた車だった。
「この人たちは、わたしたちの大切な人を傷つけたクリミナル(犯罪者)。よって、成敗しました」
 わざとらしい外国訛りだったが、それすら気にならないほどの恐怖が、男の中に沸き起こった。
〔この女、さっきの妖怪の、仲間!〕
 男は無言で振り返り、駆け出そうとした。一歩目は勢いがあったが二歩目は力なく止まった。
 振り返ったその先に、テトが立っていた。
「いつの間に…」
 男の背後に、ルナが音もなく近づき、軽く肩を叩いた。
 男の体が軽く跳ね上がった。
「さて、どう調理しましょうか…」
 男はもはや声が出せないほど緊張していた。体の震えは止まらず、気温とは関係ない冷たい汗が身体中から吹き出していた。
「とりあえず、腕と指の骨は全部折ってもいいかな?」
「殺さなければ、ね?」
 テトがウィンクをしたように見えた。
 その声に男の緊張は最大限に達し、男は気を失った。
 男は糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「おや」
「まあ、残念」
 ルナは近づいて、男の頭を軽く足で蹴った。反応がないとみると片足を引き上げ、殺気を込めて男の顔に向かって足を降り下ろした。
 頭蓋骨を砕く寸前で足を止め、ルナは反応を見た。
 男は気を失ったままに見えた。
「どう?」
 ルナはテトの方を見た。
「完全に気を失ってるよ」
「ちぇっ、せっかく、『総司令』のリベンジができると思ったのに」
 テトは男の顔を憮然とした表情で見つめていた。
「もう、ここは、いいよ。わたしは病院に戻る」
 そう言って、テトの姿は、闇の中に吸い込まれるように消えた。
「ラジャー。わたしも帰投します」
 同じくルナの姿も、闇の中に溶けるように消えた。
 後には、ぐったりした男の影だけが残っていた。
 夏特有の生暖かい風があたりを通り過ぎた。

 翌日の新聞記事に、電柱に激突した乗用車に乗っていた男性3名の死亡記事と、乗用車で無理心中を図ったと思われる男女の死体が発見されたという小さな記事が載った。それには、テトもテッドも気がつかなかった。

この作品にはライセンスが付与されていません。この作品を複製・頒布したいときは、作者に連絡して許諾を得て下さい。

UV-WARS・ミク編#026「逆襲のテト」

構想だけは壮大な小説(もどき)の投稿を開始しました。
 シリーズ名を『UV-WARS』と言います。
 これは、「初音ミク」の物語。

 他に、「重音テト」「紫苑ヨワ」「歌幡メイジ」の物語があります。

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投稿日:2018/05/21 19:32:20

文字数:5,685文字

カテゴリ:小説

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