私の母は物書きでした。
最期まで物書きでした。
母はいつも書斎に居て私達に背を向けていました。
幼い弟と私は、母の愛を知らず育ったのです。
弟が7つの誕生日、
今年も弟とふたり、赤飯とチキンを食べました。
弟の大好きなショートケーキ、
それにフォークを伸ばしたときです。
「……姉ちゃん、母ちゃんは僕ら、愛してないのかな?」
うつむいた弟の言葉に私は思ったのです。
(連れてこよう)
(もしかしたら)と。
「姉ちゃん、言ってくるわ。待ってて」
弟のその時の期待に満ちた顔は忘れません。
私はなんとしても母を連れてこようと思いました。
私は母の書斎の前まできて、ゴクリと喉を鳴らしました。
やけにうるさい心臓の音に胸を押さえました。
ドキドキが止まらない。
それは、とても期待していたのです。
ドアをノックしても返事がありません。
だから、外からこう声をかけます。
「母さん、一緒に食べようよ」
開いたドアから母が顔を出しました。
私は嬉しさのあまり母に言いました。
「あの子、母さん待ってるよ」
「……入って」
母に招き入れられた私は、その部屋の中に散らばる紙くずに気づきました。
「手伝って」
「……」
母が紙くずを拾い始めます。その理由も言わず。
私は渋々、胸いっぱいになるまで紙くずを拾いました。
「コレ、捨てていいの?」
「……」
「こうして捨てるものの中にも原石があったりして」
「それは捨てるものじゃないわ。弟にあげて」
紙くずを弟にあげる?
私は首を傾げ母を見ました。
母はそっと目を伏せ、口を開きました。
でも、その先の言葉を私が聞くことはありませんでした。
ドサッ、突然床に倒れた母に駆け寄ると、
母は虚ろな目を私に向け言いました。
「あの子は、あなたが守って」
それが母の最期の言葉でした。
書斎で死ねた母は幸せだったのでしょう。
だけど、残された私達には、
何も残らなかったのです。
それから15年後のある日、恋人を連れてきた弟のために、
あの日のまま残された母の部屋を片付けることにしました。
そして、その部屋で見つけたのは、
あの後、弟にあげた紙くずの残りのひとつでした。
「それは捨てるものじゃないわ。弟にあげて」
私はその中に書かれたことを知りませんでした。
ドキドキしながら、その紙くずを拾い上げた私は、それを開けたとき、とても後悔しました。
それは濡れた紙くずでした。
私はその意味を知りたくて、弟とその恋人のいるキッチンへ歩みよりました。
「ねぇ」
「何? 姉ちゃん」
無邪気な顔で振り向く弟に私は聞くことができず、私達は3人で食事をしました。
恋人を家へ送るため、弟が家を出た後、私はこっそりと弟の部屋を開けました。
そして、その部屋の床に散らばる紙くずを全て開きました。
そこには私の予想通りの光景が広がっていました。
それら全ては濡れた紙くずだったのです。
私は母の書斎に戻ると、
あの日のままになっていた母のタイトルのない作文用紙をめくりました。
私はそこに文が書かれてるのだとばかり思っていました。
でも、今思えばおかしかったのです。
なぜなら、遺作となるその作品を見た警官は、驚いた顔で私を見て、私に微笑んだ過去があったから。
(何……?)
そこに書かれてあったのは、おめでとうでもごめんでもなく、
私と弟の名前でした。
私は思いました。
母はちゃんと私達を想ってくれていたのだと。
私はそれをそっと閉じ、
震える視界に口を押さえました。
そして、思ったのです。
伝えられない人もいるんだ。
不器用な人もいるんだ。
今からでも遅くないかな?
……愛してるが届かない。
目を閉じると、それまで大人であろうと封じてきた哀しみがこぼれ落ちてゆきます。
私はそこにひとり、母を想い泣きじゃくりました。
あの日、きっと母がそうしたように。
伝えられず消えた想いが、15年を経て私の中へ染み渡る。
「母さん、私恋するわ」
弟と、彼女と、私と、その先の子供に。
愛してるがまっすぐ言えるように。
end
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