高校生になって、1年の歳月が過ぎ去った4月のある日の事。
2年生になるまでの間、誰とも話さず、声を掛けられても事務的な会話をこなし残りは無視。
そんな事を繰り返した結果、学年内で少年――結音ユロに声を掛けてくる者など居なくなっていた。
もちろんそれはユロ自身が望んでいる事であり、希望する状況になった。
けれど、一人で居られる日々は今日で終わりを告げる事となる。
一人の少女の、存在によって。
「……2年B組、ね」
学校の昇降口、クラス分けの掲示板をユロは一人見上げていた。
周りでは仲の良い者同士が喜びあっていたり悲しんでいるが、どうでもいい。
俺にとって誰と同じクラスであろうと関係のない事だから。
「しいて言えば、教室が近いのが良い点、だな」
小さくぼやくと、辺りを群がる軍勢を掻き分け何とか廊下へと出る。
クラス分けのせいか、教室へ向かう者は少なく、廊下にはいつもの人波が存在しなかった。
鞄片手に歩いている中、ふと俺がB組に混ぜられている事を疑問に思った。
この学校のクラス分けは、全て歌う事に対する技能で決められる。
新入生であれば入試の時に、在校生であるならば学年末にテストされるのだ。
テスト内容は先生側から指定される選曲を歌うだけでいい。
そして、歌う時の姿勢や音程、感情の込め方などを採点される。
最終的には普段の授業の成績とテストの結果で1学期にクラス分けされるシステムになっている。
クラスはAからE組にまで分かれており、Eが下でAが上。
つまり、俺のクラスは上から2番目のクラスだという事。
正直、テストにはそれなりに真剣に取り組んでいたつもりではある。
しかし、授業にはお世辞にも真剣だったとは言えない為、どうも腑に落ちない。
「……ま、気にするだけ無駄か」
自分がB組だという事が奇跡の結果であろうと、採点ミスであろうとどうでもいい。
今まで通り過ごすだけだ。
教室に入ると、まだ生徒はまばらにしかいなかった。
知っている顔が何人かいた気がしたが、俺に声を掛けてくる物好きなど居る訳がない。
うん、望んでいる通りの結果だ。
「俺の席は……っと」
黒板に張ってある座席表を見てみると、予想通り俺の席は窓側の1番後ろ。
そこまでのろのろと歩いて行くと、鞄を机の横に掛けて席へと座る。
特に誰かと話す事もなく、入学式の準備もない俺は頬杖をついた。
前の方の席をじーっと見つめていると、教室内が徐々にざわついてくる。
煩いと思いながらも、春の陽気の暖かさによって思考がうまく回らなかった。
”……少し寝ても、平気だよな?”
口に出す事もなく、脳内で自分自身に問いかける。
時計へと目をやると、入学式開始までまだ1時間もあった。
”少しだけ、少しだけ、寝よう”
再び脳内で呟くと、俺は頬杖をついていた腕の全体を机につけると枕代わりにして睡眠を始める。
睡眠不足というわけではなかったが、暖かさのせいであっという間に俺の意識は夢の中へと沈んでいった。
急に、陽の暖かさだけではない、何かに包まれた気がする。
こちらに向かって吹いてきて、そして身体の周りを包み、過ぎ去っていく。
嫌気が指す寒さでも、暑苦しい暑さでもなく、ちょうど良い暖かさが流れいく。
これがなんなのか、分かっていた。
ゆっくりと身体を起こし、窓の方を見ると、予想通り窓が開けられていた。
やはり、自分の身を包んでいたのは風――春風だった。
「……誰だよ、窓開けた奴」
何の嫌がらせだ、と思いながら辺りを見渡してみると、教室内に人はいなかった。
否、自分の席の横で眠る少女を除いて。
その少女は腰の辺りまで伸びた真紅色の髪を、綺麗に靡かせながら眠っていた。
起きろ、と声を掛けようとして、結局言葉を飲み込むと隣で眠る少女を揺する。
すると少女は、ゆっくりと表情をこちらに向けると、にっこり笑いかけてきた。
「あ、起きられたんですね」
「……いや、寝てたアンタに言われたくないんだが」
「えへへー……待ってたらついつい眠くなっちゃいまして」
にこにことした表情を崩さないまま告げてくる少女。
色々と疑問に思う事があり、それを質問しようと口を開きかけ
「春の風って良いですよね!」
少女の言葉のせいで喋るタイミングを完全に失う。
「こう、なんていうんでしょう。ほんわかしてるって言うか、ほっとする匂いがするっていうか」
寝起きだというのに……いや、寝起きだからこそのハイテンションなのか。
正直、今まで俺に対してこんな風に話しかけてくる者がおらず、どういう対応をするべきなのか悩む。
いつも通り、軽く受け流したり突き放せばいいのかもしれない。
でも
「とにかく、幸せなんです!春風は幸せ色なんです!」
何処までも楽しそうに告げてくる少女の姿を、若干羨ましいと思ってしまっていた。
だからなのだろうか、ふと、今まで誰にもしなかった質問をしてしまった。
「……アンタ、名前は?」
口から出てしまった後の後悔、しかし、言った言葉は戻す事は出来ない。
相手に聞こえていない事を祈ってみる。
少女は先程までと同じ、にっこりと笑った表情で急に俺の耳元へと顔を近づける。
なんだ、と疑問に思い離れようとするよりも先に
「囁音ルルって言います」
若干囁くように、そう呟いた。
「ねぇ、貴方の名前は?」
自分の紹介を終え、今度は貴方の番よと少女が尋ねてくる。
俺から名前を聞いてしまった以上、自分だけ答えないのは悪いかと思い、しぶしぶ答える。
「結音。……結音、ユロ」
「結音ユロ……うん、ユロね、覚えた!」
「いや、さっさと忘れろ」
「えー……嫌です!」
春の風が吹き抜ける教室で。
これが、孤独を望む少年と、楽しげに笑う少女の出会いだった。
――このやり取りの後、2人は仲良く入学式を遅刻する羽目になったそうな。
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