翼が欲しい?









部屋は暗かった。

「…リン?」

まだ昼だから窓からは光が差し込んで来ていて、それが辛うじて完全な闇に落ち込むのを防いでいる。
それでもカーテンが半分ぐらい引かれているせいでかなり暗いんだけど、何となく電気を点けるのが躊躇われて、俺はそのまま薄暗い部屋に足を踏み入れた。

俺とリンの部屋だからどこに何があるのかは把握しているけれど、何分暗いから自然足元に注意が向く。
そこらへんに置かれているごみ箱やぬいぐるみを蹴飛ばさないようにそろそろと進み、俺は部屋のど真ん中にぽつんと座り込んだリンの傍に膝を付いた。

「リン…体調でも悪いのか?だったら無理すんなよ」

リンの目はどこにも焦点を結んでいない。俺の声なんて聞こえていないみたいにぼんやりと空を見詰めている。

答えが無いのが嫌だ。

何してるんだよ、リン。聞こえてるんだろ?
俺とリンの間では、答えが返ってこないなんて有り得ない。
どちらかが問えばどちらかが応える、それが同じ存在から造られた鏡音の特徴なんだから。深い絆、強い共鳴。それは、それこそ俺達という存在の大前提とも言える。

―――だから、この呼び掛けにだってリンは反応する筈なんだ。

「おい、リン」

その顔を覗き込む。その途端、凄い勢いで顔を両手で挟まれた。
―――聞こえてんじゃん。
そんな不満が一瞬だけ俺の脳裏をよぎる。
僅かに首の向きを変えられ、本当に近くから俺を凝視している碧い目と俺の目がかち合う。
さっきまでぼんやりしていたにしてはやけに真剣な目で、少しだけ自分が怯んだのを自覚した。いや、認めやしないけどさそんな事。

リンの手はゆっくり俺の輪郭をなぞった。何かを確かめるように、何度も何度も。

「…何」

囁くくらいの声で問う。と言っても、この距離なら十分に聞こえる声量の筈だ。
案の定、薄闇に染まったリンの瞳が微かに揺れた事は見て取れた。手がぴたりと止まる。

しばしの静寂に耐えると、リンはぽつりと口を開いた。


「レンの事考えてた」

「俺?」
「正確に言えば、レンと私の事」
「…ふうん」

何と返せば良いのかわからず、生返事でその場を濁す。

と、何かがお気に召さなかったのか(或はもっと別の理由からかもしれないけれど)、きら、とリンの瞳が異様な輝きを放った。

その迫力に一瞬息を呑み動きを止めた―――リンはそれを狙っていたのかもしれない。



「え」



奇妙な加速度。
それを感じたのは一瞬で、すぐに背面全体に衝撃が走った。

「―――っ、おま」
「黙ってて」

何の躊躇もなく床に突き倒されて、背骨が痺れるように痛む。どうもこの片割れは手加減とか言うものをしてくれなかったらしい。

いつもより少しだけ曖昧な表情でリンが俺を見下ろす。
表情がない、というよりは表情をどう固定するべきかわからない、と言うのが正しいのかもしれない。俺を押し倒す形を取っている癖に、その肢体には殆ど力が入っていなかった。

部屋の薄闇と同じような明度でリンの声が響く。


「私、自由が欲しいの」


少しだけ首を傾げたのか、天井を背に金髪が揺れるのが見える。

「何それ、訳わかんね」

それじゃまるで鳥籠の鳥みたいな言葉だ。
欲しいもなにもリンは誰に制限を掛けられているわけでもないし、普段の振る舞いからしたって囚われのお姫様ではない。

リンは自由だ。
少なくとも、自分の好きな様に振る舞える位には自由だ。ロードローラーで突っ走ってみたり、可愛い服を買いに出たり、お菓子を食べて「体重増えてる!」と叫んでみたり出来るくらいには。
だから、何をそんなに不自由に感じているのか、わからない。

何で分からないの?とリンは俺の顔を覗き込むように身を屈ませた。

「レンと私ってさ…双子とか、片割れとか、鏡像とか…なんだかがんじがらめにされてるみたいだよね。息苦しくて仕方ないよ」
「…知るか」

俺は呻くように答える。

俺とリンの事、ってそのまんまの事だったのか。
確かにそれは一度は考える事なんだと思う。他の皆と違って、俺達だけは二人で一つとして売り出された。アイデンテティとか相手との関係性とか、やっぱり特殊な感じがするのは仕方ないんだろう。

でも、流石にそれは俺に言われたところでどうしようもない。
それこそ創造主たる会社に言ってくれないと何の進展も期待できないんじゃないだろうか。

「俺が設定した訳じゃなし、あ」

当たるなよ―――言おうとした言葉が不意に喉を押さえ込まれて途切れる。

喉を押さえ込まれる、正にその文字通りに、リンは両手でやんわりと俺の首を押さえていた。多分、このまま力を込めるだけで容易に喉が締まるだろう。

歌唄いである俺達に取って心臓や脳よりずっと大切な器官であるソコ。もしもボーカロイドを機能停止させたいのなら、一番的確な狙いだ。

「レンさえ」

俺を見下ろすリンの目に微かに輝く、追い詰められた者特有の狂気。
今のリンは俺の話なんて聞いちゃいない。

「レンさえいなければ…きっと私はこんなに苦しまなくて済んだ。もっと自由になれたよね?」

あ、殺されるかな。

そんな事を暢気に考え、俺は目をつぶって体から力を抜いた。
でもいつまで経っても息苦しさも痛みも感じない。何してるんだよ、と焦れかけたところで、胸の辺りに温もりが擦り寄って来たのが服越しに感じられた。

何なのかはすぐに分かった。だって、温もりと一緒に愛しさまで染み込んで来たんだから。
今の状況をを目でも見てみたくて、そっと目を開ける。

―――うん、いい眺め。

即座に俺は満足する。
思った通り、リンが俺の胸にもたれ掛かるように頬を擦り寄せていた。
まるでペットみたいな姿で、ああ、可愛い。
わかってるよ。リンは俺がいないとダメなんだよね?ペットみたいな君の命は飼い主である俺次第、だって飼われていた動物の多くは自然の中では生きていけないんだから。
リン、そうなんだよね。そんな、俺と番にされてばかりで息が詰まるなんて言ってみたところで、俺に置いて行かれたら生きていけないんだよね。

そう、所詮俺たちは同梱された二つの声。一つじゃ存在し得なかった、比翼の鳥。
今のリンは俺を鎖だと言う。それは正しい。

同時に翼でもあるんだってことに思い至っていないだけだ。



俺も同じだよ。

同じ、そう、俺の命は君次第。生かすも殺すもお好きにどうぞ。
君が俺の鎖で、君が俺の翼だ。



「なのにどうして…レンがいるとこんなに嬉しいんだろう…」




小鳥か蝶を捕まえるみたいに慎重にその体に手を回す。警戒されないようにそっと動いて、確実に愛しいきみを捕まえる。

殺されるならそれもいい。きっと俺の死はリンの心に深い深い傷を刻んでくれる。そしてけして癒えっこないその傷を前に、きっとリンは途方にくれる。治そうとあがいては、受けた傷の深さを思い知ってくず折れるんだ。
その瞬間を想像すると、ぞくぞくする。

最高だ。リンが俺への感情に囚われてくれるっていうんなら、それがどんな感情でも俺は両手を挙げて受け入れるだろう。
勿論愛なら言うことは無いけど、憎悪や罪悪感でも構いはしない。

―――今はどうなのかな。

酷い性格に定評のある俺は、たまに確かめてみたくなる。今のリンはどこまで俺に囚われているか。もっと的確に言うなら、どこまで堕ちているのか。
まあこんな思いは、一端ですら口に出せないんだけど。口に出したら、きっとリンは驚くか怯えるかして身を引いてしまう。
だから俺は大人ぶった冷静な性格の仮面で以ってリンを追い詰める。ゆっくりとだけどその分獲物は追い込まれていることに気付かず、自分から罠に掛かりに来る。

ああでも、無理矢理力尽くでリンを捕まえてしまってもいいかな。怯えた顔も怒った顔も泣いた顔も、そんな強い感情を向けている先が俺なんだと思っただけで食い尽くしてしまいたくなるほどに快い。何度未遂な行為をした事か。
でもその度に何とか押さえ込んだ。今はまだこのゲームを愉しみたいんだ。だから今も、無言で君の髪を撫でるだけにしておくよ。



リン。リン。ねえ、可愛い俺だけのお姫様。
リンは俺のために全てを捨ててしまえるのかな。君の世界を作るものを全て壊して、何でもない存在になる事が出来る?
何でもない、俺の片割れだというそれだけの存在になる事が出来る?

怖くないよ。大丈夫、俺だけ見ていれば迷うことはない。
そしてそれが、俺の思う鏡音の在り方の理想形だ。

いつ君はそれに思い至るかな。
それとも俺が痺れを切らす方が早いかな。
どちらに転ぼうと、俺には望ましい結末なんだけど。






ねえリン、翼が欲しい?
今はまだあげないよ。それを君にあげるのは、君が俺と同じ場所まで堕ちてから。

ああでもその時には、自由なんて意味がなくなっているかもね。



少なくとも俺は、リンが一人で空を翔ることなんて絶対に許さない。








リンは俺を捨てられない。
いや、捨てさせない。本当に欲しいものを縛りたいとき、共依存って本当に便利だ。

君は俺の手の中。俺は君の手の中。
それって、何の破綻もない―――最高の

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

(non title)

なんか本当はもっとまともなレンになる予定だったんだけど…


遅まきながらACT2お誕生日おめでとう!
アペンド出るのか…ちょっと買いたくなってきたな…

閲覧数:594

投稿日:2010/07/25 03:13:43

文字数:3,809文字

カテゴリ:小説

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