遺書

 どんな人間であれ夢や欲求を持つ。それが私のような駄目人間でもだ。むしろ駄目人間だからこそ欲深いのかもしれない。現にこうして死を覚悟した今も夢を叶えようとしている。
 私の夢は小説家になること。いや、小説家なんて仰々しい夢だ。自分の文章を売って食べていきたいと考えたことなんて一度もない。ただ自分の書いた文章を周囲の人に読んでもらって褒めてもらいたい、そう考えていた程度だ。身の程知らずも甚だしい。才能なんてあるわけでもないし、何より真剣に向き合ったことが一度だって無いのだから夢なんて語る資格もない。
 私は紛れもなく小心者だ。常に逃げ腰で第一に保身を考え道化を演じて弱点を隠す。闘うことも立ち向かうこともなくこうまでしなければ夢さえも他人に語れない私が小心者でなくてなんだと言うのか。
 だからこれは一世一代最初で最期のチャンス。神様仏様に頼らず私が私自身の手で得た夢を叶えられる方法だ。

 そこまで打ち込んで手を止めた。一度読み返しクリアボタンに手をかけたが、消すことなくそのまま保存した。遺書は小説ではない。見せるものではないのだから書き改める必要もない。
 携帯を閉じ顔を上げる。どれほどの時間携帯と向き合っていたか定かではないが思った以上に時間が過ぎていたらしい。先程まで居たはずの子供の姿は消え、公園は閑散としていた。人のいない公園というのは味気ないが、その味気なさがまた心地いい。
 味気ないなんて言葉はマイナスイメージが先行しがちで、実際その通りなのだが私はそう思わない。世の中には魅力的なものは数えきれないほどあるだろうが、そのうちどれほどが自然体なのか。ダイヤモンドは削り磨けば綺麗な輝きを見せるが、原石に魅了される人間なんてそうそういない。ダイヤモンドとさえ気づかないだろう。ダイヤモンドは手を加えられてこそ価値がある。つまり魅力とは素質の上の努力なのだ。
 反感ヒンシュクを買う前に言っておくが、私は努力が悪いとか素質才能がすべてだとかそんな話をするつもりはない。素質のある人間は羨ましいし努力できる人間は格好良い。だからそんな話ではない。そもそもそんなものを公園に求めるほどの変人だった覚えはない。ただ魅力のない、飾り気のないものにこそ安らぎを感じる、それだけの話だ。
 身の丈に合わないから気疲れを起こすだけなんだけど。
 その一方でこれでもかと言うくらい着飾った文章を書いてるのだからどうしようもない。どうにかしようと思えば、消そうと思えば消せるけど。考えてもみれば遺書で見栄張ってどうするのか。それこそどうしようもない。遺書で人生が変わるのならとっくに変わっている。携帯を取り出し書いてた文章を迷うことなく削除した。
 果たしてこんな調子で遺書は書き終わるのだろうか。別に命日とか決めてるわけじゃないが、グダグダのグズグズで続けるのは嫌だ。何よりこれじゃ死ぬに死ねないじゃないか。恥ずかしい遺書を残して死にたくもないけど。
 そんな風に一人悶々としてる私のふくらはぎを何かが撫でた。
 白いぶち猫だった。首輪がないのを見ると野良だろう。来たときはいなかったはずだがいつからベンチ下に潜り込んでいたのか。なんて疑問を意に介する様子もなく猫はのそのそと歩いていく。大方考えすぎで周囲が見えてなかったのだと適当に落としどころを決め、気晴らしに猫の行動を見守ることにした。が、その気晴らしは三分と持たなかった。猫は誰もいなくなった遊具に軽やかに上るとそこにぺたっとそのまま座り込んでしまった。それっきり動く様子もない。
 てっきりご飯でも調達するものだとばかり思ってたのに軽い肩透かしを食らった気分だ。肩透かしも何も勝手に期待して裏切られた気になってるだけなんだけど。私だって見知らぬ他人に期待されても困る。ましてやそれが猫となれば尚更だ。人に猫の気持ちなんてわかりっこない。逆もまた然り。そんな私は自分の気持ちもよくわからないけど。覚(さとり)がいたらと今まで何度考えただろうか。覚なら私以上に私の気持ちを伝えられるだろう。遺書を書くのにも重宝するかもしれない。
 覚といえば猫又は人語を理解するそうだが、猫又を介せば猫の気持ちもわかるんじゃないだろうか。人語を猫後に訳せる分、覚より頼れるはず。気持ちどころか会話だってできるかも。最近は人語を話す動物が多々取り上げられてるし、猫又が出てきてもおかしくはない。あの猫には是非とも猫又になれるくらいに長生きしてほしいものだ。
 そんな気持ちも何処吹く風、ぶち猫はマイペースな調子で遊具から降りてまたどこかへ行ってしまう。そんな勝手気ままな様子を羨ましく思って眺めているとベンチ裏の茂みから「にゃあ」と鳴く声がした。振り替えると黒と三毛猫のコンビがそこにいた。
 三毛はそこに横たわり、黒はただじっと座って鳴いていた。
 なんとも不用心な猫だ。こんな近くにいながら私が触らないと思ってるのだろうか。鞄からコッペパンを出し、先を少しちぎって黒の前に投げた。餌付けで手懐ける作戦だ。ところが、飛んできたパンクズを見てそれから飛んできた方を見ただけで黒は手を付けようともしない。どころか一歩も動かなかった。猫に無視されるほど安易な考えだったかと思うと悔しくなり、ならばとベンチ裏の茂みに周り直接コンタクトをとることにした。
 安易以上の阿呆である。
 しかしこの時ばかりはそうでもなかった。寝てる三毛はともかく黒はただ私をじっと待っていた。元々飼われてたからなのか住み着くうちに慣れたのか二匹とも逃げ出すそぶりも見せない。頭を撫でても喉を撫でても「にゃあ」と鳴くだけで面白味に欠けた。昔飼ってた猫はかなりの猫かぶりだったのに野良は違うのか。そりゃ猫だって媚びるだけが生き甲斐じゃないんだろうけど、けどそれじゃあなんだか寂しいじゃないか。
 やがて黒は飽きたのか三毛の周りをくるくる回り時折尻尾で叩いたり顔を覗くしぐさを見せては「にゃあ」と鳴いた。起こそうと必死になるも三毛はちっとも起きない。眠っててるところを邪魔されるのは人に限らず嫌だろう。私にも経験がある。夜中にメールで起こされたときは恨み言を有らん限り書いて送り返したものだ。だから三毛の気持ちはよくわかる。起こしちゃ駄目だよ、なんて言ってもわからないだろうから黒の方を持ち上げようとして、異変に気づいた。
 三毛の尻尾がびくとも動いてない。いつからなんてわからないが、けれど気づいてからは微動だにしない。尻尾だけじゃない。まるで呼吸をしてないみたいにぐったりしていた。三毛のお腹に触れてみる。身体はは少し冷えて呼吸はなかった。
 黒はじっとこちらを見た、ような気がしたので首を横に振った。気持ちは伝わらなかっただろうけど、「にゃあ」と鳴いたので良しとしよう。
 待っててと昔の飼い猫にするように掌を出して茂みから出た。ここに来るのは初めてなのでどこがどうなっているのかわからないが公園である以上作りは似たり寄ったりだろう。雑木林へ入り足で土の柔らかいところを手当たり次第探す。シャベルでもあれば探さずとも掘れるだろうがこの辺に売ってそうな店はない。向かいにコスプレショップはあるがそこに置いてあるとも思えない。
 どうやって掘ろうか考えてると、向こうに不自然に盛り上がった地面と手向けられた花を見つけた。どうやら私以外にも土葬した人間がいるらしい。私は覚悟を決めコッペパンを取りだし飲み物無しで食べた。
 別にお腹が空いてたわけではない。直前まで夕食に回そうと思っていたパンだ。けれどそんなことは気にもせず、とにかく食べ、袋を空にした。
 空っぽになった袋に手を入れ、墓標の隣に屈み込み、よしと呟いて隣を掘り始める。片手で、それも袋をつけた状態で掘るのは難しかったが、土で手が汚れるよりはいい。30分ほどかかって丁度良いくらいの穴が掘れた。
 掘り起こしてすぐ、猫の元へと戻った。そこにはさっきと変わらない三毛猫と黒猫の姿があった。黒は私に何か言いたいことがあるのかこちらを見つめるが残念ながら私にはわからない。そのくせ死体の気持ちがわかってしまうのだからどうしようもない。精々土葬して私なりに気持ちを伝える程度だ。わからないくせにわかってくれなんておこがましいこと言うつもりはない。袋をポケットに入れ身体の冷たい三毛猫を持ち上げた。黒は三毛を見つめたままだったが、私が歩き出すと一緒についてきた。二匹の関係なんて私は知らないがきっと仲はよかったのだろう。
 三毛をゆっくり穴に下ろし、土を被せる。黒は何かすると思ったがただ私のすることをじっと見ているだけだった。
 手を合わせ私が立ち上がると、黒は一匹で山の周りをゆっくり回るとどこかへ去っていった。
 翌日、マタタビと花を持って墓へ行くと作業着姿たちがスコップを持って何かをしていた。
 何かあったんですか、と私が問うと少し焼けた男が答えた。
 ここに猫が埋められていた。むやみに動物を埋めると疫病の原因になる。公園の敷地内だから問題が発生するまえに処理しなくちゃならない。
 そうですか、とさりげなく持っていた袋を隠し、そのまま後退りしながら立ち去り、代わりに昨日のベンチ裏にマタタビと二輪の花を添え公園を後にした。
 なんとなく猫耳が欲しくなり、私はコスプレショップに初めて立ち寄った。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

灰の夢

長編にしようと思ったら続かなかった感じです。ちなみに公園は都内某所

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投稿日:2012/08/14 10:18:13

文字数:3,842文字

カテゴリ:小説

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