夜中に小腹が空いて冷蔵庫を開ける。そこまでは誰にでもある平凡な日常のひとこまだ。けれどその夜、私が出会ったのは食材ではなく、音だった。扉を開けた瞬間、低く震えるようなモーター音が響き、氷のぶつかるカランという音が不思議にリズムを刻んだ。思わず立ち止まって耳を澄ますと、まるで冷蔵庫そのものが楽器になったかのように、規則正しい拍を打っている。
最初は気のせいかと思った。けれどそのリズムに、冷蔵庫の奥で眠っていた瓶のカタカタと揺れる音が重なり、さらに冷気の吹き出すシュウという音がハイハットのように重なっていった。気づけば私は、冷蔵庫の中で一つの楽曲が組み上がっていくのを聴いていたのだ。
普段、作曲をするときには机に向かい、機材やソフトを立ち上げてから音を探す。けれどこのときは違った。目の前の生活音が自然に旋律を呼び寄せ、頭の中でメロディが生まれていく。小さな音たちが合図を送り合うように次の展開を教えてくれて、私はただ受け取るだけでよかった。
その瞬間、私は自分が作曲しているのではなく、冷蔵庫という異世界のステージで「聴かされている」ような感覚になった。生活の隙間に潜むリズムや音色が、実はずっと前から私に語りかけていたのかもしれない。気づかないままスルーしていた日常音の中に、無限の可能性が隠れていることを冷蔵庫が教えてくれたのだ。
作曲の神様は遠い存在ではなく、深夜に牛乳を取り出そうとした瞬間に現れる。電子音やギターの音色だけではなく、氷が崩れる音や、瓶が震える音だって立派な楽器になる。その発想を受け入れたとき、私は「音楽は机の上だけで生まれるものではない」と気づいた。
実際にその夜に感じたリズムを忘れないように、急いでスマホに録音した。次の日に改めて聴き直すと、確かにそこには曲の原型が眠っていた。生活音が紡いだメロディは拙くても温かく、そしてどこかユーモラスで、私自身の新しい表現の可能性を広げてくれた。
今も私は、冷蔵庫を開けるたびにわずかに身構える。今日はどんなリズムを聴かせてくれるのか、どんな音の神様が顔を覗かせるのか。そんな風に考えると、単調に思えていた日常が途端にクリエイティブの宝箱に変わる。
音楽は特別な場所や機材からだけではなく、冷蔵庫の中や街角の雑踏、雨粒の音や猫のあくびからも生まれていく。私たちが耳を澄ませさえすれば、その全てが楽曲になる可能性を持っている。そう思うと、どんな一日も無駄にはならない。むしろ小さな音たちと過ごす何気ない時間こそ、未来の歌の種を育てているのだ。
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