書いては消し書いては消しを繰り返し、最期に電源ボタンを二度押した。文才が無いのは今に始まったことではないけれど、思い残すことが何一つ無いとは思いもしなかった。辞世の句だって十七字あるのにそれにすら満たないとはいよいよ生きている理由がわからない。人生も時世の句のように終わらせたいものである。もっとも、綺麗すっぱりと落ちるようならばこうして公園の屋根付きベンチで雨の中ケータイを打つこともないのだけれど。
大学からの帰りに寂れた公園に寄るのが今の私の日課だ。意志薄弱が服着て歩いている様な私にとって我が家は欲求を満たしてくれるぬるま湯天国で、それ故に家を離れなければ遺書を書くこともままならない。最初は大学のラウンジで書いていたのだけれど周囲の喧騒と一人で椅子を占領してしまうことの心苦しさから一週間と持たず頓挫。カフェなんてものは近くに無いので論外(つい最近までノマドを「ノー窓」の略称だと本気で思い込んでいた)。諦めて自宅で書こうとした事もあったけれど二日と持たなかった。目も当てられない堕落三昧である。
いっそ地獄まで堕落すればいいのに。
いっそ全てを諦めて死ねばいいのに。
そう思う日もあったけれど、ホームセンターで練炭を購入した日もあったけれど、なんだかんだ言い訳をつけて逃げていた。このままだと、例え納得できる遺書を書き上げたところで死なない気がするがそのときはそのときだ。ステップバイステップ、自殺を全うするならばまずは遺書から。柳の如く揺らぐ意志を止めながら街を彷徨い、見つけたのがこの公園だった。公園と呼ぶにはタイヤ以外の遊具が無く(撤去されたらしい)今となってはベンチのある小さな広場に成り下がっていた。人の住まなくなった家は廃れるのが早いと言うが公園も例外ではないと言うことだろうか。最近は危険だからという理由で撤去されることもままあるらしいけど。おかげで雨の日も晴れの日も関係なく誰に憚ることなくベンチを占拠できていた。
しかし、残念ながらと言うか当然と言うか文才には何一つ影響がなかった。
文才以前の問題という気がしなくも無いけれど。
「うひゃー、鞄の中全滅だよこれ」
いつの間にか――と言うにはケータイを注視し過ぎていた――ベンチには私以外の人がいた。この雨の中を傘も差さずに走ってきたのだろう、全身ずぶ濡れで、彼の言うように中身は全滅で間違いなさそうだった。合掌。
「なんで人が出た途端に強くなるかねぇ。どんだけ雨に好かれてるんだよ俺は」
外に目を向けると先ほどまで小雨だった雨は大粒になっていた。これでは傘があっても帰るのは楽ではない。少しばかり居心地が悪くなってしまったけれど雨が弱まるまで待つことにしよう。ケータイをポケットにしまい、鞄からA6サイズのメモ帳とペンを取り出した。例え宇宙に行こうとも紙と鉛筆があれば文字は書ける。どんな環境でもローテクは生き残る、素晴らしい例だ。宇宙へ行くにはハイテクの力が必須だけど。
風流な人間ならば屋根に叩きつける雨音をうまく表現するのだろうが、私にしてみればこんなものは騒音でしかなく、騒音故に集中力は削がれていた。さっきまで気にならなかったのに、一度気にすると集中できなくなるのが私の悪い癖である。あるいは人間の性なのか。メモ帳に書かれた四角や丸の子供みたいな落書きは増えるばかりで本当に書こうとしているものは一字も書けてはいなかった。
「止まないなぁ、雨」
首のコリをほぐそうと顔を上げたタイミングで彼は言った。
「お姉さんも雨宿りのクチ?」
どうやら私が顔を上げるタイミングを見計らっていたらしい。傘も持たずにナンパとは恐れ入るが相手を間違えている。
「まさか」
これ見よがしに傘を持って見せた。
「なるほど、それでここにいるんだ」
何が合点いったのか、あっさり納得してしまった。誤解しかなさそうだけどそれを解く義務は私には無い。
「邪魔して悪かった。けど雨が弱まるまでもう少しいさせてくれない?」
「邪魔も何も、ここは公共の場だよ」
「公共の場だって言っても先に相手がいたら気を遣うのが普通だろ。って俺は思うんだけど間違ってるかな」
「先に居た身としては申し訳ない気になるけど。使うべき人のためにあるんだし」
「もしかしてお姉さんって電車とかの優先席が空いてても絶対に座らないタイプ?」
「端が空いてないと座らないタイプ」
「ああ、眠れないもんな」
「そうじゃなくて隣に人が居ると落ち着かないって言うか、接触してるだけですごく迷惑かけてるんじゃないかって気になって」
「ああ、それで授業中もあんな位置にいるのか」
ここで初めて私は彼を見た。全身ずぶ濡れでTシャツ一枚になってはいるが、身なりは普段目に入る大学生のそれだ。薄ら笑いを貼り付けたような顔は雨に濡れて滑稽なピエロの様にも見える。けれど、彼と同じ授業を受けている記憶はどこにもない。それは単純に周りが――どころか授業さえも――見えていないだけなんだろうけど。
「あの、ごめん。私あなたの事よく知らないんだけどどの授業?」
「別に謝ることじゃないだろ。影が薄いことくらい十分自覚してるよ」
薄ら笑いは薄ら笑いのまま、軽口で言う。
「社会学の授業だよ。お姉さんいつも教壇の真ん前に一人で座ってるだろ。出席さえしてれば単位が出るって有名なのに生真面目だなぁっていつも思ってたんだけど」
「ああ……」
別に生真面目に板書をしてるわけでは無く、ひたすら書いては消しを繰り返しているだけなのだが。どうやら周囲にはがり勉子に見えているらしい。ノートなんて一切取ってないとばれたらどうしよう。
「雨宿りに来たらお姉さんがたまたま居たからこうして聞いてみたのさ。深い意味はないよ」
「深い意味を求められても困るんだけど……。それよりも、どうして私がお姉さんなの?」
「そりゃあ名前知らないからなあ。ああいや、別に名乗らなくても良いよ。どうせ覚えられないし」
「名乗るつもりも無いけど、さらっと失礼なことを言うね」
「さらっと失礼なことを言うのが俺の口でね。お姉さんが年上だろうと年下だろうと俺には関係ないのさ。それに名前知ったら赤の他人じゃなくなるだろ」
「名前知っても授業同じだけの他人だと思うよ」
「名前知ったら名前で呼ばなきゃいけないだろ」
名前を知ったらファーストネームで呼ばなきゃいけないというルールでもあるのだろうか。
「ファーストネームでなくとも、俺はあんまり人を名前で呼びたくないんだよ。間違えたとき失礼だろ」
「覚えられない方がよっぽど失礼だと思うけど」
「呼び違えなきゃお天道様でもない限りわかりやしないよ」
そのお天道様も、今は見えないけど。と軽口で締めた。
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