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 階段を上がると、一階と同じようにずっと奥まで続く廊下が見えた。天井に吊された明るい電気が、それらをはっきり照らしていた。
 左右には幾つか扉があって、右側三番目の襖の部屋。和室になっているそこが、繭が死んでいた場所だ。
 近づくと、血の匂いに混じって、嫌な匂いがただよってくる。
 その襖の間からは光が漏れていて、ゆっくりとそれを開けると、部屋の電気がついていた。水がバケツに落ちる音が響いていて、むわっとした湿気と、酷い臭いがした。
 8畳くらいの広さの、その部屋の中央に繭が横たわっているはずなのだが、その前に誰かがしゃがみこんでいるのが見えた。
「金田くん……?」
 まさか誰かいるとは思わなかった。
 飛び散った血は、部屋に籠もった湿気のせいでまだ湿っていて、畳に大量に染み込んだ血だまりの前で彼は立ち上がった。
「お、聡美ちゃん。大丈夫だった?」
 そう言って彼が振り向く。
「うん大丈夫。金田くんは何してたの?」
 私が尋ねると、金田は手に持っていた何かを、掌にのせて私に見えるように差し出した。
「これ、繭ちゃんが握ってた」
 裏面は緑色、白い表面に彫り込みがある直方体のそれは、麻雀牌だった。二日前、先生たちと麻雀をしたときに使ったのと同じ牌だ。中でも金田が見せたそれは、丸い花を模した模様が五つならんだ柄が彫り込まれていた。
「7筒?でもなんで?」
「さあ?」
 私が尋ねると、金田はそう言っておどけて見せた。
 繭が死んだ時に持っていたのだろうか?
「それとさ……」
 金田は再び繭の死体の側でしゃがむと、繭の肩を少し持ち上げて、私に手招きをしてその下を見るように言う。私が血が付かないように気をつけながらしゃがんで見ると、胸の辺りに何か紙があって、金田は私にそれを取るように言った。
 半分以上血で赤く染まったそれを引き寄せて見ると、何か文字が書いてあるのが分かった。
「何だろ?何か書いてある」
 ゆっくり持ち上げていた繭の肩を下ろすと、金田は私が手渡したそれを受け取って眺める。
「んー……牌符かな?」
「牌符って麻雀の?」
 私は再び金田の持つそれを見た。下半分くらいが完全に血で濡れて所々良く読めない。
「これ聡美ちゃんの名前じゃない?」
 金田が指差した部分を見た。
 本当だ。一番上の部分に私の名前が書いてある。局は南2局の1本場、聡美は西家、ドラが7の筒子。裏ドラが西と書いている。
 その下に配牌、ツモ牌、捨て牌、最終の手配となっている。

___________
 9月15日
 西藤 聡美
 南2局 1本場 西家
 ドラ ⑦ 裏ドラ _

  一 三 五 六 ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ 5 8 東 東 發 ←配牌

 _ 二 南 2 _ 7 □ 1(R) 5 (これ以上は読めない)← ツモ牌

 東 東 _ 發 ⑨ 5 □ _ (これ以上は読めない)← 捨て牌

  一 _ _ 5 _ ⑥ ⑨ _ _ 2 3 (これ以上は読めない)←最終形
 

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 漢数字は萬子、丸で囲んでいる数字は筒子、そのままの算用数字は索子だ。
 所々字が抜けているが、何となくは分かる。書かれた日付は二日前。これは多分先生たちと打った時のだろう。
 しかし、誰か牌符なんて付けてたっけ?
 それに何でこんなものを繭が持ってたんだ? 
「あれ……」
 私は何か頭に引っかかりを感じ、その紙を隅々まで見る。
「何だろ……」
 今一瞬、何か気になったのに…… 
 何か刺さった棘が抜けないような、むず痒い煮え切らない感じ。
「分からないね。まるで映画の謎解きみたい」
 そう言って金田が笑う。
「むう……」
 私はもう一度、その紙をじっくり見た。
 二日前打った私の牌符。夜遅かったし覚えていないが、これを見た感じだと、この局は私が上がれたっぽい。
 (R)と書かれているのは私がリーチしたということだ。
 あの時はリーチしたら殆ど上がれていたから、きっとこの局も多分上がれたはず。
 私の記憶がはっきりしている部分ではだが。
 ……だめだ。分からない。
 一体何が引っかかったんだろう……
 私は胸につっかかりを残したまま、廊下に出た。 
「聡美ちゃんはもう決心は付いてるの?」
 すると金田がそんなことを訊いてきた。
「正直に言うと、まだ……かな」
 私は苦笑気味にそう言った。未だに自分を変えていくことに、躊躇いを振り払うことができないでいた。
 だからそんな心の中を見透かされたのかもしれない。
「俺もだよ……決心なんて付くわけない。いつになったって、変わるのは怖いさ」
 キザっぽくそう言って笑う金田に、なぜだか悪い印象を抱くことはなかった。

 ふと、好子をほったらかして来たことを思いだした。金田に好子の様子を見てくると言って、私はその場を後にした。
 牌符は金田が私に託したと言って押し付けてきた。はっきり言ってこいつ、持っているのが面倒なだけだろ。
 まったく……とうとうサスペンス映画になってきた。
 私は一度、部屋の中に向かって手を合わせると、そこを後にした。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

閲覧数:84

投稿日:2014/05/14 17:17:57

文字数:2,126文字

カテゴリ:小説

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