5
心地よい微睡みの中、気がつくと雨が降っていた。ザーザーとうるさい雨音が、耳に引っ付いて離れない。
「んぁ……」
目を開けると卓の上に散らばった麻雀牌と点棒が見えた。それと雀卓に涎を垂らして寝ている先生の顔。
何とも情けない……
やけに重い頭を上げて身体を起こすと、目の前で3人が麻雀卓に突っ伏して寝ていた。
壁に掛かっている時計を見る。どこにでもありそうなアナログ時計の長針と短針は7時20分を指していた。
「あぁ……?」
何してたんだっけ?
私は寝起きのボーっとした頭で少し考えた。
そう言えば夜遅くまで麻雀していたんだった。
何時くらいまで続いたか……結局、あれほど息巻いていた先生と亜美の二人は普通に弱かった。それはもうびっくりするくらい弱かった。聡美と好子がずっと二人浮きして、先生と亜美は鳴きも飛びもしなかった。ある意味鳴きまくって飛びまくってはいたが。
先生は終始ビールを飲んでいた。お酒に酔わないと言っていたのは、強ち嘘ではなかったようで、アルコールに強いのは本当のようだった。
夜が遅かったからか、みんな途中からテンションがおかしな方向に向かっていって、それぞれの手元が狂っていく様を見て爆笑していた。まぁ今思えば何があんなに面白かったのか……
途中からやけになっていた先生が徹夜だなんだと言い出してからの記憶がなかった。誰が最初かは分からないが、いつの間にかみんな眠気に負けて寝てしまったようだ。覚えている限り、六回目の半荘が終わったのが3時くらいだったから、それくらいだろうか。
窓の方を見た。雨粒が窓にぶつかって流れていく。外は土砂降りで地面には白い靄が立ち込めていた。風も結構吹いていて時折、窓がガタガタと揺れ、ビュービューと風の音が聞こえてくる。嵐と言う言葉がよく似合う風景がそこにあった。
「うぉお……おお!」
眠気は既にどこかにいっていた。
思わず立ち上がる。
「ねぇねぇ、凄い雨だよ」
台風の日なんかはテンションが上がってしまうタイプだった私は、この感動を誰かと分かち合いたくて、隣で寝ていた亜美の肩を揺さぶった。
「んあ………」
「ほら外」
窓を指差すが、起きない。
「あう……」
「雨すごいよ」
「んはぁ……」
「もう。起きてよ」
「あうあぅ………んん……」
寝起きがあまりよろしくない様子の亜美を、こいつはダメだと諦めて今度は先生を揺する。もしかすると先生ならこの胸の高まりを共感できるかもしれない。なんか脳が子供っぽそうだから。
「先生、先生、雨ですよ雨」
「ん、んん………」
いい大人が涎を垂らしながら寝ている様は、何というか、見ていてしのびない気になってくる。
先生の肩を少し強めに揺すってみた。
「んあ………ああ?」
「あ、起きましたか?凄い雨ですよ」
目を覚ました先生に、窓の方を指差して言う。思った通り、先生は顔を綻ばせて立ち上がった。
しかしそれも一瞬で、
「あ、本とんぶッ………!!?」
「え……」
瞬間、何やら顔面蒼白になりながら口を押さえながら、慌てて部屋を出ていった。どうやら、お酒に酔わなくても二日酔いはするようだ。
肩を揺すったことに、一瞬罪悪感を覚えたが、あんなに飲むから悪いんだということで、私は自中に片付けることにした。
あの様子だときっと、今日1日といかずも少なくとも昼頃までは気息奄々としているだろうな。
部屋を出ていってしまった先生に変わって、次は好子を起こそうと、寝ている彼女の肩を揺する。
「好子ー」
「うんん……なに…?」
好子が目を擦りながら身体を起こす。
「外見てよ、嵐だよ」
好子が寝ぼけ眼で聡美が指差す方向を見て驚く。
「おお……ほんとだ」
「凄いよね」
「うん凄い凄い」
窓の外は相変わらずの豪雨で、どっか雨漏りするんじゃないだろうかというほど、天井から聞こえてくる雨音は激しいままだった。
その時、乱暴にドアが開いた。
「はぁ~い朝だよぉ」
そう言って顔を覗かせる金髪の少年。
金田だった。
金田 那雄宏。
私は彼がぶっちゃけ苦手だ。
学校でもいい噂を耳にしないどころか、停学処分を何度も受けていると聞く。不良とかヤンキーとか呼ばれる、あまりお近付きになりたくない部類の人間だった。
学生ズボンの腰には何だか意味が分からないチェーンがジャラジャラついていて、Tシャツには意味の分からないドクロが描かれていた。逆立てた頭は金髪で、耳には沢山のピアスがついていた。
なんと言うか……
こういう格好って、悪ぶってるやつのテンプレートだよね。
「あれ、金田先輩。いつ来たんですか?」
好子が尋ねた。
「昨日の夜。つか麻雀してたの?どうりで見ないと思ったわ~」
雀卓を、そこで寝ている亜美を見て、金田は笑う。
「金田君おはよ」
私も一応挨拶した。
「おはよ聡美ちゃん。今日も可愛いね」
何がおかしいのかケラケラ笑いながらそんなことを言ってくる。
可愛いねじゃねえ。
「あ、ありがとう」
やっぱりこいつは苦手だ。笑顔で返したつもりだが、きっと顔は引きつっていただろう。
「大阪のおっさんが呼んでこいっていうからさ。朝ご飯だって」
大阪のおっさんというのは久下さんのことだろうか。
「そっか、わざわざありがと。亜美を起こしたら私たちも行くよ」
金田はじゃあ、と手を上げて部屋を出て行った。
何だかなぁ。
少し待って、窓の方を見ながら好子が言う。
「…私あの人嫌い」
思わず吹き出した。
やけにはっきり嫌いと言う彼女が意外で、私は少し驚いた。
「あぁ……」
窓の外に見える森は、雨に打たれて、風に巻かれて、バサバサ揺れていた。周りの木が倒れてきたりしないか心配になる。
「私も」
私がそう言うと好子と一瞬目が合って、未だに寝ている亜美を起こしにかかった。
といってもなかなか起きない亜美に一苦労だったが。
少しして、久下と翔が来て部屋の雨戸を閉めた。久下が言うには、これからもっと天気が酷くなるかもしれないらしい。
「台風が来とるらしいわ」
「ここに来る時はそんなの言ってなかったですけどね」
天気予報の週間天気は、ずっと晴れだったはずだ。
「今時の天気予報はほんと当てにならないからね。まぁそれもしょうがないとは思うけど……」
まぁ好子の言うことも一理あると思う。
しかしまぁ。
「なんて言うか……ツいてないですね。私たち」
漸く起きた亜美を連れて、私たちはキッチンに来た。折しも、キッチンでは既に弘司と繭が朝食を作ってくれていた。
テーブルでは先生が死にそうな顔でトーストをぼそぼそ食べている。それにしても酷い様子だった。
「大丈夫ですか先生?」
「え、どうしたんスか…」
「あぁ、大丈夫よ…大丈夫…」
見るからに顔色の悪い彼女に、繭が薬と水が入ったコップを渡す。
繭ちゃん優しいなぁ。可愛いなぁ。
「二日酔いだそうですよ」
「あら、ありがとう繭ちゃん…」
「自業自得だよ全く」
好子が呆れ気味に言って、先生がごもっともと苦笑いを返す。
トーストを食べていると、家中の雨戸を閉めてきた様子の久下と翔が、ウェットな感じでキッチンに入ってきた。
いやはやご苦労様だ。
亜美が二人にタオルをとってきてそれを手渡すと、二人は礼を言ってそれを受け取った。
「二階奥の廊下と二階の和室が雨漏りしていた。バケツか何かないか?」
「雨漏りですか?大変…」
繭が慌てて部屋を出て行って、少しして、ポリバケツを二つ手に持って戻ってきた。
繭がそれを翔に手渡すと、翔は部屋を出て行った。本当に雨漏りするのか。そりゃ、凄い雨だもんなぁ。
その間、先生はソファーに寝かされ、時折唸っていた。
3時ごろ。
気に入ったソファーに寝っ転がって、作者の分からない本を読みながら晴耕雨読としていた時だった。
昼食を食べても、雨は依然として止む気配はなく、風音も心なしか強くなってきた気がする。
「これじゃ森の葉っぱ全部落ちちゃうかもね」
そう言いながら好子が隣に座ってきた。
「そうかもねー」
私はページを捲る手を止めて、本を閉じる。
「そうなったら落ち葉で隠れて、帰り道分からなくなるかも」
「そうなったらここで暮らすしかないね。食べ物とかないけど」
「まぁ、それもいいね。食べ物はいざとなれば森で動物捕まえてくればいいよ。鹿とか」
「好子は捕まえる前にきっと食べられるね」
「聡美ちゃんは熊でも勝てそう」
「そりゃどーも」
私は目の前の机の上に置いてある、すっかりぬるくなったコーヒーの入ったカップを手に、入れ直そうと席をたったその時だった。
「おい!誰かいるか!?」
廊下からリビングへ入るドアを、蹴破る勢いで翔が入って来た。
肩で息をして、その緊張した表情から、ただならぬ雰囲気が感じとれた。
「どうしたの?いったい」
好子が尋ねて、寝ていた先生も起きて彼を見る。
「何でもいい、誰か来てくれ」
そう言った彼に、私はとりあえずついて行くことにした。
廊下では隣の部屋にいた久下と亜美と弘司と金田の4人が、何事かと集まっていた。
私たちを引き連れて、翔は早足で廊下の突き当たりにある階段を上った。聡美たちもそれに続いた。少し気分を取り戻した先生もついて来た。
翔が足を止めたのは二階にある一室。今朝翔が雨漏りをしていると言っていた和室の前だった。敷戸は開けられていて、中から光が漏れていて、そして辺りには嫌な臭いが漂っていた。
「中を見てくれ」
翔がそれだけ言って部屋を指差す。
最初に動いたのは久下だった。
襖の中をのぞき込んだ彼は一度口を押さえると、引き返して青い顔で一言、見ない方がいいと言った。
久下は、手で聡美たちを制して引き返させようとする。いったい中がどうなっているのか、聡美にはとても想像も出来なかったが、二人の反応から雨漏りがどうとかいう雰囲気ではないことだけは分かった。
「どうなってるんスか?どういうことスか?」
亜美が不安と戸惑いと、いろいろな感情の入り混じった声色で尋ねたが、それに応えるものはいなかった。
翔はすっかり参ってしまったようで、床に座り込んでうなだれていた。
久下も俯いたまま動かない。
隔靴掻痒、曖昧模糊とした空気の中、私はもどかしくなって、久下の制止を無視して半分以上開いた襖の中をのぞき込んだ。むせかえるような臭気と共に、まず見えたのは畳。そして木製の雨戸を映す窓。黒い染みが広がった天井。そこから水滴が間隔的に落ちて、下に置いてあるバケツに入って音を立てていた。
それとその周りに広がった血。真っ赤な血。
ドス黒くて、とても鮮やかな赤い血が、バケツの側の畳一面に広がっていた。
ちょうど部屋の中央あたりに毛羽立った畳に染み込むように、血だまりがあって、その中心には彼女がいた。
「繭…ちゃん……?」
顔は見えないが、血で真っ赤になったエプロンと、綺麗な金髪が彼女だと分かった。
「え……どういう…これ……」
「馬鹿!!」
一瞬目の前が真っ暗になって、立ち尽くす私の目を久下が手で覆ったことに気が付いた。
繭の背中に包丁の柄が突き出ていたのを、私は見えてしまった。
「なんで……」
思わず呟いて、それが自明であったと気づく。
何か口を動かしたが、声にならなず、それはかすれた音となって、私の喉から発せられた。
その後何故か廊下の天井が見えて、そこで私の意識は途切れた。
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