自慢じゃないが、今僕の生活は十二分にと言って差し支えないくらい恵まれている。
「はたから見れば恵まれている」なんていう、本人には全くもってありがたくない感じではなくて、当の本人さえ恐縮しかねないほど充実した日常をおくらせてもらっている。
そう、僕は今すごく「幸せ」なのだと思う
――― まがりかど ―――
しかし、恵まれていればいるほど「将来人並み以上の不幸が訪れるぞ」と言い渡されているような気分になってくるのはなぜだろうか。
なんというか、こう、前借でもしているかのような。
一生のうちで幸福と不幸は同じ数になるようにできている、というのはよく聞く話だけど。
そうやって、ぼんやりと生産性皆無の特に意味もない物思いにふけっていると「恵まれている」の一端を担ってくれている僕の恋人が現れた。
「待たせてごめんね、帰ろう?」
少し頬を染めてそういう姿は、本当に、恐ろしくかわいいと思う。これは自慢だ。
もちろんそんな恋人の誘いを断るはずもなく、僕らは連れ立って廊下へ出た。
「今日の体育の時間ね、女子はバレーだったんだけどね――」
廊下を並んで歩きながら恋人は話す、そう話題がつぎからつぎにでてこない僕はもっぱら聞き役だ。
僕はこの恋人のことが好きだ。
ほほえましくて他愛もない話に、笑いながら相槌をはさみたくなる程度には。
そんなこんなで話を聞きつつ、いつも通り少しばかりの期待を抱いて廊下を歩く。
九割方裏切られる期待でも持たずにはいられないのだから、人間は本当にしょーもない生き物だ。
しかも僕はすでにそれが習慣になっている気さえする。ああ、恐ろしい。
――けれども今回、幸か不幸かその期待は裏切られることはなかった。
廊下を歩く「彼女」の姿を視界の端に見つけて、飛び上がりそうになる体を意思が総動員して引きとめた。
どうやら今日は残りの1割に運よく当たったらしい、
僕が彼女に気づいたのとほとんど同時に彼女も僕に気づいたみたいで、はっと目を丸くして一瞬立ち止まりそうになった。
彼女の視線を感じつつ、けして僕は彼女を見ない。
いや、そういうと少し語弊があるだろうか。まっすぐ前方に向けた視線の端にわずかに映る彼女に全神経を集中させる。
彼女の方も回りに気取られるほど注目してこちらを見ていることはないだろうから、彼女の視線を感じるのは彼女の存在に僕が全神経を集中させているからだと思う。
そして彼女は何事もなかったかのように歩き始める。歩みを止めそうになってからの時間は僕にとっては永劫に感じられても実際はたぶんほんの一瞬。
彼女は誰にも何も気取らせなかったみたいだ。
あと10歩も歩けば彼女とすれ違う。
ああそうだね、ほんとなの?すごいなぁ、相槌をうちながら歩数をカウントする。あと3歩。
すれ違う瞬間のゆれる黒髪が信じられないくらい鮮やかだった。
馬鹿みたいだと思う。
まるでストーカーみたいだとも思うし、正直自意識過剰だろうと思う。
しかしそんなことはどうでもいい。
彼女の姿が見れるだけで幸せだ、それがごくごくたまに廊下ですれ違うほんの少しの時間でも。視界の端に映る姿でも。僕は幸せだ。
この幸せで踏みとどまらなければいけない。彼女を見つけたときの「幸せ」に名前を探してはいけない。
帰りの寄り道を提案する恋人に笑顔を向けて、お好み焼きが食べたいと提案してみた。
僕は恋人のことが好きだ。
絶対に、悲しんで欲しくないと思うくらいには。
僕はひどく恵まれている。
ただ、次の10回に一回がめぐってくるまであと9回も、期待をした自分に自己嫌悪しなくちゃならないのかと思うと憂鬱だけど。
また、そればっかり、と恋人は笑う。僕も笑う。
彼女が、廊下のかどを曲がった気配がした。
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