ふざけんな。と低い声が響いた。

 誰の声か。と驚き、あげはがその声の主に目をやると、そう言ったのはタロウだった。今まで少し離れた場所で見守っていたはずのタロウが低い声で悔しげに表情をゆがませて、あげはの母親を睨みつけていた。
「ふざけんな。あんたの娘は、あんたの傍にいたいって、言ってたんだ。自分が辛くてもそれでも傍にいたい。って言ってたんだ。なんであんたが拒否するんだよ。あんたも、一緒に辛い思いをしろよ。」
そう力任せに怒鳴りつけるタロウに母親が、何も知らないくせに。と顔を上げた。悲しみに染まりきっていたはずのその体のどこに、そんな力が残っていたのか。と思うほどの強い眼差しで母親はタロウを睨みつけた。
「そんなの無理よ。あなたに何が分かるの?この子を幸せにしたいのに。辛い思いをさせたくないのに。私は、なのに、あの人を忘れられないのよ。何も知らないくせに、勝手なことを言わないで。」
「忘れろって言っているわけじゃない。努力しろって言ってるんだ。」
そう叩きつけるようにタロウが言う。その言葉に、ぐ、と母親が詰まりながらも怒りを露にタロウを睨み付けている。
 どうしよう。とあげはは思った。母親に酷いことを言うタロウに何か言ってやりたいと思った。勝手なことを言うな。と言ってやりたかった。だけど言えない。
 だって。とあげはは顔をくしゃくしゃにした。
 だってタロウが言ったことは、私が願ったことだから。否定なんかできない。
 激昂して更に何かを言おうとしたタロウを、台所にいたはずのおばあさんが静かな声で止めた。
「タロウ。」
ごめんなさい。と、おばあさんはタロウに言った。
「橘さんも。うちの孫がひどいことを言ってごめんなさい。」
そう穏やかな声で非礼を詫びられて、怒っていた母親も冷静になったのか、いえ。と首を横に振った。
「私も、良くして頂いているのに。思わず声を荒げてしまって。ごめんなさい。」
「タロウに図星を指されてしまったのね。」
くすりと笑うおばあさんに、母親が、はい。と肩をすくめて頷いた。
 ゆっくりと母親が座る椅子の脇に腰を下ろし、おばあさんは微かに首をかしげた。
「大切な人がいなくなる。という事は、本当に悲しいことだと思いますよ。大事な人を傷つけたくないという気持ちも、当たり前の気持ちだと思います。」
その言葉に母親の表情が崩れた。まるで子供のような頼りなげな様子の母親に、おばあさんはそっと手を伸ばした。
「あなたは、、、あなたも、あげはちゃんと一緒に幸せになっていいんですよ。」
そう言っておばあさんは母親の頬をそっと撫でた。あげはも知るそのあたたかな指の感触に、こらえきれなくなったのだろう。母親が涙をこぼした。
 ぽろぽろと涙をこぼしながら、母親があげはを見た。許しを請うような不安げな眼差しで母親はあげはを見つめて、その名を呼んだ。
 母親のいとおしい人の名に、あげはは、けれど体が動かなかった。揺れて暴れて疲れ果てた感情が、この期に及んで、自分の名を呼んで欲しいと願ってしまった。
 固まったあげはに、母親が悲しげに表情を揺らした。その表情に、いけない。と思った。いつもならばやり過ごせるのに。いつもなら大丈夫なのに。今、強くならないといけないのに。今、大丈夫にならないといけないのに。
 やっぱり私は強くない。やっぱり私は、もしものわたしのように強くなれない。
 途方にくれたあげはの耳に、あげは。と女の子の声が届いた。

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たとえば、の話・15

閲覧数:122

投稿日:2010/04/22 15:30:15

文字数:1,439文字

カテゴリ:その他

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