5日後。


例の依頼人から頼まれた仕事の一つは、予想より早く終わった。意外にもこの五日間で終わり、残りの仕事はあと一つ。それが終われば、またしばらくは誰も殺さず、休めるはずなのだが……。

「はぁ……」

とあるコーヒーショップにて、私はため息をつく。ブラックコーヒーをすすりながら。

「いや、これもうどうしろっての」

悩んでいるのは、例の件だ。
なにしろ、ターゲットの情報が不明瞭なのだから仕方があるまい。まるで霧か雲かのように、実態がつかめていない。こんなものどうすればいいというのだ。
私の本業は、あの政治家にも言った通り、暗殺がメインであって、潜入捜査ではない。
本来の流れであれば、密偵やハッカーがターゲットの個人情報を入手し、殺し屋である私が最終的にターゲットを殺すという連携プレーだ。
だが住所や顔さえもわからないとなると、私にはどうしようもない。職業柄、多少の潜入スキルなら私も持ち合わせてはいるが、やはりプロのスパイには劣る。裏社会にもそれぞれ専門家がいるものだ。
私にはパソコンをハッキングする力もないし、どこに情報を管理しているかなんて予想がつくわけもない。改めて考えてみると、自分はなんでこんな仕事を引き受けたんだろうと後悔し始めていた。

……

「そういえば」

脈絡もなく、ふと昔のことを思い出す。初めて人を殺した時のことを。
――あれは確か15歳の時だった。

私はある一人の女に育てられた。それは皮肉にも、母親と呼べるものではなかった。私自身、その人を親だなんて思ったことは一度もない。そして向こうも、私を娘なんて思ったことは一度もないはず。

彼も私と同じく、裏社会の人間で、殺し屋だった。いつも真っ赤で悪趣味なスーツを着用していた。白いひげでもつければ、それは、さながらサンタクロースのようだった。格好だけ見ればの話だけど。
だから、私は彼女のことをサンタと呼ぶことにしている。本名は私にもわからないけれど、私の中でいつの間にかそういう呼称が生まれていた。
けれどサンタなんて言いつつも、彼女は夢も希望もプレゼントも与えない。与えるのは最悪の死、一つだけだ。
私は生まれた時から、そんな彼女に殺し屋になることを強制されて生きてきた。

私は彼女に、ありとあらゆる殺人術を教え込まれ、物心がついた時にはもうすでに銃を握っていた。
何年も何年も、人を殺す術だけを教えられ、鍛えさせられて過ごしてきた。外の世界には一切触れることができなかった。外出は月に一度許されたが、それ以外は訓練の日々。学校なんて通う余地もない。
外では何が起こっているかなんて知りようもなかったし、何が常識かなんて分からなかった。
流行りのファッションとか、ドラマとか、映画とか。誰もが知っている時事問題とか、当たり前のマナーとか、道徳的なこととか……人を殺すのが悪いことだとか。
15歳になって、初めて外の世界に出ることを許された。普通の女子高生としてではなく、暗殺スキルを身に着けた、一つの殺人人形として。
テレビでニュースを見ることも許された。そこで私は初めて理解した。
15年間の間、私に叩き込まれてきたスキルは、この世に一切必要ないことを。
人を殺すということがどういうことなのかを。

私は了見の狭さを知った。
まるで井戸の中に放り込まれたオタマジャクシだ。
私は井戸の中で餌をもらいながら、そのままカエルになってしまった。
井の中の蛙、大海を知らず。という言葉があるが、まさに私はそれと全く同じ。
何が殺し屋だ。馬鹿馬鹿しい。私にも、普通の女子高生と同じ教育を受けさせてくれと、ある時彼女に言った。
そう言ったら、殴られた。それも生半可な力じゃない。骨が折れるまで殴られた。
そうしてまた、しばらくの間監禁された。日の光も届かないような真っ暗なところで。
何日監禁されていたのかはわからない。1週間なのか、1か月なのか、2か月なのか、あるいはもっとなのか。
時計もないようなところでずっと監禁されていたものだから、時間の感覚なんてわからなかった。
でも1年以上は経っていなかったように思う。

ある日、監禁を解かれた。

そして、その日に私は初めて人を殺した。

…よくは覚えていないが、目の前に手足を縛られ目隠しをさせられた男がうずくまっていて、それを殺せと言われたことは覚えている。
一目で、ヤバい状況なんだと理解した。だから私は抵抗した。その時に目とか急所を殴られたけど、それでも人を殺すことなんてしたくなかった。
それが全くの赤の他人だとしても。いけないことは、いけないと思ったから。
でも私は最終的にその男を殺すことになった。何度も抵抗する私に、弾丸が入ったリボルバーを渡され、無理やり引き金を引かされた。
嫌だ嫌だと喚くのに、何度も何度も引き金を引かされ、気が付いた時には男は死んでいた。
弾は全部なくなっていて、薬莢が私の前に転がっていた。
その時の光景は、忘れようと思ったって忘れられない。
目には男の死体、耳には銃声と男の悲鳴、鼻には血と硝煙の臭い、手には銃を握りしめた時の、硬くて冷たい鉄の感触、撃鉄を引き起こし、引き金を引かされる時の恐怖。そのすべてが脳裏に焼き付いてしまっていて、今でもリアルに思い出せてしまう。

一体何発の弾を撃たされたんだろう。あぁ、リボルバーだから、六発か。
けれどそのたった六発が、その時は六十発くらいに感じられた。喚こうが何しようが、銃声は鳴りやまない。
撃つたびに、銃声と男のけたたましい悲鳴が響く。あれは一種の拷問だ。
殺されるほうはもちろん激痛を伴うが、殺すほうだってあれは精神を病む。まともな人間のできることじゃない。

私が人を殺すようになったのはその件があってからだ。次々にそいつを殺せあいつを殺せと命令され、その度に私は従ってきた。従わざるを得なかった。もしも刃向おうというものなら、また骨を折られるほど殴られるから。
抵抗のしようもない、だから、もういっそのこと死にたいとさえ思った。
死んで、この状況から解放されたいと思った。
解放されるまでには、かなりの痛みを伴うけれど。
その痛みが私には邪魔だった。いっそ何も感じないで死ぬことができたのなら、そう思ったこともあった。
私が思い悩む間にも、彼女は人を殺せと命令してくる。
そうして人を殺していくうちに、私は徐々に、人を殺していくことに抵抗を覚えなくなっていった。
きっと感覚がマヒしてしまったのだろう。私もその時点で、まともな人間じゃなくなっていた。
けれど唯一、人を殺すのはいけないことだと頭のどこかで理解していた。そして、殺す人間にはせめてもの慈悲として、眠っている間に殺すという方法で、今までやってきた。痛みを感じないで死んでいけるように。その死に顔が、苦痛に歪んでしまわないように。

……。

あぁ、嫌なことを思い出してしまった。
それを断ち切るように、苦いブラックコーヒーをすする。

「…苦い」

当たり前だ。ブラックなんだから。
その苦味は、まるで私の歩んできた人生を表しているかのようで、少し胸焼けがした。
この苦いコーヒーを、一転して甘くするには、いったいどうすればいい?答えは簡単明瞭だ。
これでもかというほど、角砂糖をいれればいい。酸味の刺すこの味をマイルドに変えたければ、クリームをたっぷり入れればいい。そうすれば、一気に甘いカフェオレに早変わり。
ブラックもカフェオレも、同じコーヒーには変わりないけれど、砂糖とクリームがあればすぐに、子供向けの飲みやすい飲料に変わる。
だけど私の人生は、そんな簡単には変わらない。角砂糖だってクリームだって、ない。
だから、きっとこれからもこうやって生きていくのだ。死ぬまで、ずっと。

憂鬱な気分になりながら、私はブラックコーヒーを一気に煽る。そしてまた、ため息をつく。
早く帰ろう。こうも辛い日は、さっさと寝てしまうのが一番だ。
そう思って席を立とうとした、その時。

「ねぇ、君、一人?」
「……え」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ラストバレット。1-2

閲覧数:78

投稿日:2014/08/12 23:54:54

文字数:3,310文字

カテゴリ:小説

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