注意
※本考察には多分に著者の妄想が含まれています。それは誰か他の方の解釈を否定するものではありませんし、公式でもない唯の一ファンの妄言に何が正解であるかというものでもないので、あくまで解法の一つとしてご覧下さい。
※本考察には劇場版まどかマギカ-反逆の物語-の致命的なネタバレが多分に含まれております。まだ劇場に足を運んでいない方はここに限らずうっかりネタバレを踏んで「アタシってホントバカ・・・」なんていう風にソウルジェムを濁らせないようご注意下さい。また、うっかり覗いてしまったせいで呪いが募って魔女化しても当方では一切の責任を負えませんので併せてご了解下さい。
※いわゆる萌えアニメであるまどかマギカですが、食わず嫌いでまだ見てない方はアニメを見てから劇場に足を運ぶと物凄く健やかな気分になれると思いますので是非ご視聴頂いて、内容を語り合えたりするととても嬉しく思います。
こんばんわございます。いつもニコニコ素敵な歌詞に這い寄るキジ目キジ科ヤケイ属。ニワトリリィです。間違いました鶏です。失礼、噛みまみた☆ 前回から歌詞解釈のテキストを書き始めましたが、プロの歌詞っていうのはやっぱり凄いですね。技術なんてあって当たり前で、その上で人を引き付けてやまない何かというものを強烈に持っている。ピアプロで歌詞書いてる方もほとんど趣味の方が多いとは思いますが、趣味なんて全力を注いでこそです。プロの技を読み解いて自分の力にしてどんどん磨きをかけていってみましょう。その先にこそ、素晴らしきお笑い芸人の道は開かれるというものです。
さて、そんなこんなで劇場版まどかマギカ-反逆の物語-のOPであります「カラフル」が今回の題材となります。劇場版楽しかったですね。敬虔なる黒スト教徒の僕としましてはマミさんとほむほむの戦闘シーンなんて脳から危険な物質が出っ放しでしたし、やはり黒ストというものは良いものであると再認識させられた一作でもありました。初見の時は流石に例のシーンからスタッフロールに至るまで開いた口が呼吸も忘れて微動だにしない感じでしたが、二回目を見た時は色々面白い視点で見れたような気がします。お給料日が来たら三回目の突撃をかます予定ですが、暇な方いたら是非一緒にソウルジェムを濁らせに参りましょう。
さて、映画の始まりを彩りましたカラフル。もうムービーからしてカオスでしたね。明るくポップで楽しげな音楽に合わせて煌びやかに踊る魔法少女達の真ん中に膝を落とし、何かを諦めたように呆然と佇むほむほむ。なんかもうあれですね。出鼻からずいぶんかっ飛ばす映画でした。ほむほむ以外は凄いカラフルでしたね。もうどんな映画なのかあのオープニングで覚悟したファンの皆様も多い事でしょう。
しかしまぁ、なんていうかこう。世の中にこんな不気味な歌詞を書く人間っているもんなんですね。おじさん少し驚愕しました。プロっていうのは皆こういうものなんでしょうか。もう、アラウンド30のおっさんとしてはつくづく歌詞とか音楽とかを趣味に留めておいて良かったと思ってやみません。
http://www.kasi-time.com/item-69230.html カラフル歌詞
カラフルという歌詞、普通に読むと凄く希望に満ち溢れた曲なんですが、ストーリーを加味した上で視点を替えると物凄く禍々しい歌に聞こえてきたりします。何を何からどう話せばいいのかよく把握できてませんが、歌詞において最も重要なものというのは結局のところ「語り部」と「受け手」であるわけですから、先ずはこの曲の語り部である「暁美ほむら」に焦点を当てていってみましょう。
シリーズを通しての暁美ほむらにはいくつかの心理的な転機があります。
・魔法少女になる前に唯まどかを慕い側にいる事を大切にした暁美ほむら。
・まどかを救うために自ら魔法少女となり、共に戦おうとした暁美ほむら。
・まどかを救うために、自らもまどかから遠ざかり孤独に戦おうとした暁美ほむら。
・概念と成り果ててしまったまどかの意思を尊重し、戦いの場に身を置く事を是とした暁美ほむら。
これが、TV版までで語られた暁美ほむら像であるでしょう。
そろそろ間を置いたので本格的なネタバレに入っていきますが、劇場版まだ見てない人はもう戻れないので覚悟して下さい。
映画中でついに語られる事はありませんでしたが、本作において一番重要な問題は何故ほむらが魔女に成り果ててしまったのかという点ではないかなというのが個人的な見解です。自らが魔女になった事を一番驚いていたのは、暁美ほむら自身であるという点からも推察する事ができるように、恐らく暁美ほむらのソウルジェムを濁らせていった絶望というのは本人にすら知覚できなかったはずで、だからこそインキュベーターに付け込む隙を与えてしまったとも言えるでしょう。
では、暁美ほむらを絶望に至らしめたものとは何だったのか。魔法少女になった切っ掛けがまどかであるなら、魔女になる切っ掛けもまどかであったと考えるのはそれほど不自然ではありません。思うに、暁美ほむらは鹿目まどかの結末に心の何処かで納得がいっていなかったのではないかと思います。
インキュベーターに騙され、運命に翻弄されるまどかを救うために魔法少女になった暁美ほむらにとって、鹿目まどかが神となって一人世界から隔離されていくのを見るのは、例えそれが鹿目まどか自身の意思によって行われたものであったとしても、許容する事は並大抵の事では無かったでしょう。それでも暁美ほむらは戦い続けたわけです。他ならぬまどかの望んだ世界を守るために。
しかし、それと同時に暁美ほむらの中では影の感情が育っていったのではないかと思います。昔から愛と憎しみは紙一重なんていう風に言いますが、それはわりかしコインの裏表のように表裏一体となって人の心を支配しているものです。あたかも希望と絶望が互いの存在を支えあうように。
つまり、暁美ほむらを憎悪と絶望に駆り立てたのは他ならぬ鹿目まどかであったのではないかというのが僕の見解であったりします。インキュベーターの思惑からまどかを守ろうと奔走したほむら。それでもまどかは自らを犠牲にして全ての魔法少女を救済するという途方も無い手段に打って出てしまった。
暁美ほむらは表面上(といっても本人は心底そう思っていたのだろうけれども)、まどかの意思を受け入れ、まどかの望んだ世界を守るために戦い続けようとした。しかし、無意識に鹿目まどかを結果的に孤独に追いやった鹿目まどかの意思を憎み、鹿目まどかの勇気を呪ってしまった。暁美ほむらは鹿目まどかを愛したが故に、鹿目まどかに対する呪いと憎しみを積み上げてしまったわけですね。そして、それが自らを蝕む絶望となっていった。だからこそ劇場版において自らを救済しようとした神(まどか)を汚し、対立する悪魔と成り果てたというのが反逆の物語の真相なのではないかな。というのが最近ずっと考えていた結論であったりします。愛って怖いね。
さて、ここまでが前フリとなります。いよいよカラフルの歌詞に焦点を当てていきましょう。
「君」の存在が引き金となって、色褪せた世界が彩りを帯びていくというのは歌詞に限らず、よく使われる表現技法で、そういった意味でこの曲は王道のラブソングと捉える事ができるでしょう。(別に百合と断定するわけじゃなくて、人類愛とか友情とかそういうのも含めた広義のラブソングですヨ)
歌詞の王道的な解釈をするのであれば、これは語り部である暁美ほむらから鹿目まどかに宛てられた愛と感謝の歌であり、鹿目まどかが与えてくれた色鮮やかな世界に対する賛美の歌であり、希望の歌であるわけです。素晴らしいです。長いこと歌詞を読む事を趣味としてきましたが、これほど見事なコーティングは未だかつて記憶にありません。あたかも汚濁に溢れた新海の清涼な上澄みだけを掬い取って書かれたような出来すぎたラブソングです。魔法少女という王道的な題材を用いながらも、その題材の持つイメージを完膚なきまでに破壊しつくしたまどかマギカのテーマ曲としてこれ以上のものは無いといって良いんじゃないでしょうか。
いよいよ、この曲の裏の顔に焦点を当ててみましょう。カラフルという曲に対して一抹の不気味さを感じたファンの方も多いんじゃないかと思いますが、僕自身映画が初見でしたし、映画の内容に引っ張られて曲も不気味に感じているのだろう程度にしか思っていませんでしたが、歌詞を読み解いてみればなんという事はなく、歌詞事態にその不気味な雰囲気を許容するだけの土台があったという身も蓋も無い結論に至ったわけです。
「輝き」「鮮やかな色」「羽ばたく」「希望」「無限に広がる空」「過去から明日へと」
なんて耳障りの良い、喜びに満ち溢れた言葉の数々でしょうか。露骨なまでに計算された表の顔に、作者の底意地の悪さを感じずにはいられません。この「出来すぎた喜びの歌」というのが先ずは違和感の正体の一つには違いないでしょう。もう、読み解くのが恐ろしくてしょうがありません。
ここで一度、暁美ほむらの内面に立ち返ってみましょう。
・概念と成り果ててしまったまどかの意思を尊重し、戦いの場に身を置く事を是とした暁美ほむら。
これが暁美ほむらの「表の顔」です。
この表の顔に準じて歌詞を読めばなんと素晴らしい。アニメのストーリーを踏襲した暁美ほむらの希望の歌そのものと読む事ができます。しかし、ここは劇場版。そうは問屋が下ろさないわけです。
・自らの意思で概自分自身を孤独へと追いやったまどかを憎み、呪う暁美ほむら。
これが劇場版から垣間見えた暁美ほむらの「裏の顔」であるわけです。
意識的にしろ無意識にしろ、暁美ほむらは常にこの相反する意思を抱えて生きてきたと言えるでしょう。まどかを愛し続けながら、まどかを憎み続けた。その感情の歪こそが暁美ほむらを魔女たらしめたわけです。最終的に暁美ほむらは、そんな負の感情すらも自身の中に取り込んでしまいます。日本語には「愛憎」というとても便利な言葉がありますが、まどかを愛し、同じようにまどかを憎んだ暁美ほむらにはぴったりしっくりくる言葉ですね。
暁美ほむらは確かにまどかを愛し、愛したが故にまどかを憎み、まどかの望んだ世界を台無しにしてしまった。それはあたかもイエス・キリストを慕い、それ故にキリストを死に追いやったイスカリオテのユダのように。そう考えると、ほむらが自分自身を「悪魔」と呼んだのは実に趣があります。
語り部が暁美ほむらである以上、この曲の裏の顔もまた暁美ほむらの裏の顔そのものなわけです。
では、これは「まどかに対する呪いの歌」であるのかといえばそういうわけではありません。
何度も言ってきたように「暁美ほむらにとって呪いと愛は同義」なわけです。
そこを踏まえるなら、この歌は矢張り「まどかに対する愛の歌」であるに他ありません。
ただ、その愛の形は一般に理解されるような愛では無いというのは念頭に置くべきでしょう。
注視するべきは悪魔となったデビルほむほむにとっての「希望」や「輝き」は何を指し示すかというところです。デビルほむほむが何に絶望し、何を是とし、何に希望を見出し、何を叶えようとしているのか、それを踏まえてこの曲の曲を歌詞を追うと、この曲のもう一つの顔というものがひょっこり顔を出してくるんじゃないかななんていう風に思います。
そんなこんなで、必要以上に語りすぎてしまうのも野暮というものでしょうし、僕なりに、たぶんこんな意味なんじゃないかなという意訳を最後に書き連ねて考察を終えたいと思います。相も変わらずの長文に最後までお付き合い頂きありがとうございました。いずれまた何処かの劇場でお会いしましょう。
カラフル-私的超意訳-
きっと何処かで納得できていなかったんだ
私の瞳に映る世界はいつも何処か色褪せていた
でもそんなものに拘る必要なんてなかったんだね
やっと分かったんだ私が本当に望んでいたものは何かって
コインの裏表みたいに積み重なっていくこの想いの向こうには
きっといつだって君がいたんだね
私の世界が輝きを取り戻していくんだ 本当は初めからそうだったのかもね
私の胸の中の希望は 今やっと自由の翼を取り戻したんだ
君に届くようにこの翼を広げていくよ
歩き続けるこの道の果てに何があるかなんてわからないけど
願い続ければきっとこの夢は叶うはずだから
あがらいようの無い何かに引き寄せられるように
私は君に惹かれ続けてきたんだ
君が私の手の届かない場所へ行こうとしたって
その想いだけは変えられようもないんだ
私の選んだ道はきっと間違いだらけだけど
それでも私は君の笑顔が見れるのだったらどんな罰だって受けられる
同じような間違いを繰り返して 君は私の選ぶ道に戸惑うかもね
それでも良いんだ 私の願いを理解して愛して欲しいわけじゃないから
また君の笑顔に出会えたんだからそれ以上の事なんて望まないよ
きっと君はまた遠くに行こうとしてしまうのだろうけど
今ここにいる君だけは絶対に守りきってみせるから だから、それでいいんだ
私の選んだ道の先にハッピーエンドなんて無いって分かってる
でも、未来の事なんて誰にもわからないじゃない 夢見るぐらいは許してよ
ああ、だけど君はそんな醜くて弱い私の事も
きっと優しく包み込んでしまおうとするんだろうな
私の願いはきっと君を傷つけるだけで 君を戸惑わせるだけで
それでも私は歩き続ける事しかできないんだ
君を傷つける事でしか愛することのできない私をどうか許してね
歩き続けるこの道の果てに何があるかなんてわからないけど
君の笑顔だけはきっと守り通してみせるから
いつか夢見た君と二人笑い会える未来の
その全部を犠牲にしてしまったって
この願いだけは叶えてみせるから
実践歌詞考察講座 カラフル ※劇場版ネタバレ注意
後編書きました → http://piapro.jp/t/Jped
本考察の目的
・プロがいかに語り部の視点にフォーカスしているかの技法の参照
・曲そのものをダブルミーニングし深みを加える技法の参照
・プロの技法を目の当たりにしてソウルジェムを濁らせ
・素晴らしき歌詞書き魔女ライフを健やかに過ごす
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/ \ /\ 僕は ついてゆけるだろうか
/ し (>) (<)\
| ∪ (__人__) J |
\ u `⌒´ /
ノ \
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/ rデミ \ 君のいない世界のスピードに
/ `ー′ でン \
| 、 .ゝ |
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ノ \
/´ ヽ BLEACH49 The Lost Agent
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