朝7時。生徒はまだほとんど登校していないこの時間、レンは一人図書室にいた。
二月も半ばのこの時期、空調の利いていない部屋は正直辛いが、キンとした空気に頭が冴えるという点では、かえって好都合なのかもしれない。
口元へとマフラーを手繰り寄せ、机に広げた問題集に目を移す。
受験。中学3年生ともなると、この時期は耳にするのも嫌な単語だろう。早い者はすでに試験が始まっている。
これで人生が決まるわけではないが、やはり当人たちにとってはその合否は死活問題である。
――いや、寧ろ周りの大人たちにとってかな。
どんな学校に行くことになっても、その授業料を払うのは親なわけだし、運よくいい学校に合格すれば、学校側にとっても親にとってもステータスになる。
多くの子供たちにとって、高校レベルじゃどこに行ったって同じだ。大人たちばかりが躍起になって、俺たちはそれに振り回されているだけだ。
そこまで考えて、レンはため息をついた。口からこぼれた息は白い煙となって広がり、朝の冷たい空気の中に溶けて消えていった。
先ほどから問題を解く手は一向に動かず、無駄な思考ばかりが脳内を駆け巡る。大事な試験を一週間後に控えているというのに、こんな調子で大丈夫なのだろうか。
ガシガシと頭をかきむしり、窓に目を向ける。どんよりと曇った空は、今の自分の心の中を表しているようだ。
正直、レン自身はどこの高校に行こうと関係なかった。自分の力量に見合った場所で、かつ仲良くしているやつらと同じ高校に行けたら、十分だと思っていた。
――それを許さなかったのは、周りの大人たちだった。
もう少し頑張れば、手が届く。そう言われて受験を勧められたのは、都内の割と有名な大学の付属の高校。
ここから通う事は出来ないから、合格できたとしたら寮生活になる。……当然、この地を離れることになる。
そんなことまでして得られるものとは、一体何なのだろう。
もう少し頑張れば。それは、誰のため?何のために、頑張れというのだろう。
自分の意思なんか一切関わっていない上に、理想ばかりを押し付けられる。そしてそれに逆らうことすらできない。
……まるでマリオネットだな。
大人たちに糸を操られ、思い通りの場所へと動かされる。晴れてその場所にたどり着き、操り糸から解放された人形は、いったいどこへ向かえばいいのだろうか。
答える者のいない問いは、行き場をなくして心の中をさまよい続ける。
「レン、早いね。朝から勉強?」
「リン……」
ガラガラと扉をあける音に顔を上げると、目の前に幼馴染が立っていた。
寒さからか、頬と鼻の頭を赤く染め、指定のスカートからのぞく膝は、冬の冷たい空気に晒されて寧ろ痛々しい。
黄色のマフラーを首に巻きつけ、少女――リンは、昔から変わらない笑顔をレンに向けていた。
「隣、いいかな?」
「ああ…」
断られることはないと思ったのだろう、リンはレンが答え終わるよりも前に隣の席の椅子を引き、すとんと腰を下ろした。
図々しい事この上ないが、昔からの仲、レンにとってはこれも慣れっこだった。
「レン、試験近いんだっけ?」
「一週間後」
「……そっか……」
邪魔だったかな、と零れた声が静まり返った室内に響く。リンはうつむいたまま、言葉を続けた。
「…合格したら、やっぱり向こうの高校に行くんでしょ?」
「俺は、別に……」
「大丈夫、レンだったら絶対合格するよ」
曇りのない笑顔でそう返され、頭の隅で何かがぷつんと音を立てて切れた。
「…っ、なんだよ!そんなに俺にここからいなくなって欲しいのかよ!?」
「そんなんじゃないよ。…でも、レンは私じゃ届かない場所に行けるんだから、その力を持っているんだから、そこに向かっていって欲しいだけ」
「……お前もそんなことを言うんだな」
「え…?」
「『力がある』とか『手が届く』だとか、勝手なことばかり言って!俺はそんな奴らのために受験するんじゃない!ふざけんな…っ!!」
どん、と机を叩く音が響いた。打ちつけた手のひらが、熱を帯びてじんじんと痛んでくる。
「…ごめん……」
小さく返された声にはっとしてレンが顔を向けると、リンは悲しそうな顔でほほ笑んでいた。
沸騰していた頭は次第に冷静さを取り戻し、レンは慌ててリンに謝る。リンは小さく首を横に振り、「レンは悪くないよ」とだけ答えた。
どこか遠くを見つめながら、リンは話を続ける。
「……本当はね、レンにあんな遠くの学校受けて欲しくないの。寮生活になったら簡単には会えないし、何よりレンがすごく遠い存在になっちゃうような気がして…」
「リン…」
「でもね、それは私のわがままだから。いつまでもレンと一緒にいられたらいいな、って思ったけど、それはレンの事縛ってるのと変わらないから」
「そんなこと言ったって、俺だって別にこの高校に行きたいわけじゃ…」
「…ねぇ、レン。それじゃあ、レンは何のために受験するの?」
「は…?何のためって……」
「ここから近くて、知り合いとかいっぱいいるような場所ならいいの?そこだったら、レンは満足?」
「それは……」
答える事が出来ず、レンは俯く。
散々周りの声を否定しておいて、でも結局自分がどうしたいかなんてわかっていなかったのだ。押し付けられたと言い訳をして、自分では何も決められない。
そんなレンの心情を察してか、リンは言葉を続ける。
「どの学校に行っても一緒って思ってるなら、やっぱり上を目指した方がいいよ。…だって、そっちの方がいろんな可能性に溢れてるもの」
「可能性…?」
「うん。出来る事が多い、そして、その力を伸ばす環境が整ってるってこと。こればかりは仕方がないよね」
「…でも、やりたい事なんかわからないし…」
「それはさ、これから見つけていったって遅くないんじゃないかな?私だってわからないもの」
えへへ、とリンは笑う。
「レンは私よりもできる事いっぱいあるもの。それが開花するなら、私もうれしい。だから、離れるのは寂しいけど……応援させて?」
「………お前って、結構恥ずかしい事真顔で言うんだな」
「な、なによぅ!人がせっかく真面目な事言ってるのに!」
「いやぁ、悪い悪い!」
ぽかぽかと叩くリンの手をかわしながら、レンは笑い声をあげた。
ここのところずっと頭を占めていた悩みが嘘の様に晴れてしまった。……くやしいが、リンのお陰だろう。
そうだ。何をしたいかなんて、これから決めればいい。それを決めるステージが、人によって違うだけなんだ。
誰かに押し付けられるんじゃなくて、自分でつかみ取るもの。その材料が揃ってるっていうんだったら、思い切り利用してやろうじゃないか。
親や学校の機嫌を取るためじゃなく、自分のためにこの高校を受ける。今なら、そう思える気がした。
「あ、雪!」
リンの声に窓に目を向けると、空からちらちらと真っ白な雪が舞っていた。
「どうりで今朝は寒いと思った!ねぇレン、せっかくだから皆が登校してくるまで雪見ていようよ!」
「えぇ~、俺、勉強が…」
「そんなものは後!」
そういうや否や、リンはレンの手を引いて窓際まで引っ張っていく。冷え切った部屋の中で、繋いだ手と心だけが暖かい。
「うわぁ、綺麗だね!積るかな!?」
「いや…すぐにやむんじゃないかな」
「えぇ~。つまんないの」
子供の様にぷぅっと頬を膨らませるリンを見て、可愛いな、とレンは思った。
小さい頃からいつも一緒にいるのが当たり前で。気が付いたら別の感情が心に生まれていた。リンはたぶんその事に気が付いていない。
そしてこの気持ちを隠したまま、リンのそばを離れることになるのだろう。
寂しいが、それでいいのだと。レンは自分に言い聞かせた。
「雪もいいけど、俺は早く春になって欲しいな」
「あはは、レン寒いの苦手だもんね」
「…うるさい」
「春になったら…皆が笑っていられるといいね」
「……そうだな」
春になったら。たとえリンと離れ離れになるとしても、笑って別れる事ができればと。そう願いながら、レンは繋いだ手に力を込めた。
「レン」
呼ばれた声に振り向くと、頬に柔らかいものが当たった。一瞬の熱が離れ、吐息がかかる。
自分が何をされたのかを理解した瞬間、一気に顔に血が上る。…断言しよう、今ならやかんで湯を沸かせるかもしれない。
「リ…」
「おまじない!レンが合格しますようにって!」
慌てたように言って、リンは顔をそむける。赤く染まった頬は、きっと寒さのせいだけじゃないだろう。
「レン…たまには帰ってきてよね?」
「……いや、まだ行くって決まったわけじゃ…」
「合格するの!私がおまじないしたんだから!!」
「…その自信、どこから来てんの?」
「うるさいなぁ、どうでもいいじゃない!」
ぽかぽかと叩く手を、今度は甘んじて受け入れる。繋いだ手は、そのままで。
窓の外では、生徒たちの姿が増え始めた。
「学校、始まるね」
「ああ」
他には誰もいない朝の図書室。二人寄り添って、集まる生徒たちの姿を眺めている。
春まではまだ少し遠いけど、リンと二人で過ごせる時間がその分残されていると考えたら、冬のままでもいいんじゃないかと。そんな事を思っていた。
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