変わってしまった。人も、街も、景色も。
ずっと子供でいられるわけもない。時と共に心も体も変わっていく。
それは人だけじゃなく、命のないものも同じだ。

僕が通っていた中学校は、ちょうど僕たちの代でその役目を終えた。
その校舎の最後の卒業式。最後のチャイム。最後の放課後。
当時はなんだか特別な気がして嬉しくもあったけど、ずっと同じでいられる
ものなんて存在しないんだな、なんて哲学めいたことを今は考えている。

少し遠くに見えていた大きな観覧車も、そこにあって当然で、ずっと同じ
場所で回り続けているものだと勝手に思い込んでいた。その観覧車の解体
作業が執り行われたのは、ちょうど1年ほど前だっただろうか。その存在を
街中に知らしめていた大きな白い鉄骨はいとも簡単に崩れ去った。

もっとある。今、目の前に広がる住宅街。もともとここには海があったらしい。
初めて聞いたときはよく意味がわからなかった。ここが海だった?この大人は
一体何を言っているんだ、と思った。だけど理解すれば簡単なことだ。もとも
と海があったというこの場所は、人の手によって人工的に作られた土地、つま
りは埋立地なのだ。そうして人の住める場所を広げて、代わりに海は削られた。
当時海岸沿いに住んでいた人は、遠くなる波の音に何を思っただろう。

つまりは全て人の都合。勝手だと思っても、その勝手な都合の上に僕も生きて
いるから文句なんて言えない。それらの過去と一緒に、僕は暮らしてきたのだ。
とは言え、遅かれ早かれお互い終わりのある身だと思えば、それが少しの言い
訳になる気もして、どこかで甘えていた。


だけど、そんな暗黙の了解とも言える事実を今のところ無視して存在している
ものがこの街にはあった。埋め立ての危機から逃れることのできたその場所に、
その木は立っていた。

キラキラと、日の光を浴びて銀色に輝く花弁。それは明らかに他の植物と違う。
色の所為か無機質に見えるし、何より、あの木が枯れているところを一度も
見たことがない。若葉の季節も、紅葉の季節も、枯葉の季節も、その銀色の
花弁達は一切姿を変えることなく咲き続けているのだ。そんな不可思議な現象
のためか、その木に関する不気味な噂は耐えなかった。

夜な夜な死者の魂を呼び寄せるだの、家庭の事情で結ばれなかった男女が
無理心中を図った場所だだの、近付くと「置いていかないで」という女の声が
聞こえてくるだの。確かめようのない話を、一体誰がどこから仕入れてきたと
いうのか。もちろん、そのせいで誰もあの木に近付きはしない。そんな不気味
な存在なら、いっそ切り倒してしまえという話も持ち上がったが、そのせいで
この街全体に不幸が降りかかるかもしれない、なんて声まであがり始めて、
結局切り倒し計画は白紙のまま終わった。

だけど、僕はそれでよかったと思っている。みんなが忌み嫌っているから
堂々と言うことはできないけど、僕はあの木が好きだ。聞こえてくる噂話の
ようなことが起こるなんて、とてもじゃないけど信じられない。とは言っても
まだあの木の近くに行ったことがなくて、正確には行こうとして止められて、
だから噂話が本当なのかそうじゃないのかなんてどちらも断言できないのだけ
れど。

でも、思うんだ。もしあの木が今見ているようにずっと枯れずにあの場所に
立っているのなら、あの木はたくさんの人やものを見てきたんだろう。僕の
知らないことをたくさん知っているんだろう。そしてこれからも移り変わっ
ていく季節や景色を見ていくんだろう。それって、とてもロマンチックで素
敵な話じゃないか。そう思うと、その木への興味は絶えることはなかった。
同時に、街の人があんなに不気味がることに疑問を浮かべた。


そんな思いをずっと胸に秘めて、今日、僕はようやく周囲の目を掻い潜り
その木の元へたどり着くことができた。やっぱり、こういうことをするのには
夜が向いているな、なんて思いながら。まさか立ち入り禁止のフェンスまで
立てられていたなんて、そこまでは予想していなかったけど。そのフェンスを
軽々と乗り越え、真夜中であるにもかかわらず奥の方でキラキラと輝いている
花弁に胸が高鳴るのを感じた。

サクサク、と草を踏む音に混じって、奥から波の音が聞こえてくる。ここは
埋め立てられなかったから、海がすぐそこにあるんだ。そんな環境も、その木
の魅力をより一層引き立てているように感じられた。

そして、ついに目の前に現れた、銀色の花弁をたくさん纏った大きな木。
遠くで見るよりも圧倒的に迫力が違って、その美しさも何倍も跳ね上がって、
僕はただただ見惚れるばかりだった。こんなに綺麗なもの、初めて見た。
光があるわけでもないのに、花弁はキラキラと輝いている。その可憐な姿に
反して、少し視線を落とせば太い幹がしっかりと大地に根をはっていた。
噂話のことなどすっかり頭の中から消え去り、僕は引き寄せられるように
その木へと近寄った。手を伸ばせば、簡単に木肌へと手が触れる。

本当に枯れることなくずっとここで咲き続けているのだとしたら、一体どれ
ほどの時間を過ごしてきたのだろう。どんなものを、どんな人を見てきたの
だろう。これから、どんな景色を見ていくんだろう。


「・・・死なない、って・・・どんな感覚・・・?」


ふと思って、誰に尋ねるわけでもなく無意識に口を出た問い。答えなど
到底見つかりもしない、途方もない問いだ。

しかし、そんな僕の声を合図にでもしたかのように、突然花弁が舞い散った。
風は、吹いていない。ひとりでに花弁たちが枝から離れ、僕の周りを囲う様に
暴れ始めた。


「置いていかないで」


そんな声が聞こえたのは、きっと気のせいではない。ふと思い出したあの噂を
信じているわけでもない。綺麗な、だけど悲しそうな声が確かに聞こえた。
ひらひら、キラキラ、と舞う花弁たちは、まるで泣いているみたいだ。

そう感じたところで、僕はようやく全てに気付いた。
木の根元で、舞い散る花弁の中で、ただ呆然と立ち尽くす姿は傍から見れば
滑稽に見えるだろう。そんなことはどうでもいいし、今は真夜中だ。それに
フェンスを立ててまで隔離したかったこの場所に、今更誰が近付くというのか。

変わっていく景色を、終わっていく命を、きっとこの木はたくさん見てきた。
それなのに、自分は変わらず咲き続けている。枯れることなく、咲き続けて
いる。その度、この場所に何度も取り残されてきた。
何十回・・・いや、何百、何千、何万、何億と。

例えば、本当に生まれ変われるのだとしたら。もしかしたら、僕はもう既に
何度もあなたを置いてきたのかもしれない。それこそ確かめようのない話だ。
だけど、「置いていかないで」と聞こえたその言葉に理由をつけるとすれば、
それが一番しっくりくる。同時に、とても悲しい気持ちになった。

噂話は本当だった。僕にも、確かにその声は聞こえた。
だけど、その言葉には街の人が考えるような不気味な意味などなく、この木の
切なる願いが込められていたのだ。もう、自分だけ取り残されるのは嫌だ、と。
置いていかれるのなら、咲いていたくない、と。

それに気付いたところで、僕には何もできない。僕の命は、この木に比べたら
あまりにも短すぎる。僕だけじゃない。生きている人たち全てがそうだ。その
全ての終わりを、この木はまた見届けていくんだろうか。
今みたいに、泣くように花弁を散らせながら。


「ごめんね」


木に触れながら、気付けばそんなことを呟いていた。
きっと僕は、いや、僕たちは、もう何度もあなたを悲しませた。
そしてまた、同じように悲しませてしまうんだろう。
そんなことしたくないと思ったところで、時の流れに逆らうことは出来ない。

いつかむかえる終わりを思いながら、僕は謝ることしかできなかった。

ライセンス

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  • この作品を改変しないで下さい
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銀色の桜 -2-

閲覧数:268

投稿日:2014/07/09 03:34:47

文字数:3,268文字

カテゴリ:小説

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