気づいたら道端に転がっている石ころをじっと見ていた。人は誰しも石につまずくことはあっても、その小さな塊に問いかけようとはしない。でも私はふと、石ころに声をかけたらどんな返事が返ってくるだろうかと想像してしまった。石は何百年もそこにいて、風に削られ雨に打たれ、誰かに蹴られたり拾われたりしながらも形を変えてきた。そんな存在がもし言葉を持っていたなら、私よりもずっと豊かな物語を知っているのではないかと思った。
試しに石ころを手に取って「あなたはどんな景色を見てきたの」と心の中で聞いた。返事が聞こえるはずもないのに、不思議と頭の中に情景が広がっていった。知らない時代の風景、人々の足跡、川のせせらぎ。まるで石が記憶を持っていて、私に見せてくれているかのようだった。私はそれをメモのように書き留めていくうちに、物語の断片が生まれていった。
人は石を無機質な存在として扱う。でもそこに物語を与えると、一気に違う表情を見せ始める。冷たい塊ではなく、過去を抱えた旅人のように見えてくる。私はこの想像の遊びを繰り返しているうちに、自分の中の固定観念が少しずつほどけていくのを感じた。誰も気にとめないものに目を向けた瞬間、それは全く違う世界の入り口になる。
考えてみれば音楽も同じだ。日常の雑音をただのノイズとして流してしまえばそれまでだが、そこにリズムや意味を見つけた瞬間に音楽へと変わる。石ころがただの石で終わるか、語り部として生きるかは、受け取る側の意識次第なのだと思う。
昨日までの私は、目の前の石を蹴って通り過ぎていただけだった。でも今日はその石と対話し、物語を紡ぐことができた。ほんの少し見方を変えるだけで、世界はこんなにも違う色を見せてくれる。大げさに言えば、それは自分自身を追い越す一歩になる。石ころが教えてくれたのは「同じ景色でも立ち止まれば新しい声が聞こえる」ということだった。
これからも私は道端の石ころに問いかけ続けるだろう。その答えを探す過程こそが、私の創作の原動力になるのだから。
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