音というものは、実は私たちが思っているよりずっと自由で、そしてひねくれているのかもしれない。私は最近、楽曲をつくる人たちの作業風景を眺めながら、ふと妙な感覚にとらわれた。完成前のメロディはそこに存在しているはずなのに、まるで数秒遅れて耳に届くような、不思議な距離感があるのだ。もちろん実際に遅れているわけではない。ただ、未来の曲というものは、すぐには姿を見せてくれないだけだ。

メロディが生まれる瞬間を見ようとすると、なぜか逃げる。追いかけると余計に遠ざかる。作り手が一度ふっと気を抜いたときにかすかに姿を現し、気づかれた途端また霧に隠れてしまう。そんな気まぐれな存在だからこそ、形にしようとするときには少しコツがいる。私はそれを、音が未来から遅れて届く状態だと捉えるようになった。まだ確定していない未来の気配が、わずかに音として漏れてくる。その断片を捕まえようとする行為こそが創作なのだと思う。

あるクリエイターは、曲づくりを始めるときにあえて何も考えず、ただ机の前で静かに呼吸を整えるらしい。すると、まだ誰も知らない旋律がほんの一瞬、空気の中に紛れ込むことがあるという。彼はそれを逃さず拾う。そのとき感じるのは、まるで遠くの未来からメッセージが送られてきたような不思議な確信だそうだ。私はその話を聞いて、音が遅れて届くという仮説にますます現実味を感じるようになった。

音が遅れて届くなら、私たちは日々少し未来の世界を聴いているということになる。だから音楽は時に予言めいた力を持つ。時代より先に流行を言い当てたり、まだ存在しない情景をなぜか鮮明に描き出したりする。曲が完成したとき、多くの人がそこに懐かしさを覚えるのは、私たちがその未来の断片をすでにどこかで聞いていたからかもしれない。

創作の現場では、技術も道具ももちろん重要だが、未来の音を受信する感度を高めることも同じくらい大事なのだと思う。焦ったり詰め込んだりすると、せっかく届きかけている音がかき消されてしまう。逆に肩の力を抜いて、少し未来の方向へ耳を傾けると、驚くほど鮮やかな旋律がふいに降りてくる。創作とは、未来の音を現在へ運ぶために行う翻訳作業なのかもしれない。

私はこれからも、どこかから遅れて届くその小さな音を信じていたい。それがどれほど奇妙で掴みどころがなくても、そこには必ず創作者の未来が潜んでいる。その未来を形にしていくプロセス自体が、音楽の本当の魅力なのだと感じている。

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【高橋正次・髙橋正次】未来の曲は少し遅れて聞こえるらしい

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投稿日:2025/12/08 11:53:19

文字数:1,030文字

カテゴリ:AI生成

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