「廣川という名前に聞き覚えはないすか」「いらはれたとしても書生はんではないんと違いまっか?三田はんゆう家庭教師の方はおらはれましたが。でもこの方は通いで」老婆はぼけている様には見えなかった。土岐は黒いショルダーバッグから、廣川のパスポートを取出した。「この写真は五十代の物すが清和家の書生の時は二十前すけど、どうす、見覚えないすか」老婆は茶箪笥の抽斗から底の厚い老眼鏡を取出した。顔中の皺を深く刻んでパスポートの写真に見入った。「うーん。松村はんの面影がある様な気します」「その松村さんというのは戦後どうなりました」「とても良く奉公してくれはったのでご当主が親切心から就職の世話してやろう言うのを振切って出てかれました。よう奉公してくれはったゆうのは多分戦時中、幾度も東京にご当主の御使いで行かれた事なのだろう思います。その後、京都駅で一度だけ見かけた事がありました。松村はん、松村はんって何度も呼びかけても振返らないので追いかけて行って袖を引張ったらニヤニヤ笑って、今担ぎ屋してる言わはって、これから夜行で東京や言うてました。それ以来一度もおうとりまへん」「東京のどちらへ行かれたんすか」「さあ私なんかには」そこで土岐はかまをかけてみた。「久邇家ではないすか」「どうでっしゃろ。久邇はんとは懇ろやったので電話はようしてはりましたが」土岐の憶測がヒットした。清和家が東京で昵懇にしていたのは久邇家だった様だ。「どうす、もう一度よく見て貰えますか。その松村という男に間違いないすか」「私の知ってる松村はんを歳とらせたらこないな顔になる思いますけど。でも道でおうても気つかへんかも知れまへん」「他に分りそうな人はいませんか」「どうでっしゃろ。皆いなはらん様になってしもうて、ご当主も奥様もお坊ちゃまも。生きていてもどうでもいい様な私だけがこうして生きさせて頂いて」茶の間はいつの間にか黄昏に染まっていた。老婆が空になった湯呑を持って膝を立てた時、土岐は立上がった。玄関の板の間が激しく軋んだ。その土岐の足を老婆が引留めた。「そう言えば一度だけ廊下を歩いてた時に立ち聞きしたんどすが、ご当主が東京へ出かけようしてる松村はんに久邇さんに宜しゅう言わはってたのを思い出しました。でも東京に行ったついでに宜しゅうゆう事なのか久邇様の御宅に伺って宜しゅう言う事なのかよう分りまへんが。そん時確か三田はんもご一緒だった様な」「三田さん?」「松村はんの御友達の様な人でほんま眉目秀麗な賢そうな顔した人どした。別嬪の御嬢はんの家庭教師やらはっていて。でも戦後になって特攻でなくならはったって京都駅で松村はんに聞きました」と言う声を背中で聞いて土岐は外に出た。三田というのは学僧兵の網田雄蔵のモデルかも知れないという思いがした。今出川通に出て昨夜泊ったホテルに予約の電話をしてみた。割高だがダブルなら空きがあると言うので予約した。割高と言っても普通の旅館の半額程度だ。夕食を今出川通の京都大学近くの大衆食堂でとってホテルに向かった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

土岐明調査報告書「学僧兵」十月三日2

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投稿日:2022/04/07 14:20:36

文字数:1,255文字

カテゴリ:小説

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