13.ヨワネハク
夜風に誘われるようにして、ハクは過去を語る。
「実は私、ある人のお付でこの国に来たの。その人、私を嫌な状況から連れ出してくれた恩人なの……レンが髪の理由を聞きたがったんだから、覚悟して聞いて?暗い話よ」
そう言う割には、ハクの顔と口調は明るい。レンは、卓に頬杖をついて、続きを待った。
* *
ハクは、物心ついたときには、緑の国の紡染織協会にいて、針を握っていたそうだ。工芸の盛んな緑の国にあって、ハクの居た町は、刺繍と織物の技術で有名であった。その町の名を、ヨワネという。
森を流れるかそけき水の音、というのが、町の名前の由来だ。
どこで拾われてどのようにしてこの場所に流れ着いたのか、とにかくハクに親はなく、ひとりぼっちであった。さらに、髪の色が、他の緑の国の者とは違っていた。くっきりとした、目にも眩しい純白だったのである。
他の島や土地の緑の民が、修行のために緑の国に来ることは良くあることであったが、髪の色の白いものは一人もいなかった。それは、緑の民ではない、異民族の証である。
当然のことながら、容姿で悪目立ちしたハクは、格好のからかいの標的となった。
「変な髪」
「変な色」
ハクがはじめて覚えた言葉は、『バカ』だった。どこへ言ってもからかい、さけずまれたハクは、汚い言葉から覚えていった。おかげで口は悪くなり、ますます嫌われる運命となった。
「あんたなんか、生まれてこなければよかったのよ!」
誰かにそのようにののしられても、ハクにとっては日常の言葉だ。皮膚がこすれて固い豆になるように、擦れて固くなったハクの心には、誰のどんな言葉もすでに響かなかった。
「生きていて、ごめんなさい」
機械的にそう返した瞬間、相手は黙ってしまった。
ハクはいい返事を思いついたと満足した。そして、それからというもの、ハクの口癖は、「生きていてごめんなさい」となった。
どんな悪口を言われても、たった一言、そう返す。
いつしか、ハクに話しかける者は居なくなった。ハクは、とても満足した。
そんなハクだが、手先は誰よりも器用だった。刺繍の腕は、刺繍の技で世界の頂点といわれるこの町の中でも、群を抜いて素晴らしかった。
「まるで、布に世界を描くようだ」
買い付けに来る人は、工房に並べられた作品の中で、必ずハクの作品に目を留める。
風景を描くとき。幾何学模様を描くとき。誰かに送るための特別な飾り文字。ハクの作り上げたものは美しく、それは鮮やかに人の心を捉える。それがハクの誰にも負けない技術であった。工芸の職人としては最高の才能である。
工芸の町ヨワネにハクあり。孤高の美少女職人。いつしかハクはそう評されるようになり、そして評判が高まるにつれて身近な人々はハクと距離をとるようになった。
表立ったからかいは、おかげでなくなったが、陰湿ないじめは地下に潜った。何をしても裏目にでることに、他人から与えられる痛みに、ハクは思った。
「慣れれば、平気」
ひとりぼっちの森の中のすみかから工房へ通い、夕方に戻るときには陰でさまざまな嫌がらせをうける、単調で苦しい日々。ある日、ふと思いついてつぶやいてみた。
「生きていて、ごめんなさい。私が生きていると、いろんな人が嫌な思いをするみたいね」
いっそ死んでしまおうかと思ったが、死ぬのはさらに辛く苦しく、おまけに痛かったので、ハクはあきらめてしまった。
明日、目がさめなければいいのに。いつまで生きればよいのだろう。
逃げ出すことも死ぬことも出来ない不甲斐ない自分に吐き気がした。しかしその強烈な負の感情も刺繍の一針一針を進めているときはすべて忘れた。真っ白な布に向かっているときは、心も真っ白なのである。負の感情も、正の感情も、大嫌いな自分のことも、すべて。
布に向かうことがハクを生かし、ますますその腕前は上達していった。
* *
ある日、ミク女王がこの工芸の町を視察に来た。
女王はハクの所属する紡染織協会にもやってきた。工房主が、所属する職人たちの作品を自慢げに女王に示す中で、ハクの刺繍がミク女王の目に留まった。
「これ、素敵ね」
ハクは、仕事をしながらその言葉を聞いた。
相手が女王であろうと、近所のおばさんであろうと、刺繍に関しては、自分を悪く言うものは居ない。数少ないその褒め言葉が、ハクの孤独な生命を支えて生かしている。
次の日、工房に再びミクがやってきた。
ハクは例によって刺繍に心を埋めていた。周りがなにやら騒いでいたが、ハクの燃えるような赤い瞳は、そちらへちらとも動かなかった。
「こんにちは。品物を受け取りにきたわ」
ほら、あなた、行っていらっしゃい、と工房主は作業中のハクを立たせた。
ハクの手に、最近完成させたハクの作品が手渡される。
「女王が、あなたの作品を気に入って買ってくださるって、昨日聞いていなかったの?」
作業台を追い出され、押し出されるようにしてハクはミクの目の前に転び出た。
仕方なくハクは礼をとり、手渡されてきた作品を差し出す。
ミク女王は、ハクの手にふれ、それを受け取った。ハクがびくりと震えたのを、ミクはまるで気づかなかったように流した。
「あなたが、ハク、なのね。こんなに美しいものを生み出せるなんて、すごいわ」
間近で見る緑の女王は美しかった。自分とは大違いだ、とハクは思った。
「ありがとうございます」
早々に引き下がろうとしたハクに、ミクがうなずく。工房主がかわりに近づいてくる。
ハクの渡した作品を、ミクの手が撫でた。
と、するりと糸が数箇所解けた。
つづく!
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