昔、この町にも鬼を愛する人が居た。

町の人々から疎まれ避けられていた。
しかし鬼を愛する人は、とても優しくとても笑顔が素敵な女性だったと言う。

毎年夏が来る度に祖母はどこか遠くを眺めながら寂しそうに話してくれた。

この町の近くにある郡山という名の山に山賊が居た。祖母は山のある方角を指す。
しかしここから郡山は見えず、その変わりに無機質に聳え立つ高層ビル郡が顔を覗かせていた。

当時の町の人々は山賊に怯えながら生活していた。
山賊はどこか遠い異国から連れて来られたらしい。
だから山賊たちも何も好き好んで郡山に住み着いた訳じゃないのよ。と祖母は山賊の存在に同情の念を覗かせた。

鬼を愛する人と山賊が出会ったのは当然ながら郡山だった。
まだその頃は鬼を愛する人ではなく、町で暮す若い女性だった。
郡山の山道は当時、隣町に繋がる唯一の山道だったのだ。
当然ながら町の人々は極力その山道を避けたい。
それは山賊に襲われたという噂をたくさん聞くからだ。
しかし、どうしても隣町に用事がある場合には避けて通れない山道なのだ。
女性も当然その噂を町の所々で耳にしていた。
食べ物や衣類など様々な物を盗まれたという噂が主な内容だった。

女性は山道を足早に通り過ぎようと思っていた。
周囲を注意深く観察しつつも歩を進める速度は全く緩めなかった。
緩める勇気がなかったのだ。
そのせいか、女性は木の根の盛り上がった部分に足を取られ派手に転んでしまった。
女性は自分の右ひざを摩る。転んだ瞬間には声も出せないくらいの激痛が走った。
出血はしていないが酷く強打してしまったようだ。
骨が疼くように痛む。自分の鼓動と同じ波長で痛みが襲う。
歩くことは愚か、起き上がることさえ困難だった。

しばらくその場に座り込み右ひざを摩り続けていると、背後の茂みが不自然に揺らぐ。
ガサッと不気味な音と共に大男が現れた。
顎には何日も剃っていないであろう不精髭が蓄えてある。
細長くも鋭い目つきは見るもの全てを威嚇しているようだった。
何日も洗っていないであろう荒れた艶の無い髪に獣の毛皮で作られた衣服。
それを連想させる獣のような体臭を漂わせていた。この町にそんな姿をした男は居ない。
女性はその男が直ぐに山賊だと感覚で直ぐに理解した。

女性は恐怖のあまり声も出なかった。
しかし不幸中の幸いと言うべきか、女性は特に盗まれて困るような荷物は持っていなかった。
最悪の場合、自分が今着ている服装だけで堪えて貰えるかもしれない。と淡い期待を抱いた。
しかしそんな女性の願いとは裏腹に山賊はやはり女性の元までゆっくりと近づいて来る。

そして女性の目の前まで辿り着くと観察するように女性の様子を隅々まで眺めていた。
きっと自分が着ている服を物色しているのだ。と女性は諦める。
それどころか、最悪の場合、私自身もどこかに連れ去られてしまうかもしれない。と悪い方に憶測は深まるばかりだった。
山賊は一通りの観察を終えたのか、何も言わずに女性を両腕で抱え上げた。
驚くほど太く毛深い両腕は女性の体重など始めから無かったように軽々と持ち上げ歩き出した。
運ぶ際にも顔色ひとつ変えずに黙々と歩き続ける。

女性はいよいよ覚悟を決めた。自分自身も盗まれているのだと。

歩き続けてしばらく経つ。しかし山賊は何の言葉も発さない。
女性は徐々にだがこの状況に慣れつつあった。
そして一旦覚悟を決めてしまえば、不思議と落ち着きも取り戻しつつあった。
何か山賊に言葉を掛けてやろうかとも思ったが、何を話せば良いものか適切な言葉が見つからなかった。

沈黙のまま歩き続けていると、山道から少し離れた木影で誰かの話し声が聞こえて来た。
どうやら若い男同士が二人で会話をしている。

「大丈夫だって! この服も山賊に奪われたって言えば、みんな納得してくれるって!」
「それもそうだな。それじゃあ、この服は山賊に盗まれたって言って、後で遠い町に売りさばこう」
「あぁ、銭はちゃんと折半だぜ」

その会話だけで女性は全てを理解した。
それと同時にショックのあまり言葉を失った。
いや、恐怖のあまり言葉を失ったのかもしれない。
先ほど山賊に見つかった時の恐怖とは比べ物にならないほど深く冷たい恐怖だった。
それは町の売人が平気で山賊のせいにしている事実、
そんな嘘を何の疑いもせずに信じ切っている町の人々、
そして何より町の人々の中に自分が含まれている真実に。

しかし山賊はそんな売人の言葉を聞いていなかったのか、何事も無かったかのように歩を進め続ける。
不意に女性は山賊の背中から温もりを感じた。
間違いなく人間の温もりだ。
泣き出したかった。しかし堪えなければならない。
このまま涙を流してしまえば、この山賊が心配してしまう。それにこの山賊に同情してしまう事になる。
それは何としても避けなくてはならない。自分が人間であるように、この山賊も人間だと認めなければならない為にも。

結局最後まで沈黙のまま歩き続けた山賊の足が急に止まった。
そこは山道の出入り口付近だった。

「ありがとう」
女性が山賊に初めて発した言葉だった。
しかし山賊は女性の方を振り返りもせず、今来た道をそのまま折り返した。
そこで女性の目から涙が零れ落ちた。山賊の大きな背中が今では愛しく思える。

しばらく経ち、山賊の窃盗を重く見た国は、何十人もの役人たちを山に連れて山賊を捕らえた。

女性は必死で山賊の冤罪を釈明した。しかし町の人々は誰も取り扱ってくれなかった。
しばらくして山賊は打ち首にあったと言う。

そして山賊の冤罪を訴えた女性は、この町で嫌われる存在になった。

そこで祖母の話は終わる。
正確に言えば、祖母は涙を流して続きを話せるような状態ではなくなってしまうのだ。

私はここで幼過ぎる質問を祖母にした事がある。

「お祖母ちゃんはその女の人が嫌いじゃなかったの?」

祖母は白いハンカチで涙を拭いながら優しい笑顔をして首を横に振った。

そんな祖母も他界して3年が経った。
毎年ヒグラシが鳴く夕方になると鬼を愛する人と祖母の涙がセットになって思い出してしまう。
しかし最近になり祖母の話には、まだ重要な続きがあったのではないか? という気がしてきた。
しかし死んだ者から話を聞くことなど許されない行為だ。
だから私は、私が聞いた限りの内容をなるべく正確に次世代に語り継ぎたいと思う。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

鬼を愛する人 ~ショート・ストーリー~

歌詞とはまた異なる角度で書いていました。

閲覧数:3,147

投稿日:2009/07/05 07:36:17

文字数:2,663文字

カテゴリ:小説

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