ちょっと一休み・『一か月と3日遅れの誕生日』前編!
それは少し前の緑の国のお話。
「ミク様はわがままだ。」
ハクが緑の国の女王、ミクのお付きとなって3か月ほど過ぎたころ、ハクはそう学習した。
ハクは、緑の国のヨワネという紡染織で有名な工芸の村で、刺繍職人として働いていた。腕前はすこぶる良かったが、白い髪の色のせいで緑色の髪をした他の者からつまはじきにされていた。
そこに現れたのが緑の国の女王、ミクである。ミクはハクをずいぶん気に入り、ハクはミク自身に引き抜かれる形で王宮に来た。
初めはずいぶん戸惑ったハクも、ずいぶんと王宮に慣れてきた。機能的だが上等な女王の側仕えの服にも、さまざまな人が出入りする王宮の生活にも、そして、主人となったミクの性格にも。
この日の朝、いつものようにミクの身支度を手伝うハクに、ミクは微笑んで宣ったのだ。
「ねぇ、ハク」
「はい、ミクさま」
こういう呼びかけをするミクには警戒したほうがいい。
ハクの脳内でミク様わがまま警鐘が鳴り始める。
「もうすぐ、秋ね」
「ええ……そうですね」
ミクらしくないあいまいな会話に、ハクの中で警鐘がいよいよ大きくなる。ミクの髪にレース編みのリボンを器用に花結びにしているのだが、その指も速まる。早く完璧に完成させて離れようというその気合が、リボンの造形に美しく反映されていく。
「ハク、そういえば」
「はい」
嫌な呼びかけに、ハクの手が一瞬止まる。
「私、あなたから誕生日のプレゼントをまだ貰っていないわ」
がったーん、と派手な物音をたてて、ハクの肘が近くの小卓を突き倒した。
「も、申し訳ありません! 」
「それは何に対する謝罪かしら? 机の上の物の事なら気にしなくていいわよ?」
あわてて散らばったさまざまな化粧用の小瓶や本を拾い集めようとしたハクに、二つに分けた髪の片方だけリボンを結んだミクがにこりと振り返った。
「つ、」
ハクが頬を染めて顔を上げる。
「もちろん、机の上の物のことです! 」
ミクはたまに意地悪なものの言い方をする。しかしハクは存外に気が強い。意地悪を言われたらそれがたとえ主人の女王であろうと、ハクの本能が倍の力で言葉を叩き返す。
「わ、私は、ちゃんと申し上げました! お誕生日おめでとうございますと! お忘れですか、悲しいです」
一方ミクは、伊達に女王に君臨しているわけではない。多少無礼な物言いをするハクの言葉をもてあそぶ様に、にっこりと返す。
「あら、お祝いは言葉だけ? 」
ハクはぐっと詰まる。
「そ、それは、」
ハクも、本当はミクに何か祝いの品を贈りたかった。しかし、華やかに着飾った人たちがミクにうやうやしく誕生日の贈り物をしていくのを見て、何となく贈りそびれていたのだ。
「……ミクさまは、素敵なものを、すでにたくさんお持ちでしょう……」
ハクの頭がうつむいていく。
本当は、ハクはどう誕生日を祝ってよいのか解らなかったのだ。ハクは幼いころから『白の娘』と呼ばれ、ひとりぼっちですごしてきた。生まれて来て良かったと思うこともなかったし、誰かが生まれて良かったと思ったこともなかった。何せ口癖は『生まれてきてごめんなさい』だ。
ミクは、ハクの頭を見つめ、フフンと鼻を鳴らす。
「まあ、いいでしょう」
許しの言葉に、ハクが上目づかいに目を上げる。
「ハク。私、歌がいいわ」
「……は? 」
ハクの目が丸く見開かれる。
「誕生日の贈り物よ。私、ハクから歌が欲しいわ」
「は、え、……はい? 」
「よろしくね? 」
そういうとミクはさっさと椅子を立つ。歩きながらハクの結んだ反対側のリボンを、自らの手で蝶の形に結んだ。ミクの緑の髪の上で、花と蝶が揺れながらハクの視界から遠ざかる。
「ちょ、ちょっと、ミクさま? えええぇぇえっ……??」
「楽しみだわ! ええ、とっても楽しみにしているわ! 」
ミクの声が本当に楽しげに弾み、緑の国を率いる女王はまるで街の少女のように、ひらひらとハクに向かって手を振った。
あとには、おろおろと目を白黒させるハクが残された。
* *
その日の昼休みのこと。
ネルは王宮の中庭の木陰でのんびりとくつろいでいた。夏の熱さも近頃はおさまり、あたりには真昼でもさわやかな風が吹いている。
ネルの仕事は、その金色の髪と目の特徴を生かし、黄の国で情勢を探ることだ。緑の髪と瞳をもつ緑の民の中に居るとネルの容貌は異色だが、その姿を生かしてネルはミク女王から仕事をもらい、上手に生きていた。
「ふぅ……やっぱり緑の国は生き返るな……」
夏、強烈な乾燥に襲われる内陸の黄の国とは違い、緑の国はおだやかな湾に面し、山に囲まれ、比較的穏やかな気候に恵まれている。
乾燥にさらされた肌いっぱいに緑の国の海からの風を浴び、ネルがうとうとと睡魔に身を任せたその時、
「ネルちゃん……!! んわっ! 」
遠くから弱々しいような慌てたような焦ったような声が突っ込んできて、木陰に座って伸ばしていたネルの脚に躓いた。
芝生にどすんと倒れる音がする。
「……」
ネルは不機嫌そうに片目を開けて倒れた物体を見やった。
ひゅっと指笛を鳴らすと、鷹が空から降りてきて、倒れたハクの上にとまった。鳥がつんつんとハクの白い髪を引っ張る。
「んう……ネルちゃん、大変なの……」
「またあんたか」
起き上がろうとじたばたともがくハクに、ネルは面倒くさそうに足を跳ね上げると、ハクは再び倒れこんだ。今度は仰向けに。
「で? どうしたのよ? 誰かにいじめられた? それとも、あたしにいじめて欲しいの? 」
「んぐっ……」
ミクの家来は、誰もが曲者ぞろいである。
ハクの話を聞いたネルは思い切り笑った。
「あっははは! なにその罰ゲーム! さすがミク様! 」
「笑いごとじゃないよ! わ、私、歌なんか歌えないよ! 」
ひたすらうろたえるハクを見てネルはさらに笑う。
「別にうまく歌えとは言われてないんでしょ? 歌えばいいじゃない」
「だから、歌なんか歌ったことないんだってば! 」
「一度も? 」
「一度も! 」
ネルは、ふむ、と笑いやむ。
「そういや、そうかもね。歌ってほら、一人で歌うことないから」
歌が使われるのは大体、誕生日や祭りや行事である。ずっとひとりで過ごしてきたハクには縁がなかったんだろうなとネルは想像した。
「じゃあさ、誕生日に歌う歌、あれでいいじゃん」
それはミクの誕生日のパーティや、ハクの居た村でもよく聞いた、馴染みの歌だった。誰もが良く知っている。メロディも簡単だ。
「試しに練習してみたら? 」
ハクはしばらく拳の形の手を胸に当てて固まっていたが、やがて真剣な顔でうなずいた。
すっと大きく息を吸う。
口を開ける。
しばらくの静寂ののち、また大きく息を吸う。
しばらくの静寂の後、噎せる。
ネルは頬杖をついて面白そうにそれを眺めていたが、
「……飽きた寝る」
「ネルちゃああああん!!」
ごろりと寝っ転がろうとしたネルを、がくんとハクが引っ張り起こした。
後編へ続く!
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