10

俺がパソコンに戻ったのは、ミクの助言を聞いた、次の日だった。その日は土曜日で、一般的には休みの曜日だった。

「今、帰りました」

 俺が声を出すと、「ん?」と画面外から声が聞こえた。どうやら今日は休みらしい。新聞を読んでいたのか、片手に持っていたそれを脇に置く。「やっと戻ってきたか」

「すいません。遅くなって」

「それはいい。で、どうだった。どれくらいの人に話した?」

「……妹が見つかったか、訊かないんですね」

「ああ」思い出したように訊く。俺は残念ながら、と返した。

「そうかい」

「いろんな人に話しましたよ。それはもう、たくさんの人に」

「おお、そうか」

「で、質問なんですが」

 あらためて、俺は画面にいる人を見た。観察した。照らし合わせた。

「妹の名前って、なんでしたっけ?」

「……妹?」

「ええ。すいません、忘れてしまって。さっきまで覚えていたんですが、ど忘れですかね」

「ああ、よくあるよ。たまにある。気にする必要はないさ」と言って、笑った。会話が途切れる。

「で、名前はなんですか?」俺は促した。

「名前か……あれ、なんだったっけな。つられて、忘れてしまったかな?」

頬を掻く。悩んでいるように見えた。記憶を漁っているようには見えなかった。俺は一拍置いた。そして、最後に確認した。

本人確認を行った。

「似たような名前だと思ったんですが……アタナ……アナタ……アンタ。ああ! 確か、ジウワサ アンタカではなかったですか?」

 その人は、


「おお、そうだった。アンタカだよ。だめだな、妹の名前を忘れちゃあ」


 と言った。

 俺は言う。ミクの言った、急激に冷めていく感覚に苛まれながら「ごめんなさい、嘘です」

「嘘?」

「妹の名前は、キミカさんですよ。ちゃんと、調べておいてくださいね」

 で、と俺はあらためて、確認をする。本人確認ができなかった。

なら、この人は。

「あなたは、誰ですか?」

 最初にあったとき、アタナは、長い髪と豊かな胸をしていた。それで女性と判断しろと言ってきたのだから、特徴があったのだろう。

 だが、目の前にいる人物に、それはなかった。地味な服。だらしない服装、髪は短髪、なのではなく薄くなっているのだろう。白髪は混じってないところを見ると、そこまで歳はいってないのかもしれない。

その人、男性は、アタナではない誰かは、出来の悪い子どもを褒めるように笑った。

「ようやく、気付いたか。というか、今まで気付かなかったほうがスゲエや。あんたらみたいなのは、みんなそうなのかい?」

「さあ。俺だけかもしれません」

「にしても、女性と男性だぜ?」

 と、その男性はタバコに火をつけて、笑った。まさにおじさんと言ってもいいくらいの容姿だった。意識して聞けば、高さから口調から全く違う。俺は、少し、わかっていた。なんとなくアタナの様子がおかしいと。だが、髪がなくなったことぐらい、ちょっと男性っぽくなったことぐらい、服装の趣味が変わったとこぐらい、その程度しか俺は思わなかった。

 俺は、人の区別ができない。性別の判断もできない。目の前にいる人を、無条件で、なんの疑いもなく、アタナだと思っていた。

「ジウワサの言った通りだったな。人の区別ができない。まさかここまでとは思わなかったが、俺たちにとっては都合がいいことに変わりない」

 紫煙を燻らせ、タバコの火を画面に向ける。

「ここ数日、お疲れさん。いやー、よく働いてくれたよ。助かった」

「妹探しは、嘘でしたか?」

「嘘、嘘、大嘘。あいつに妹なんざいねえよ。とっさについたって言ってたな。バカなあいつにしてみれば、頭が回ってたってことかな」

「……なるほど」

「傷付いたか?」

「自分の間抜けさ加減に、嫌気がさしているんですよ」

「ははっ、いいね。なんとなくだが、お前、気に入ったよ」

「そいつはどうも」

 全く嬉しくないのだが。

「ひとつ、訊いていいですか?」

「ん?」

「ジウワサ アタナさんは無事ですか?」

 その問いに、そいつは、

「悪りい。殺しちゃった」

笑顔で、そう告げた。


11

「ジウワサ アタナ。それはいったいどういう字を書くんだい?」

 ミクはまずそう言った。「まさか、本当に『次』の『噂』と書くんじゃないだろうね?」

「いや、違う。ジウワサは、『時雨』に、業物の『業』、それに『与』えるに那覇の『那』。それで、時雨業 与那だ」

「その時雨業さんだがね、残念ながら行方不明だそうだよ。それも、三日前から」

「……は?」

 ミクは上を、流れているニュースを指差した。そんなわけないと思いつつも、「……本当だ」

 音は混ざりあったその中、確かに、時雨業が行方不明になったというニュースがある。

「三日前って、俺は昨日も話してきたばっかなのに」いくら時間感覚が薄いといっても、三日とさっきとを間違うことはない。「なんかの間違いとかじゃない? 同姓同名とか」

 こんなに珍しい名前が二人といるかと思ったが、可能性はある。が、実際に流れたニュースの顔写真で、その可能性はなくなった。行方不明。時雨業 与那は。

「じゃあ。俺と話していたのは、誰なのさ」

「だから、それが答えなんだろう?」

「え?」

「偽物なんだよ、そいつは。キミがここ数日感じた違和感。相手が違ったのなら、当たり前だろう。『誰か』なのさ。『誰か』なんだよ。『誰か』しかありえないのさ」

 俺はなにも答えることはできなかった。



ーーその鏡音レンは、奮闘する その5ーー

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その鏡音レンは、奮闘する その5

掌編小説。
『その鏡音レンは、奮闘する その6』に続きます。

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投稿日:2016/09/14 22:49:19

文字数:2,340文字

カテゴリ:小説

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