「出来た」
　槐斗は目の前のモニタを見つめ、ホッとしたようにため息をついた。

　自立思考型AIを搭載したヒューマノイド「DOLL」槐斗はその中で【VOCALOID】と
呼ばれるヒューマノイドの研究ラボに勤務している。
　世界的多国籍企業「マクシミリアン・インダストリー」は「DOLL」の開発・製造
・販売を行う企業で、各国に支社と研究ラボを置いていた。
　ラボがあるのは都市部より離れた場所で、槐斗の居るラボも小高い山の中腹に厳
重なコンクリート製の塀に囲まれて建っている。
　槐斗が学生時代に書いた、自立思考型AIの研究と開発についての論文がこの会社
の上層部の目に止まり、卒業後ヘッドハントされてこのラボに入った。
　「DOLL」は汎用人型アンドロイドに様々な機能を搭載したもので、「マクシミリ
アン・インダストリー」が特許を持っている。他社製品が同じ機能を持っていても
それは「DOLL」と呼ばれない。「イヴ」と名付けて販売する企業もある位だ。
　槐斗が勤務するラボは、「DOLL」に【VOCALOID】の機能を与えたヒューマノイド
の開発・研究を行なっていた。現在、様々な【VOCALOID】が製造され出荷されてい
る。
　槐斗は自社から１体の【VOCALOID】を購入し、勤務のかたわら「実験」という名
目で独自の研究を行なっていた。それは特に珍しいことではない。
　ラボに務める研究者達は、それぞれ各自で「DOLL」を購入し、更なる研究開発に
勤しんでいたからだ。中にはそうでない者もいるが、それについて会社側から問わ
れることはない。

　槐斗は備え付けのコーヒーサーバで珈琲を入れ、一口飲んでホッと息を吐いた。
　離れて暮らす弟の為、己の持てる知識と技術を総て注ぎ込んで造り上げた【VOCA
LOID】がやっと完成したのだ。
　「真琴、お前の誕生日に間に合ったよ」
　PCの横に置いた写真立ての中で笑う、学生服姿の弟に向かって槐斗は優しく微笑
んだ。

　槐斗が「マクシミリアン・インダストリー」からヘッドハントされた時、真琴は
中学生になったばかりだった。数年前に両親を事故で亡くしていたのに、自分まで
居なくなってはと一度は断った。だが会社側が『真琴の生活の総てを保証する。も
し槐斗の身に何かあっても真琴の生涯の面倒は会社側が総て責任を取る』との条件
を提示してきた。その上『自立思考型AIについても好きなように研究してくれて構
わない。開発資金も研究費用も総て会社側で負担する』破格の待遇に心が揺れた。
　「兄さん、僕なら独りでも大丈夫だよ」
　悩んでいた気持ちにケリをつけたのは真琴からの言葉だった。
　「兄さんが作った【VOCALOID】いつか見せてね？」
　「解った。お前だけの【VOCALOID】を造り上げてやるからな」
　「うん」
　
　あれから４年。槐斗は既存の【VOCALOID】に「感情」を与える研究を続けた。
　人と同じ様に「喜怒哀楽」を感じる事の出来る自立思考型AIの研究は、もう何十
年も前から行われていたが、「人の感情」というものをデータ化するのは難しく、
遅々として進んでいなかった。
　北米支社のラボで「データ化成功」という話が出たが、まだ「実装」までは至っ
ていないらしい。会社の上層部は総ての「DOLL」に「喜怒哀楽を実装」し、他社製
品との差別化戦略を目論んでいた。
　「マクシミリアン・インダストリー」がラボの研究者達に破格の待遇をしている
のは、他の会社に引きぬかれない為と、機密保持に重きを置いているからだ。
　槐斗も入社以来、個人の研究室内にあるプライベートルームで生活している。
　月に１度弟に会えればマシな方だ。研究者達の中には何年も家族と会ってない者
もいた。

　「もうすぐ櫻が咲くな。お前も早く逢いたいだろ？なあ【KAITO】」
　強化アクリル製の筒型水槽の中で、穏やかに微笑む男性型【VOCALOID】に向かっ
て、槐斗は笑いかけた。自分と同じ名前を付け、自身をモデルに造り上げた新しい
【VOCALOID】は、「喜怒哀楽」の感情を実装させた、世界初の【VOCALOID】だ。
　だがこの「感情」は、槐斗をモデルにしたものなので汎用性はない。
　槐斗も会社側には報告せずに【KAITO】に組み込んでいた。
　唯一人、真琴の為だけに存在する【VOCALOID】なのだから。　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ー続くー