カイトの指示で、メイコとレンが事務所を閉店させる。カーテンを閉め、扉に『close』の札を下げた。ミクはそれをずっと見ていたが、閉じ込められたなどの恐怖はなかった。それぐらいのことなら、もう予想はできていた。
「じゃあ、改めて訊こうか。ミクちゃん。依頼は?」
「……助けて、ください」
「なにから?」
「殺人鬼、から」
殺人鬼。穏やかでない単語に、カイトの口角が少し上がる
「殺人鬼なんて、一方外に出れば五万といる。その全てから守ることはできない。……いや、できるけど、お金がいる」
「私を狙っている殺人鬼は、一人しかいません」
「誰?」
「鎌鼬」
「かまいたち」
その言葉を噛みしめるようにカイトは復唱。なるほど、だったらこの事務所に駆け込んできた理由もわかる。
鎌鼬は、つい一ヶ月ほど前から噂されている連続殺人鬼だ。すでに被害は甚大で、この一ヶ月で50人以上の人間が死んでいる。
殺されていた。
全身を切り裂かれて。
「鎌鼬ね。なんとも特殊な殺人鬼に追われているもんだ。で、なんでそんな珍しい奴に目を付けられてんの?」
「それは……私が見てしまったからだと思います」
「なにを?」
「彼の姿を」
「ほー。それはそれは、立派な理由だ」
カイトはミクの言葉を茶化したわけではない。単純にそう思っただけだ。
殺人鬼、鎌鼬。そいつを見た人は、誰もいない。この『鎌鼬』という愛称も、誰かが勝手につけたものだ。姿なく人を切り裂く様子を喩えたのだろう。犯人は風かと思うほど、その手口は大胆で、単純で、豪快で、容赦が無かった。
皆殺し、である。
殺人鬼 鎌鼬が最初に現れてから今日まで、彼が行ったとされる犯行は3回。そのどれも、10人以上殺している。老若男女関係なく、関係あるとすれば、ただそこにいたという共通点だけで、みんな死んだ。
逃げることを許さないように足を斬り。
目を覆うことのないよう手を切り。
悲鳴をあげることのないよう首を落とし。
姿を見られることのないよう目を刺し。
思考できないよう脳を両断し。
確実に仕留めるために心臓を貫き。
上半身と下半身を分け別々に刻み。
全身が赤くなるように、血に染まるように皮膚を裂き。
細かく小さく、かつて人だったことを忘れるように寸刻みにした。
老若男女関係なく、平等に容赦なく。ただ相手が『人間』であるだけで殺す殺人鬼。それが鎌鼬だ。
「……私が、彼を見たのは、偶然でした」
ミクはポツポツと語り出す。
「夜、一人で街の中を歩いていたら、小さな悲鳴が聞こえたんです。『ぎゃ』みたいな、悲鳴を上げたんだけど無理やりそれを抑えられたみたいな途切れ方でした。私は不信に思って、悲鳴があったほうへ向かっていったんです。そこに、鎌鼬がいました」
月明かりに照らされる彼の姿は、真っ赤だったという。そして目だけが異様に光り、手には大ぶりのナイフを持っていたという。
「私は夢中でその場から立ち去りました。鎌鼬は皆殺しだと聞いていましたから。でも、その後ろから追いかけてくる音がずっと聞こえてきて、右に曲がっても左に曲がってもずっと追いかけてくるんです。私はずっと逃げました。朝になるまで逃げました。知らない街にきても、ずっと逃げました。それでようやく、仕事に行く人が多くなったとき、足音が消えているのに気がついたんです」
「なら、逃れたわけだ。鎌鼬の追撃から」
ミクは小さく頷いた。
「でも、まだ鎌鼬は私を追っていると思います。目撃者の私を殺すために。そのとき、この事務所のことを聞いたんです。そして、先ほどの合言葉も教えてもらいました」
「なるほど」
「お願いです。助けてください」
ミクの依頼に、カイトは即答しなかった。椅子に背中を預け、腕を組む。
その様子をメイコとレンは黙って見ていた。
ややあって、カイトは膝を打つ。
「いいだろう。引き受けた」
「本当ですか!」
ミクの表情に初めて笑みが浮かぶ。今にも踊り出しそうな感じだった。しかし、それもすぐにしぼむ。
「あの、それで、費用は」
「ああ、それなら気にしないでいいよ。ミクちゃんを仕向けた奴に払ってもらうから」
「つまり、タダ?」
「払いたければ払っていいけど、多分子どもじゃ絶対に払えない金額だからね」
ミクはぶんぶんと首を振る。ツインテールが一緒にバサバサとフケを撒き散らした。
「よし、じゃあ、僕たちはこれから鎌鼬のことを調べるから。もう帰っていいよ」
「……え?」
「ん? どうした?」
「あの、守ってくれないんですか?」
「守る? ああ、鎌鼬から。一応問題はないと思うけど……そうだね、万が一依頼人になにかあれば大変だ。レンくん」
いきなり名前を呼ばれたレンが変な声を出す。首が勢いよくカイトのほうを向いた。
「ボディーガードよろしく」
「な、なんで俺が!」
「だって、キミしかいないじゃん。僕もメイコも、これから仕事だし。調べるとなれば、キミが一番そういうの遅いだろ?」
反論できないようで、レンが口をパクパクさせる。が、やがて諦めたようにがっくりと肩を落とした。
「ということだ。今から、あの黄色のお兄ちゃんがボディーガードになるから、なにかあればあいつに言って。大抵のことはできるはずだから」
「でも……」
「大丈夫。彼も立派な社員の一人だから。仕事はできる男だと保証するよ」





「ばいばーい」とカイトが二人を見送る。ミクは最後まで半信半疑、レンはこちらを睨んでいたが、それには取り合わなかった。
あれから、ひとまず、ミクの容姿を整えることになった。レンにお金を渡し、服を与えるように指示を出す。それから一回家に連れていき、風呂に入れるように言った。
「なんで家?」とレンは訝しんだが、そのついでになにか食わせてやれということらしい。服を買うついでに銭湯と、飲食代を渡せばいいとレンは反論したが、そんな金どこにあると突っぱねられた。
「服はいいのかよ」
「それぐらいは、あいつに払ってもらおう。けしかけたのは向こうだし、まあ嫌な顔はすれど払ってくれるだろう」
「一緒に飲食代は?」
「レンくんが交渉するっていうならいいよ」
レンは諦めるしかなかった。

二人が出て行った事務所の中で。
「いいんですか?」
と。メイコが言った。
「なにが?」
「多分、嘘ですよ」
「嘘?」
「ミクって子が言ったこと、多分、嘘です」
「そんなこと」
カイトは微笑んだままメイコを見遣る。
「僕が気付ていないと思ったかい?」
「……失礼しました」
「まあ、嘘であれなんであれ。あの言葉を言ったんだ。引き受けるしかない。多少苦労はするだろうけど」
「たくさん苦労してください。そうしたほうが多くのお金を引き出せます」
「…………」
「最低、入院レベルまでお願いします」
「……ちょっと、厳しいかな。僕ってほら、痛いの嫌いだし」
「冗談です」
「あー、やっぱり」
「入院一歩手前で止めてください。入院されると後々お金がかかるので」
「……善処、したくない」



一応、鏡音レンは健全な男子だ。異性に人並みに興味はあるし、年も考慮するならばここらで恋人の一人や二人、経験していてもおかしくない。が、どうもそれを踏み入れないでいるのは、職場にいる一人の女性と、ライバル会社の女性社員2人。それと、かつて一緒だった姉の存在があるからである。
その誰もがレンの女性に対する印象を酷く捻じ曲げているのだが、諸悪の根源とも言える最初の女性は間違いなく姉であり、あれがもう少しマシであればもっと女性の見方が変わっていたほどだと思うほどである。まあ、姉がいなければレンもこの世に生まれていないのだが。
もちろん、世の女性全てがあんなのだと思い込むほどレンは世間知らずではないのだが、少しばかり、恐怖はある。
この、ミクは、どうなのかと。
「服ねえ」と、後ろを盗み見しつつぼやいてみる。レンの3歩後ろを歩くミクは顔を上げた。
「俺、悪いけど女性の服見立てたことなんてないよ」
だから一人で勝手に選んでくれ、と言いたいところであるが、じゃああとはよろしくとほっぽり出すわけにもいかない。この身なりを見ればわかる。どこかから逃げ出して来たのだろう。施設、と言っていたか。
「一応訊いとくけど、その服、あんたの?」
ミクは首を振って否定した。
「あっそ。……まあ、高そうな服じゃないし、持ち主が特定できそうなものも無さそうだし、大丈夫かな」
「……これは」
ミクは、服の襟のあたりを少し持ち上げる。
「ゴミ箱から持ってきたので、大丈夫です」
「……そ」
なら、問題ねえ、とつぶやく。事務所を出てかれこれ30分。そろそろ適当な服屋にでも入って一式揃えたい。渡された所持金はそこそこあるが、無駄使いをするとそれが自分に跳ね返ってきそうで怖い。いつも自分が買っているところでもいいが、下手に顔が知られているためあまり行きたくない。
「なあ、どこ入るか決めてくれ」
「…………」
「気に入ったものがあれば買っていいから。まあ、あんまり高いもんは無理だけどさ」
「……それより」
「ん?」
「……シャワーを、浴びたい」
ミクが髪を触る。確かに、この状態で店に入るのは抵抗があるかもしれない。ミクだって女の子だ。人目は気にする。
「……そっか、悪い。気がつかなかった。けど、どうすんかな。この辺に銭湯なんてないし……」
となれば、もう結論は出たも当然である。
「ウチん家来るか」




自宅に女性を招く、という以外に高いハードルをひょいと越していることに、幸いにも災いにも、このときの鏡音レンは気づいてはいないが、ともかくミクを家に誘い入れることに成功はした。強引に解釈するならば、会社を出るときにカイトが言った『家に云々』をそのまま実行しただけのことになるのだが、もちろんそれは『カイトの家に』である。レンの家ではない。
「遠慮しないでいから。スリッパ……なんてものはないけど、いいよな?」
ミクは頷く。「お邪魔します」と小さな声でいい、レンの後に靴を脱いだ。
「風呂は玄関入ってすぐ右。脱衣所……はないから、今作る」
座ってて、とレンはビリングを指差した。ワンルームなので、玄関を入ればもうその部屋の間取りが見てわかる。一人暮らし用と考えれば十分な広さだ。
部屋の真ん中は正方形のテーブルがひとつ。それと、背もたれの角度が自由に変えられる椅子、テレビ、本棚、カラーボックスがひとつずつ。部屋の隅には綿ぼこりがあったが、片付ける暇なんてなかっただろうということを考えると、以外に綺麗好きな性格なのかもしれないとミクは思う。
「座ってて……て」
この椅子でいいのかと思う。これを使ったら、レンが使うものがない。フローリングに直に腰を降ろすかと悩んでいると、レンが戻ってきた。
「とりあえずこれでOKだと思う。シャワー浴びてきていいよ」
「あ……、うん。ありがとう、ございます 」
「どういたしまして」とレンは言って椅子に座ってしまった。
ミクはお風呂にーー玄関入ってすぐ右というレンの言葉を思い出してーー行く。なるほど。確かに脱衣所はないも当然だ。玄関を入って右を見れば、すぐにお風呂の扉が目に入る。そこに扉なんてものはなく、丸見えの状態である。しかし、今はそこに暖簾が垂らしてある。カーテンレールもないので、つっぱり棒に暖簾が通してあるだけなのだけれど、言っても暖簾なので全身が隠れるわけではない。それでも膝下まで隠れるので、まったく問題なかった。
「……お借りします」
小さく呟き、お風呂を借りる。タオルとバスタオルは用意してあった。だから、ミクはなんの疑問もなく、ありがたく、お風呂を借りた。
このとき、レンにもう少し配慮があったのならば、この先のことを回避できたかもしれないのだが、レンが自宅に女性を招くなんてことは初めてだったし、ミクのことも良く知ってはいなかった。
お風呂に入ったあとどうなるか、想像すれば容易いことなのに、レンはこのあとどこの服屋に連れて行こうかとしか考えていなかったのである。




ーー無頼 その2ーー

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

無頼 その2

掌編小説。
『無頼 その3』に続きます。

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投稿日:2016/09/15 21:09:42

文字数:5,060文字

カテゴリ:小説

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