3-2.
……やはり、今後を含めてこれを着るのは僕だけってことだ。たとえ評判が良くて、他のスタッフの衣装も作ることになったとしても、ここまで派手にはならないんだろう。
「まあまあ奏クン。本番はともかく、いま試しに一回着てみてってば。絶対に似合うから!」
初音さんの言葉に、CryptoDIVAの全員がウンウンとうなずく。
うなずかないで下さい。
「そもそも……サイズ合うんですか? みんなはちゃんと採寸してますけど、僕はそんなことしてないですよ」
「ボクが目測で決めた。まー奏クンはちょっと大っきいサイズ着てるのもウケると思うんだよね。ファン層的に」
誰のファン層の話だよ、それは。
「あー。袖が余ってダボダボになってたりね」
「それは……確かに尊い」
CryptoDIVAの年長組が初音さんの言葉に納得している。しないで。
一人静かにしていた鏡音リンさんに、僕は救いを求めて視線を向ける。が、最年少の彼女はただニヤッと笑って親指を立ててみせた。やめろ。
なんだこれ。敵しかいないぞ。
「奏。オメーには二つの選択肢がある」
「……」
社長が厳正っぽく告げるけれど、僕はその二つの選択肢がどっちもどっちなんだろうという想像がついた。
「一つ。次のライブでは、ちょっとブカブカ目の執事服を着る。この場合、CryptoDIVAのファンの一割くらいは奪うことができるだろう」
僕がCryptoDIVAからファンを奪って一体どうしろと。
「もう一つ。今すぐ採寸し直して、ぴったりサイズの執事服を着る。ファンはそこまで奪えねーかもしんねーが、自分の威厳を保つことができる。どっちがいい?」
威厳を保つことができる。そうか? それで保つことができるか?
社長の言葉がちょっと理解できなかったけれど、追求したら負けだ。なにが負けなのかもわかっていないけれど。
「どっち選んでも対して変わらないじゃないですか……」
「あーもうっ! 奏クンはダメなことが多すぎるよ!」
初音さんは業を煮やして叫ぶ。
「抱えてる荷物が多すぎ! できない理由ばっかり探してるじゃん。そーゆーのよくない!」
「だ、だけどーー」
「ーー光あれ!」
初音さんは突然僕をビシッと指さしてそう叫び、僕の反論を封じる。
「はい?」
だけど、その言葉にポカンとしたのは僕だけではなかったみたいで、他の皆も初音さんの言葉に目を丸くしている。
「うん。まあ……なんだ。聖書の言葉だな。これも格言……なのか?」
首をかしげて解説する社長に、ルカさんも同じように首をかしげた。
「うーん。教養ではあるでしょうけど」
「そんなことはどうでもいいの! 大事なコトはね、奏クンが輝ける存在なのに輝くのを否定してるってことなんだよ!」
両拳を強く握りしめ、初音さんが力説する。
「いまは輝く必要なんかないって思ってるのかもしれない。それで十分なんだって、表舞台に立つ必要なんかないって。でもね、違うんだよ。……それは、臆病になってるだけ。自分が輝いたときのことを怖がってるだけなんだ。奏クンはもっと輝ける存在のハズなの。一回もやらないまま否定するのは間違ってるよ。まだ見ぬ明日を……否定、しないでよ……」
最後には泣きそうな顔でうつむく初音さん。
こんなに必死な初音さんは初めて見たかもしれない。ライブ前でも、初音さんはどこか陽気とでも言うのか、余裕があるといった方がいいのか……とにかく、必死というよりはライブを心底楽しんでいた。
そんな彼女が必死になってそう主張する様を見て……僕はなんだかいたたまれない気持ちになってしまう。
「わ、わかったよ。わかった。着るよ。着るからそんなーー」
「ーー着てくれるの? やった、流石奏クン!」
さっきまで泣きそうな顔でうつむいていたくせに、素晴らしい変わり身で目を輝かせて僕の手を掴んでくる初音さん。
……やられた。僕は初音さんの作戦にまんまとハマったみたいだ。
「光あれ!」
僕の手をブンブンと振りながら、初音さんは満面の笑みを浮かべる。
「おい」
「いやーもう聞いちゃったからね。ボクだけじゃなくて皆が聞いたもんね。言質をとったよこれは」
「おい」
「やっぱり奏クンは輝いてこそだよ。いままで裏方しかやってこなかったのが間違い。こういう衣装を身にまとって、皆に夢を与えなきゃ」
「おい」
「絶対に似合う。絶対に似合うから。似合わないわけがないもん。奏クンがこんな衣装を着てくれるのをどれだけ待ってたことか……」
「おい」
「いやー無理。もう無理だよ。反論は受け付けません。さあ早く服を脱いでこれを着ようか。フィッティングを確認しないと。大変ならボクが手伝ってあげるからさ」
掴んだ手をがっしりと握りしめ、僕を逃す気ゼロの初音さん。目が据わっている。ちょっと怖い。
「初音さん。わかった。わかったからちょっと落ち着いて」
「本当にわかった?」
どこか狂気すら感じる瞳で、僕を真っ直ぐに射抜く初音さん。ちょっと怖いと思ったのは嘘だった。ちょっとなんかじゃない。いまの初音さんはかなり怖い。
「……わ、わかった」
「説明して?」
「僕は……次のライブで執事服を着て業務をこなします」
「よろしい。いまからきっちり採寸する? ダボダボなのもカワイイと思うし、人気も出ると思うの。それでもいいんじゃない?」
「……お願いです。採寸させてください」
初音さんが僕の手をがっしりと握りしめていなかったら、そしてこの場に社長とCryptoDIVAのメンバーがいなかったら、僕は初音さんに土下座していただろう。
「仕方ないなぁ。採寸させてあげるから、とりあえずこれは着てみてよ。デザインはいじる必要が出てくるかもしれないし」
「……はい。わかりました」
「よぉーっし!」
僕の敗北宣言に、初音さんが拳を突き上げる。
なんだこれ。
「じゃーお洋服を脱ぎ脱ぎしましょうねぇ。お姉さんたちに任せてくれれば、奏クンはなにもしなくていいからねぇ」
「だめだめだめ! 自分でやるから!」
「だあーいじょーぶ。ルカ姉もメイコ姉もリンちゃんも手伝ってくれるから」
初音さんが狂気に満ちた笑みを浮かべている向こうで、CryptoDIVAのメンバーもうなずいている。やめて。
「余計に大丈夫じゃないよ!」
「まあまあ。ミクちゃんから許可をもらっちゃったことだしねえ?」
「メイコさん!」
「男の子を脱がせるって……凄く背徳感がありますね」
「ルカさんまで……それ、アイドルにあっちゃいけない行動ですよ」
「だからやりたくなるんじゃない。しかもミク姉のお墨付きでできるってことは……実質合法、みたいな感じでしょ?」
リンさんもウキウキしながらそんなことを言ってくる。
合法ってなんだよ。
言ってることがめちゃくちゃだ。
にじり寄るCryptoDIVAの面々に、僕も後ろに下がる……が、すぐに壁に追い詰められてしまう。
「オメーは皆に愛されてんなぁ」
「どこがですか! バカ言ってないで助けてくださいよ社長!」
「あっははは!」
逃げ場を失った僕の悲鳴に、高松社長は心底面白そうに笑っている。
くそっ。あの人、いつか呪い殺してやる。
「初音さん、落ち着いて。着替えるから。自分で着替えて、ちゃんと皆の前でお披露目するから。だからおねがーー」
「ーーいやいや、奏マネージャー様にお手をわずらわせるわけにはいかないよ。ボクたちに任せてくれれば、奏マネージャー様はなにもしなくても着替えさせてあげるから大丈夫だって」
「目が血走ってて説得力ゼロだから! 自分でするから! ほら、ヨダレ垂れそうになってるって! アイドルの自覚を持って?」
「おっとあぶない」
僕の指摘に初音さんがあわてて口もとをぬぐう。
危ない?
アイドルとしてはもう手遅れじゃないか?
「初音さん」
「なにかな、奏クン」
「隣の更衣室で着替えてくるから、お願いだから、ここで待っててくれるかな」
僕の真剣な言葉に、初音さんが口ごもる。
「え……でも、その……逃げ出さずに本当に着替えるか、確認しないと……」
「僕ってそんなに信用ないの? 言っちゃなんだけど僕は結構初音さんに誠実に仕事をしてきたと思うんだけど」
「ぐっ……」
心底悔しそうに歯噛みする初音さんは、アイドルにあるまじき顔をしている。
それを見て、高松社長が含み笑いをする。
「わかってやれよ奏。ミクはオメーにゾッコンなんだ。着替え姿を覗きたいって思ってもしかたねーだろ」
「はい?」
「違うってば社長! そんなんじゃなくて」
ポカンとする僕となぜか慌てる初音さんをよそに、CryptoDIVAの年長組は達観した様子だ。
「まあ……ミクちゃんがそう思ってるならアタシたちが邪魔するわけにはいかないわねぇ」
「えぇー……残念」
「リン、仕方ないでしょ。ミクから奏君を奪おうっていうのは自殺行為よ」
「確かにそーだけどさ」
「ルカ姉もなに言ってるの! リンも納得しないで!」
「そうですよ。それじゃまるで初音さんが僕のことがーー」
「ーー奏」
社長はするどい声で僕を制止する。
「そこから先は口にするんじゃない。その反論は身を滅ぼす。これは社長としてじゃなく、失敗を経験した人生の先輩からの忠告だ。大人しく聞いておけ」
「は、はぁ……」
妙に真面目な高松さんの口調に、僕は黙るしかない。でも、失敗したことのあるって……なにを言っているんだ? だって、僕の言おうとしたことって別に……。
「さ、オメーは着替えてこい。あとミク、今回は着替えを手伝うのはあきらめるんだな」
「うう……」
「次回以降のお楽しみにとっとけ」
「はあーい」
初音さんは口をへの字に曲げ、渋々とした顔を隠そうともしなかったが、それでも社長の言葉に引き下がる。
でも、社長も「今回は」とか言ってるし、今後、衣装合わせがある度にこのやり取りをすることになるんじゃないだろうか。
「ぐぬぬ……」
「あとな、ミク」
「……はい」
「本当に成就させたいなら、アイドルとしてやり遂げたあとにしろよ。アイドルの仕事なんかどうでもいいって言うなら……まぁ、オレは止めねーけどよ」
やれやれ、なんて言い出しそうな口調の高松社長に、初音さんは文字通り飛び上がる。
「社長! ボク、ボボボクはそそそそんなことことなななーー」
「あのなあ。メイコとルカとリンの三人が気づいたことを、オレが気づかねーわけねーだろーがよ。奏はクソほどニブいから気づいてねーみてーだが、アイツ以外にはバレバレ。なんならファンにだってバレてんぞ。言い訳したって無駄だ」
厳然と告げる社長に、CryptoDIVAの他の面々もうなずく。そんな皆の態度に、初音さんは世界が終わったような顔をしてうずくまる。けれど、僕にはそんな皆のリアクションがちっともわからない。
っていうか、ドサクサに紛れて僕は暴言を吐かれなかったか?
「あ、あうう……」
「否定するつもりはねぇよ。胸に抱えてる分には、止めさせるつもりもねぇ。むしろ、そういう強い感情ってのはプラスになる。そういう気持ちを表に出せてこそ、情熱的な表現ができるってもんだ」
「しゃちょおー……」
「だが流石に、スキャンダルは許されん。どうしてもって言うなら、アイドルとしてのケジメをつけてもらったあとでなきゃならん。……言いたいことはわかるな?」
「……はい」
「だからそれまで、しっかり繋ぎ止めておけ。オレみたいになってもらっちゃ、寝覚めがワリーからな」
過去を噛みしめるような高松社長の言葉に、皆が黙る。
「……」
高松社長の言葉の続きを追求できる人なんて、ここにはいなかった。
急に静かになった会議室はひどく居心地が悪くて、僕は無理に明るい声を出す。
「じゃあ、えっと。……着替えてきます」
僕は苦笑いを浮かべながら、執事服を着たマネキンを抱えてそそくさと会議室から出る。
社長の過去も、初音さんの思いも、いま聞けるような状況だとはとても思えなかった。
僕にできたのは、ただそそくさと逃げ出して着替えることだけだった。
……結局着替え終わった頃には、会議室の雰囲気も和やかなものになっていて、僕は派手な衣装を着ていながらもずいぶんホッとした。とはいえ、CryptoDIVAの衣装よりも僕の衣装の修正に時間がかかったし、皆のこだわりもすごかったのはどうなのかとは思ったけれど。
そのおかげなのか……次のライブでは異常なくらいに僕のことが話題に上がった。CryptoDIVAのライブスタッフがファンから「執事」とか「バトラー」とか呼ばれるようになったのは、これ以降のことだ。
そして……結局聞くことのできなかった社長の真意というか、初音さんの真意を知るには、さらに八年もの月日を費やすことになったのだ。
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