弾幕に嬲られ最早原形を留めぬまで破壊されたカムイが、目の前でゆっくりと崩れ落ちた。
私は注意深く立ち上がった。各モジュールステータスチェック。コンディションオールグリーン。
私はベルナールを見た。
ベルナールは数名の機動隊員にアサルトライフルを突きつけられているが、その表情は些かも揺るいでいない。
「国際手配犯アルベール・ミショーだな? スパイ容疑、産業スパイ容疑、密入国、脅迫、監禁、傷害、銃刀法違反、放火殺人容疑で現行犯逮捕する。手をゆっくりと頭の上に乗せろ」
アルベール・ミショー?
ベルナールというのは偽名ということだろうか?
にしても、このアルベール・ミショーと呼ばれた男の余裕は一体どこからきているのだろうと思うと気味が悪くなった。

突如、私の動体センサが警告を発した。警察官の識別コード認識できず。IFF(Identification Friend or Foe:敵味方識別装置)レッドアラート!
「警官でない誰かが接近中です」
私の言葉が終わるか終わらないかのうちに機動隊員の幾人かが銃口を出入り口に向けたが、隊員の銃が火を噴くより早く銃声が壁の向こうから響いた。
それは正確に機動隊員を襲った。ボディアーマーがなければ機動隊員の大半の命はなかったろう。銃弾が壁を撃ち抜いていたために威力が半減していたのも幸いした。
動体センサから反応が消え、そして揺らぐようにまた反応があった。リンから送られてくる3Dマップには反応なし。これは……。
「電子迷彩(ステルス)だ!」
部隊は二つに分かれ、一派はミショーを取り囲んでいたはずだが、その混乱が一瞬の隙を生んだ。
「おっと、それ以上の抵抗はよしていただこう」
ミショーは机の上に伏臥するマスターを掴み上げ、その喉元にアーミーナイフを突きつけていた。
「形勢逆転、だな」
ミショーはそう言って嗤(わら)った。

「いいえ、状況は変わりません」
私は言い切る。
「私のシステムを要求している限り、あなたには選択権はありません」
ミショーは鼻を鳴らした。
「自分でメモリをクリアする? できるものか! 自殺するコンピュータなどありはしない。そしてアドミニストレータの許可なくフォーマットなどできる訳がない!」
私は笑ってみせた。
「試してみますか?」
ミショーはそれでも自信を崩さない。
「よしんば君の言う通りだとしても何ら問題はない。何ら、ね」
不敵な笑みを見せるミショーはただ強がっているだけには見えない。その理由は?
壁の向こう側で再び動体反応!!
私はバックステップでその場所から飛び退くと、間髪入れずに背後の壁が砕けた。成程、私がCPUとメモリにアクセスする前に電源を破壊しようと言う算段ですか。頭さえ持ち帰れば彼の仕事は完了ということみたい。

手持ちの武装はカムイから奪った鉄製の鞘だけ……って、ちょっと待って!
拵えが日本刀ということはもしかして……。
私は鞘をそっと確かめた。そこには古式に則り、一口の小柄(こづか)が納められていたのだ。
小柄とは刀の装備品の一つで日常に使用される小刀のようなものだ。本来投擲(とうてき)には用を為さない物だが、どこを間違って伝えられたのか、ここにささっている小柄は投擲用の手裏剣となっていた。私にとっては好都合だが。

でも壁の向こうから攻撃してくるのは何者でしょう?
動体反応は出たり消えたりと安定しないし、ビルのセキュリティを素通りするなんて通常考えられない。
何者かが接近すればリンからデータが届くはずだ。

私は机に身を隠し、蜂の巣のようになった壁を伺った。
グレーの小さな物体がちらちらと蠢いている。
その姿をスナップショットに納めてネットで適合しそうな画像を検索してみた。装備は少々異なるが、大きさ、デザインで類似性の見られる画像が200点ほどヒットした。
それは第三次イラク戦争で米軍が初めて実戦に投入したと言われるロボット兵器『インセクト』と呼ばれるものだった。9mmマシーネンブラスターを1門乃至(ないし) 2門装備した、30cmほどの昆虫型ロボット兵器で、構造やアルゴリズムは極めて単純且つ原始的だが、センサ類に探知されにくくどこにでも潜入できるので隠密作戦などに用いられたらしい。

「さあ、かくれんぼは終わりだ。ゆっくり立ち上がってこちらへ来たまえ」
ミショーがマスターの陰に隠れて言った。マスターの首元で刃渡り30cmほどのアーミーナイフが紅い非常灯の光を跳ね返してぎらりと光る。
「私もそろそろ出発の時間が迫っているのでね」

私は周囲を見渡した。
ミショーはマスターの陰に隠れ、10名ほどの機動隊員はアサルトライフルを構えつつ5mほどの距離を保っている。机は散乱し、硝煙がうっすらと立ち篭めていた。
何か使えそうなものは?
焦ると言うのはこういう心理状態を言うのだろうか。
何か、何かないのかしら?

ふと、3mほど離れた壁面に火災報知機と消火器が設置されているのが見えた。使えるだろうか?
「さあ!」
ミショーの急かすような言葉に私は小柄を抜き鉄製の鞘で穂を潰した。
私は手を挙げてゆっくりと立ち上がる。
ミショーからは見えぬように小柄を指に挟み、鞘を足の甲に載せて。
その姿を見てミショーは観念したと見たのか、勝者の笑みを浮かべた。

私はだしぬけにミショーのナイフを持つ右手に小柄を投げた。小柄はミショーの肘に鈍い音を立てて当たり、ミショーはナイフを取り落としこそしなかったが、顔をゆがめて一瞬怯んだ。
私はミショーの反応を見る前に鞘を足で弾き上げて彼に背を向け、一足飛びに火災報知器のボタンを手に取った鞘の石突で突くように叩き押す。
壁からインセクトが顔を出して私に一斉射撃を開始したが、直後に作動した警報のノイズで超音波センサーのゲインを奪われた。また、ブラスターの銃身の熱が勢いよく噴出したスプリンクラーの水で急冷されて大量の蒸気を生み、視界をも奪われたインセクトは射撃を中止した。
ここまで1.5秒。
次の0.5秒で私は消火器を掴んでいた。セーフティを解除するのとホースをミショーに向けるのが同時だった。
レバーを引いた瞬間、第二ラボは消火剤の煙に包まれた。気を失っているマスターとゴーグルをしている特殊部隊員は無事だが、ミショーはそうはいかない。
「この!!」
ミショーが力の入らない右手でマスターの首を切り裂く直前に、機動隊員の手という手に取り押さえられ、ミショーはマスターから引き離された。
がらん、とナイフがリノリウムの床に落ちた。
怒声と悪態が煙の向こうでもみ合っていたが、それもすぐ静かになった。

こうして、インターネット社とクリプトン社を巻き込んだスパイ事件は幕を下したのだった。

ライセンス

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  • この作品を改変しないで下さい
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存在理由 (17)

閲覧数:182

投稿日:2009/05/18 00:52:25

文字数:2,776文字

カテゴリ:小説

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