目の前には大きな赤い鳥居があった。
 俺はそれをカメラの射程に入れて、シャッターを切った。
 ――カシャン
 すると、静かな空間に、シャッター音が響き渡る。
 ここは、北海道の丹頂神社。丹頂の神様が居る神社だ。
 俺の名前は、渋谷直行(しぶや なおゆき)。大学生。教授の依頼で、この神社の調査に来た。
 この神社は、それはもう古びて寂れた神社で、管理する神主も巫女もいない。打ち捨てられた神社だった。数百年前には、にぎやかだったらしいが、その面影はどこにもない。
 これを、調べてきて論文にするのが俺の仕事だった。
 時計を見る。時刻はすでに夕方に差し掛かっていた。
 ……朝にこの町に着いたのだが、この神社に来るまでにトラブルが多発してなかなか進めなかったのだった。
「急がないとな」
 失礼しまーす、と心の中で言ったあと、俺は鳥居の先を進み入る。
 目の前には、少し朽ちた拝殿と本殿があった。
「……ずいぶんぼろぼろだな」
 俺はそれに対してカメラを構えた。
「失礼しまーす」
 ――カシャン
 ガラガラガラ――
 拝殿の扉が開く音にハッとして顔をあげる。
 すると、そこにはいぶかしげな顔をした、黒い袴と雪のような美しい白い髪でツインテールの巫女さんが立っていた。
 俺は驚愕で口を開ける。
「勝手に撮らないでください」
 その巫女さんは、腕を組んで俺を睨む。
 俺はそれに面食らってしばしば呆然としたあと、頭を下げた。
「あ、すみません、まさか人がいるなんて」
 確か誰もいないと地元のおじいさんに聞いたはずなのに。まさかあのおじいさん、ぼけていたのかな。
「……そうよ、わたしは居るわ」
 ふんっと彼女はあごを上げた。
 これはまずい。このままじゃ調査が出来ない。
「あの、すみません、この神社のことを調査しに来たのですが」
「……そんなこといって、実はタンちゃんたちを狙っているのでしょ!」
 タンちゃん? あ、丹頂鶴のことか。
「滅相もないです。条例でそんなことできません」
「条例?」
 あれ、この巫女さん知らないのか?
 俺はそれをかいつまんで話してみた。
「ふーん、人間も変わったもんね」
「え?」
「あ、いや、なんでもないわ」
 この娘、頭おかしいのか。
「俺は大学教授の依頼でこの神社の調査をしに来たのです」
 それをまたかいつまんで話した。
「へー、こんな寂れた神社に、よく来たわね」
 巫女さんがなぜか歓心しながら何度も頷いた。
「あなた、名前は?」
「渋谷直行です」
「直行さんね」
「……巫女さんの名前は?」
「へ? あ、ああ……」
 巫女さんはしばしば考えたあと、
「ミクでいいわ」
 そう言って、警戒心が解けたのか、拝殿の階段を下りて近づいてきた。
「せっかくだから、お茶しない?」
 ミクさんは俺の腕を取る。
「え、でも」
「いいからいいから」
 俺は時計を見た。まあいいか。
 すでに境内は真っ赤に染まり始めていた。
 まあ、夜も安全運転をすれば大丈夫だろう。
 俺はミクさんに裾を掴まれたまま、社務所に向かった。

 社務所に近づく。
「ちょっと待っててね」
 ミクさんは中に入る。
 ――ドタドタダダダダ
 なんの音?
「いいよー」
 ……たぶん、掃除をしていたに違いない。
 俺は社務所に入って、少しむせた。
 玄関から廊下へと、電気が付いている。
 ライトの設備は少し古いが、まだ使える模様だった。
 てか、電気が通っていたのか!?
 あのおじいさん、人が居ないなんて嘘じゃないか。
 俺は玄関で靴を揃えて入ると、ミクさんがくつろいだ様子で座っていた。
 床にはお茶を入れた湯のみと、おせんべいがあった。
「さあ座って座って」
 俺は言われたとおりのところに座った。
「ねえねえ、今、町の様子はどうなの?」
 どうやらこの巫女さんは、町の様子が気になるらしい。
 俺は先ほどのおじいさんを話す。
「へえー、あいつ、そんなこと言ったんだ」
「あいつ?」
「あ、いや」
 ミクさんは焦ったように首を横にふった。
 嘘をついたおじいさんとそんなに親しかったのか?
「あ、あんたはなにしに来たの?」
「この神社を調べようと」
 さっき言ったんだが。
「ちょっと待って、書庫を調べてくるね」
 ミクさんは少し誤魔化すように言って立ち上がって、社務所の奥に入る。
 しばらくすると、ミクさんが出てきた。
「ごめーん。整理してなくて、時間がかかりそう」
 そうか、それなら仕方が無い。
 俺は立ち上がる。
「だめ。夜は危険だから。と、泊まってかない?」
 ミクさんが慌てて引き止めてきた。
「でも」
 女の子のところに泊まるのもなあ。
「大丈夫、わたしが腕によりをかけて料理を作るから!」
 ミクさんが俺の腕を掴んで離さない。
「……泊まって大丈夫」
 俺はそんな不埒なことはしないが、神社に泊まるなんて考えたことがなかったのだった。
「大丈夫、直行さんだから」
 ……それを言われては仕方が無い。
 俺は床に座った。
 ミクさんは嬉しそうにニコニコした。
「あ、お風呂沸いているから、入っててください」
 え、いつのまに!?
 俺はしばらく逡巡したあと、お風呂場へと向かった。

 というか、聞いた話ではお風呂場なんて無かったはずだが。
 それはちゃんと掃除が行き届いたお風呂場があって……。
 俺は疲れをしっかり癒したのだった。
 お風呂場から出て先ほどのところへ向かうと、近づくにつれて良い匂いが鼻にたどり着いた。
「待ってましたよ」
 さきほどの場所にはいつの間にかテーブルが置いてあって、そこには美味しそうな食卓が並んでいた。
 俺は自然と卵焼きによだれが出てしまう。
「どうぞ」
 俺はさっそくその卵焼きを口に放り込んでみた。
「……美味しい」
「直行さんに出会えてよかった」
 俺はそれを夢中になって食べる。
 ミクさんもニコニコしながら食べていく。
「……ふぅ。ごちそうさま」
 こんな美味い飯、食べたことなかった。
 ミクさんは照れたように顔を背ける。
「あ」
「どうしたの?」
「わたしもお風呂へ行ってきます」
 そう言って、ミクさんは立ち上がる。
 でも、なかなか動かない。
 ミクさんはちょっと眉間に皺をつくると、
「直行さん、覗いたらただじゃすみませんよ」
 俺はあわてて首を横に振った。
「……ふふ、直行さんだから大丈夫だとわかってますよ」
 なんだ、冗談か。
 ミクさんはお風呂場へと消えて言った。
 しばらくすると、お風呂場から水の音が聞こえてくる。
 気にしない気にしない。
 俺は食器を片すと、本棚へと向かった。
 揃えてある本がずいぶんとふるい。
「これ、いつの時代だよ」
 しばらく待っていると、ドタドタと足音が近づいてきた。
 ミクさんはパジャマに着替えていた。
「お布団ももう敷いておきました」
 ミクさんから石鹸の良い匂いが届く。
 俺はそれに思わずどきっとしてしまった。
「あ、ああ分かった」
 俺はまたトイレと洗面所へ向かって、用事を済まして、お布団のある部屋と向かった。

 まあ、当然だよな。
 お布団が二枚敷いてあった。
「直行さんは、このあとどうするの?」
「そうだな、書庫にある資料を見せてもらったあと」
 帰らなければならない。でも、不思議と帰りたいという気持ちがなくなり始めていた。
「明日、資料を渡します。それで、もしよかったら」
 もし良かったら?
「神楽を見て頂きたいの」
 神楽か。神社の貴重な資料になりそうだな。
「それと、その教授とやらとの用事が済んだら、また来ていただきませんか」
 これは……。
「……考えておきたい」
「やった」
 これ以上会話を進めるとやばい気がして、
「おやすみ」
 と先に言う。
「おやすみ、直行さん」
 布団が暖かい。神社で寝るのは初めてだけど、この分だとぐっすりと眠れそうだ。


 ――チュンチュンチュン!
 すずめの鳴き声が聞こえる。
 ふと、顔に視線を感じて瞼をゆっくりと開けると。
 そこには顔を赤くしたミクさんがじっと見ていた。
 そのまなざしが優しくて、俺はまたどきっとしてしまう。
「あ、ごめんなさい」
 ミクさんは慌てて俺から離れた。
 ちょっと惜しいな。
 ミクさんはすでに黒い袴の巫女服に着替えていて。
「おはようございます」
 俺は起きた。
「朝食、食べよう」
「うん」
 今もどきどきしていて、心臓の高鳴りが止まらない。
 だから頷くことしか出来なかった。
 俺はトイレと洗面所で用を済まして、昨日の場所へ向かうと、良い匂いが漂ってきた。

「いただきます」
 俺はその美味しい料理を食べていく。
 昨日とはさらに一品二品とおかずの品数が増えていて、朝からこんな食べて良いのか迷ったが、そのまま胃袋へ入れてしまった。
「朝起きて調べた書庫に資料です」
 俺はそれを受け取って、パラパラとめくった。
「へえ、丹頂鶴の神様ね」
「……この祭神様は、古くから、この一帯の丹頂鶴を守っています」
「ん?」
「どうかしました?」
「いや、なんでもない」
 俺はそれを誤魔化すようにしてさらにページをめくった。
 さっきめくったページに、同じような巫女さんが居た気がしたのだが。
「……ありがとうございます。お借りして良いですか」
「はい!」
 ミクさんがそわそわしていた。
「それでその、わたしの神楽を見ていただきませんか」
 いつの間にか時刻は昼過ぎになっていた。
「お願いします」
 俺とミクさんは社務所を出ると、神楽殿へと向かった。

 ミクさんはさっそく神楽殿へ上がると境内に厳粛な空気が漂った。
「やります」
 ――シャン、シャン、シャン
 神楽鈴の音が神社に響き渡る。
 それは幻想の始まりだった。
 素直に美しいと思った。
 意識がぼーっとし始める。
 夢中になってみていると、一瞬だけ、ミクさんと丹頂鶴が重なって見えた瞬間があった。
 それは見間違いと感じられなくて……。
「ふぅー、どうでした? 直行さん」
「素晴らしかった。……素敵だった」
「えへへ、良かったです」
 さっきのはいったいなんだったのだろう。
 見間違いとは思えない。
 俺とミクさんは談笑しながら社務所へ入った。
 また夕方になった。

 俺は帰りたくなくなってきていた。
 このままここに居ても良いんじゃないかと思えてきた矢先だった。
 ニコニコしたミクさんが、ふと真顔になって顔を上げる。
 そして泣きそうな顔をして俺を見る。
「え」
「せっかく、せっかく、直行さんと会えたのに」
 ミクさんは少し悲しげな顔をしながら立ち上がった。
「……結界を解きます」
 ミクさんは立ち上がると、
「あの、けっして覗かないでくださいね」
 俺はそれが直感的に示すものに気が付いた。
 ミクさんは奥の座敷に引っ込む。
 これは、覗けということなのだろうか。
 覗けば、俺とミクさんの関係が終わってしまう。
 だけど、あの悲壮感と決意の表情を見たら、男として禁忌を犯さなければならないと思った。
 ミクさんごめん。
 予想があたりませんように。
 俺はふすまを開けた。
 そこに居たのはさきほどのミクさんではなく、
 丹頂鶴のミクさんだった。
 さきほどの声で、その丹頂鶴が話す。
「このまま直行さんと一緒に居たかった。だけど、わたしにも役目があるのです」
 ――ドーン!
 こんなところで聞こえるはずがないのに、その銃声が聞こえてきた。
 漁師だ。不届き者の漁師がまだ居たなんて。
「直行さん、あなたと夫婦になりたかった」
「ミクさん!」
「さようなら、直行さん」
 化身の丹頂鶴が翼を羽ばたかせる。
 たくさん有った障子がいっせいに開いた。
 ミクさんが飛んでいってしまう。
 俺は追いかける。
 ミクさんの飛んで言った方向に、漁師が居る。
 俺は神社の近くに止めてあった車に飛び乗って、ミクさんを追いかけた。
「あそこか」
 俺はブレーキをした。
 慌ててドアを開け閉めして、飛び出す。
 居た。
 漁師と丹頂鶴となったミクさんが居た。
「やめろおおおおお」
 俺は漁師に向かって走る。
 漁師が気づいた。
 漁師が慌てる。
 あれは、散弾銃だ。
「あ」
 ――ドドーン
「うわああああ」
 銃声のあと、漁師は一目散に逃げていく。
 俺はそのまま地面に身体をつっぷした。
 近づく足音。
「直行さん」
 その声はガラガラだった。
 ははっ、俺、ここで終わるのかな・
 ミクさん体を起こされて、膝枕をされた。
「直行さん直行さん」
 そんな身体を揺らさないでくれ。痛いんだ。
「許せません」
 朦朧とした意識になりながらミクさんを見た。
 その瞳が黒く染まったかと思うと、
 遠くで車が事故を起こす音が聞こえた。
 その音を聞いて、もとの綺麗な瞳に戻るミクさん。
 その顔は泣きそうだった。
「うう」
 ミクさんは袖で目の涙をぬぐう。
「直行さんに出会えてよかった」
「俺も」
「良かった」
 ミクさんはにっこりと笑った。
 そして、顔に決意をみなぎらせる。
「わたしの存在の力をかけて、絶対に直行さんを救ってみせます」
 それって……。
「ふふ、良いんですよ。これはわたしに対する罰なんですから」
 ミクさんは日付を教えてくれた。
 どうやら、時間の感覚がずれていたらしい。
 すでに一ヶ月が経っていた。
「あとは頼みます」
 ミクさんはにっこりと笑うと、額にやわらかい感触が伝わった。
「ミ……ク」
 意識が落ちていく。
 お風呂場を覗いとけばよかったかもしれない。それだけが後悔になりそうだった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

雪ミク2018『恋する雪の少女』前編

 雪まつりとライブ行きたかった。来年こそ行きたい。

 今回のお話は、鶴の昔話に異類婚姻譚を加えたようなお話ですね。
 もし楽しんでくれたら嬉しいです。

 今回はわりと物語がスムーズに浮かんだ気がします。力が付いてきたのかも。
 分量はまだまだだけど、これからもいろんなボカロで書いていきたいと思う。

 ちなみに今好きな曲は、雪ミクの曲……を紹介したいところだけど、まだ聞いてない。
 雪ミクというより、冬ミクの歌をよく聞いてます。
『ミルクココア/KeN(ケチャッッP)』がおすすめ。何度も聞いてしまう良い歌です。


 次は弦巻マキちゃんでお話を書いてみたい。

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投稿日:2018/02/13 00:08:14

文字数:5,620文字

カテゴリ:小説

ブクマつながり

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