13、進路調査票

「じゃあ、進路調査票配るね」
 担任の木戸先生がそう言って、教室に並べられた机の最前列の人たちに、進路調査票を配る。
 私は前から回ってきた進路調査票を見て、「はぁ」とため息をつく。
 進路調査票の配布は今回で二回目だ。これがまた苦痛なのだ。
 私は、自分の将来とか考えたことがなかった。一回目の進路調査票で、やっと自分のしたいことを考え出したくらいなのだから、考えても見つからない。

 周りの人の話を色々聴いてみても、どこの高校に行けば自分の就きたい職業に就けるとか、あの高校に行けば絶対に就職できるとかの話で盛り上がっている。
 正直、私は自分の人生には関心が湧いていないのだと思う。自分のことについても、なんに対しても人事なのだろう。ほら。今の出さえ人事だ。「私はどうしたいの?」って自分に問いかけてみても、どの自分に聴けばいいのかがわからない。自分の中に、他の自分が何人も居るような感覚なのだ。それが辛い。自分を保ててないんだな……。

                  *

「うっし。帰ろう」
「うん」
 中体連が終わり、エノヒロ君も部活を引退した。茶道部には、中体連も無いが私も茶道部を引退した。
 夏の、ジリジリと日差しが照りつけてくる時期だ。蝉が鳴いている。だんだん夏も本番に近づいてきて、暑さが体に絡み付いてきてうざったい時期になってくる。
 臨海学校での出来事から、私とエノヒロ君との距離が少し縮んだ。臨海学校の最終日、鹿野君からガツンと言われたエノヒロ君は、完全に気分が落ちていて夕日を見つめながらただ呆然としていた。そんなエノヒロ君をただ見ていた私は、情けない気持ちになった。でも、どうしようもなかったんだよね……。

 両想いと判ったところで、私たちの恋は進展せず。ただ、決められたレールの上を坦々と走っている恋だ。なんの目的も無いのに走り続けている。
「加冶屋はさ」
 エノヒロ君がいつものトーンで私に話しかける。この声は心地よくて、ほっとする。
「どこの高校いくの?」
 さっきのむず痒い感じや、嬉しい気持ちはこの言葉によって吹き飛んだ。
「俺はやっぱ、三笠高校がいいな。頭も程々なとこがいい」
 エノヒロ君がそう言って、「俺は頭悪いから」と付け足した。
 エノヒロ君は……。何で、三笠を選んだのだろう……。ふと気になって、エノヒロ君に聞いてみる。

「高校って……何を基準に考えてる?」
 私は、そう言ってエノヒロ君を見上げる。その瞬間、ふと目が合う。私たちは恥ずかしさで思わず顔を背けてしまう。
「じ、自分の学力とかで決めてるよ」
 エノヒロ君は少し震えた声で言う。そう言ってヘラッと笑いながら付け足す。
「あと、将来したいことがあるから、それに向かう踏み台として三笠を選らんだ」

            *

 家に帰り自分の部屋に入る。そして、バックから進路調査票を出す。
 ベッドに横たわり、進路調査票を照明に照らして透かしてみても答えはでない。悲しみのせいか、またため息が出る。
 エノヒロ君も、進路とか先のこと考えてたんだな……。私とは全然違う。どうしよう。私だけ皆から置いていかれた感じがする。
 すると、私の携帯電話が鳴る。着信音はaikoの『ボーイフレンド』私はaikoが好きなので、大事な人の着信音―エノヒロ君の着信音はこれにしている。でも、エノヒロ君からのメールはよく来るけれど、電話は初めてだ。少し緊張している。
 私は起き上がって携帯電話を手に取り、液晶画面に「榎本権弘」の文字が出ているのを確認して、携帯電話を耳につける。

「もしもし」
 私は少し緊張した声色で、話しかける。
『……』
 エノヒロ君は、少しの沈黙を保った。
『か、加治屋だよな……?』
 電話の奥から震えた声が聴こえる。あれ? これってエノヒロ君の声かな?

「うん……そうだけど」
 エノヒロ君のおかしな質問に少し笑ってしまう。私が笑うとエノヒロ君は「びっくりしたぁー」と言って言葉を続けた。
『電話ごしだと人の声って変わるんだなぁ。久しぶりに電話したからわからなかったよ』
 エノヒロ君はそう言って安堵の息を漏らす。
「私も誰かと思ったけど、着信がエノヒロ君だったから、おかしいなぁって思ったんだよ」
 私がそう言うと、エノヒロ君は「そりゃそうでしょ」と言って、笑う。短い笑いの後に、エノヒロ君は真面目な声色になる。
『今日はどうしたの?』
「えっ?」
 私がそう言うと、エノヒロ君は早口で言う。

『なんか……見た感じ元気なかったし……どうしたのかなぁって思ってさ』
 恥ずかしいのか、最後のほうは消え入りそうな声だった。そして、慌てて付け加える。
『ご、ごめん……。気持ち悪かったよな。彼氏でもないのに、電話してくんなって話だよな……』
 エノヒロ君は自分によっぽど自信が無いのか、自虐ばかりする。これは大分前からしていること。さすがに、十五年間一緒にいる円香は慣れているらしいけれど、出会って二年半、私は未だに慣れない。エノヒロ君はもっと前向きでいいと思うのに……。
「ううん。そんなこと無いよ。逆に変だと思ってくれてありがとう」
 エノヒロ君は、私の返事を聴いて、ホッとしたのか息を漏らす。
「ちょっと気にかかってることがあってね……」
『え? なに? 相談なら……乗るけど……』

 エノヒロ君はまた、自信なさげな声を出す。
 少しの沈黙のあと、エノヒロ君が『加治屋?』と言ってきたので「うん」と返事をする。
 私は沈黙の間、悩んでいた。
 エノヒロ君の進路もあるから、ここで相談なんてしていいのかな? と。
 ここで、相談したら私は甘えてばかりだから強くならないのではないかと、少しばかりの不安が湧き出てきていた。そう悩んでいたときに、エノヒロ君が沈黙を破る言葉を発したのだった。
「なんかさ、よくわかんないんだよね」
 私がそう切り出すと、後は想い任せに口々に言葉が出てくる。

「自分が何をしたいのか、何がいいのか、何が楽しいのか。三年生になってから余計わからなくなってきた。逆に、自分はこれからやっていけるのか、高校に受かるのか、何事も上手にやっていけるのか、そればっかり気にしちゃうんだよ。そりゃあ誰にだって悩みがあるから今まで溜めてきたけど、もう、どうしようかってわかんなくなっちゃった」
 自分の思い―自分の人生に対しての思いをエノヒロ君に吐き出した。少し目が潤んできたので、人差し指で目を拭った。
 エノヒロ君は、静かに私の話を聴いてくれていた。
『要するにさ』

 私の話が終わって、エノヒロ君は改まったように口を開いた。
『加治屋は、完璧主義者なんだよ。何でも、完璧にこなそうとしている。それが重荷になってるんじゃないかな? 正直、今の話の趣旨が見えなかったけど、加治屋が相当悩んでることが判った。加治屋は完璧主義者だから、少しの曲がったことも大嫌いなんだよね。それは判らないこともないよ。でも、少しは手を抜かないと疲れるよ』
 エノヒロ君は、さっきの情けない声から一変してハキハキとた口調で話している。

「……ありがとう。ホッとしたよ」
 これは本当の気持ちなのだろうか……。今でも判らない。どの自分が思っているのかな?
『そ、そう……。なら、よかった。今からちょっと塾だから。あんま無理すんなよ』
「うん。じゃあね」
『おう』
 エノヒロ君はそう言って通話を終了した。
 私はまたベッドに寝そべりため息を吐く。
 何で、進路調査票からこんなになったのかは曖昧だ。

 エノヒロ君に対して申し訳ない気持ちが溢れてくる。大して自分の気持ちもわからないのに、相手が喜んでくれると信じて言った空台詞。形だけの言葉はたぶん、伝わっていなくて、エノヒロ君の心に言葉が入る前に落ちていったのだろう。エノヒロ君が好きで好きでたまらないのに……。だからあんな嘘をついたの? 喜んでもらいたかったから? でも、嘘をつかない方が喜んでくれたかも知れない。

 もう、わかんない。

 自分が何をしたいのか。

 自分がどうしたいのか。

 自分が一体なんなのか。

                *

 なんだかんだ言っても、時は流れるわけであって、とうとう進路調査票を提出する日になってしまった。
 木戸先生は一人一人に声をかけて、進路調査票を集配する。とうとう、私の番になってしまった。
「渚ちゃん、出してー」
 木戸先生は、ふわふわした雰囲気で私に話しかける。私は俯いて木戸先生に顔色を窺われないように顔を隠す。木戸先生は、私の状態に察したらしく、薄く口元に笑みを浮かべて軽く肩をポンッと叩いた。
 やっぱり、木戸先生は優しいんだなぁ……。

 昼休み、私は木戸先生に呼び出された。内容は進路調査票のことだ。 職員室に隣接している教室の一つに、進路教室という部屋がある。そこの部屋で私と木戸先生は話している。
「まだ、書けてないの?」
 木戸先生の質問に、私は乾いた声で「ハイ」と言った。
「まぁねぇ。中学生だから悩むこともあるんだろうね。高校で自分の人生は左右されちゃうから、難しいところよねぇ……」
 木戸先生はそう言って、黙り込んだ。けれど、すぐに思い出したように
「渚ちゃんはしたいことないの?」
 と付け足した。

 そういえば、この質問は前の進路調査票のときにも聴かれたなぁ。あの時もポカンとしていてよくわからなかったっけ?
「特に……。無いです」
「そっかぁ」
 木戸先生はそう言ってうーんと唸る。
「とりあえず、まずは自分の学力を把握してみよう。先生が出来る限りの資料を集めえてみるから、渚ちゃんはそれを見てから調査票を出して。もしかしたら、それ見たら自信が湧いてくるかも知れないからね」
 木戸先生は「決まりっ」と言って、進路教室の出口を開けて「出よ」と言った。
 また、いまいち判らないままだ。
 私が知りたいのは、今の自分の学力でも、高校でもない。
 自分のあり方と、やりたいことの見つけ方が知りたいのに……。

              *

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13、進路調査票

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投稿日:2014/04/26 21:01:45

文字数:4,175文字

カテゴリ:小説

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