「ん…?何ですかこれは?」
お盆休み中のある日、私と一緒に部屋の掃除をしているメイド服の少女がふとそんな声を漏らした。
「どうしたの?A子ちゃん。」
私は長いサイドテールを揺らしながら重い段ボールを床に下ろすと、そっと彼女の方へ歩み寄る。
「これですよ、これ。」
そう言うA子の背後から長身の女性が覗き込むと、引き出しが抜かれた机の上に一冊の大学ノートが置かれている。
さらにその開かれたページにはなにやらオレンジ色の布切れが挟んであるようだった。
「あぁ…、コレね。」
彼女はそれを目にすると、おもむろに額の汗を拭い、何かを思い出したように部屋の隅にあるタンスをゴソゴソと漁り出す。
「カノンさん?」
A子はその様子を不思議そうに見ていたが、やがて私はその中から何やら洋服らしきものを取り出した。
「あったあった!」
カノンの持つそれは、末広がりのアームカバーに長いニーソックス、さらに短めのジャケットと白いショートパンツ、そして真ん中にハートマークの孔が空けられたオレンジのチューブトップであった。
「これは、バンドの衣装ですか。」
A子は窓際に置かれている私の高校時代の写真を一瞥しながら尋ねる。
「うん、それでここにさっきの布が…ホラ。」
カノンはそう言いながら手に取った端切れをピッタリと衣装に重ねた。
「なるほど…。でも意外ですね、カノンさんってこういうの作る感じには見えませんけど?」
ピースがはまった事に納得しつつ、侍女はさらに新たな質問を私に投げ掛ける。
「えぇ…、まぁそうかもしれないけどぉ。」
苦笑いをしながら、私は順序立てて説明する為に目を泳がせつつ脳内で言葉を探した。
「この衣装はおねぇちゃんが…、一緒にバンドをやるなら、お揃いのコスチュームを着なきゃダメだ…って用意してくれたものなんだ。」
しばらく悩んでから、カノンはたどたどしく文章を組み立てつつ口を開く。
「ふむふむ。」
扇風機に当たりながら、興味深そうにA子はその話に耳を傾けていた。
「でも、おねぇちゃんは最初の頃、高校でバンドをやってる事を家族に隠してたの…。」
私はバンド衣装を見据えながら、誤解の無いように言葉を選んで行った。
「あー、そういえば元はコンピューター愛好会なんでしたっけ?リズムさんが所属してたの。」
それに対しA子は曖昧な情報を頼りに反応を返し、話題を飛躍させる。
「そうそう。それでこれからはITの時代だ!って言い出して、お父さんにも新しくパソコンを買って貰って…、だから、また友達と音楽をやってるっていうのがバレたら恥ずかしいと思ったのかな?」
カノンの姉に関する物言いには、彼女の憶測が少なからず含まれているようだった。
「かもしれませんね。」
特に深慮するでもなく、A子が適当に同意する。
「まぁ私は、おねぇちゃんがバンドをやってる事に薄々気付いてたんだけど。それで私がjamバンドに入りたいって言った時に『このコスチュームを着るのが絶対条件だニョロ!』…って。」
そうして彼女は口をすぼめながら、普段から姉が口にする奇妙な語尾を面白半分に真似てみる。
「ふーん…。」
それを聞いてA子は、やや低めのテンションで要領を得ない風の返事をした。
「ええっと、それで…この穴はなんというか、その時の話の流れで…勢いで開けちゃったんだよね。」
カノンはちょっと情けなくなりながらオレンジのハートを目の前に摘まみ上げ、少々早口に結論を述べる。
「勢い…って。」
その据わった目から、どうやら彼女が呆れているらしい事が分かった。
「だって…どうせ私は、何やってもおねぇちゃんに勝てないし…。」
不貞腐れた私はうつ向き加減で思わず性根を漏らすように呟く。
「???」
その話の筋が今一理解できずに、A子はしばし言葉を失ったようだった。
「もう、いいでしょお!それより早く掃除を終わらせないと。」
そう言い切ったカノンはオレンジのハートを再びノートに挟み、机の引き出しに戻す。
そして夏の厳しい暑さの中、二人は部屋の片付けを再会するのであった。
さらにしばらくすると、A子はまた私の部屋に置かれている変わった物を見つける。
「これは狂犬病の本…ですか?」
それは動物が掛かる病気やその治療法についてまとめた専門書のようだった。
「うわ、懐かしい。中学の時に買ったやつだ。」
カノンはそう言いながらパラパラと本を捲っていく。
「随分難しそうな本ですねぇ。」
A子はちょっと感心したように尋ねた。
「昔ね、動物のお医者さんを目指そうと思って、勉強する為に買ったんだぁ。」
彼女は少し遠い目で本の表紙を眺めながら呟く。
「動物のお医者さん?」
メイド服の少女は意外そうに復唱する。
「そうだよぉ?可愛い動物のお世話が出来るって理由で、子供だよねぇ…。」
カノンは恥ずかしそうに頬を染め、自らを笑いながら喋った。
「まぁ、本気で目指そうと勉強するのは悪い事じゃありませんよ。色々調べないと分からない事って多いですし…。」
A子は書籍を棚に戻しながらフォローするように言葉を選ぶ。
「だね…。実際本を読んで、思ったより大変そうだなってなって諦めた訳だし。」
小さく溜め息を吐きながら、私はまた別の本を手に取る。
「これなんかも似たような感じ、こっちは今でもたまにお菓子作りで役に立ってるんだけど…。」
「パティシエの本ですね。」
表紙に描かれたケーキのイラストを見ながらA子が呟いた。
「たこ焼きの本はないんですか?」
さらに彼女はちょっと意地悪そうに質問する。
「たこ焼きのレシピならここに入ってまーす。」
私はそう言って得意気に自分の頭を指差した。
「じゃあカノンさんの将来の職業はたこ焼き屋さんですね!」
胸の前で手のひらを合わせて、A子は愉快そうに微笑む。
「いやぁ、たこ焼き屋さんはちょっと…。」
カノンはまんざらでもなさそうな顔をしながら軽く頭を掻いた。
「…結局私は、おねぇちゃんと一緒に居たかったのかなぁ?」
少し間を置いてから私は自問自答するように呟く。
「と、言いますと?」
メイドは相槌を打って話の続きを催促する。
「私ね、自分が本当にやりたい事が何なのかずっと分からなくて…。でもおねぇちゃんが何かに挑戦してるのを見ると、同じ事を真似したくなる変な癖があるの…。」
カノンは俯きながら悲しそうに言った。
「まぁ妹ってそういうものじゃありませんか?」
A子は開き直ったようにスッパリと言い放った。
「そうかもしれないけど…。でもそれで毎回おねぇちゃんに勝てなくて、悔しい思いばっかりして、なのにやっぱり…おねぇちゃんの後を付いていっちゃうんだぁ。」
今度は天井を仰ぎながら、彼女は悩ましそうに自分の性分を口にする。
「カノンさんはリズムさんに憧れてるんですね。」
A子にそう言われて、私は思わず顔が紅く火照り、暑さで首元に汗が流れるのを感じた。
「良いんじゃないですか?誰かの背中を追うのだって、簡単な事ばかりじゃありません。
それに本当にその人オリジナルの要素なんてそうそう無いものですよ?」
音楽やパソコンのプログラム関係の本を整理しつつ、A子はツラツラと語っていく。
「で…でもぉ。」
思考が追い付いていない状態で反論しようとして、カノンは言葉に詰まり言い淀んだ。
「例えばリズムさんだって、どういう経緯でそうなったのかは知りませんけど、あの『初音ミク』の影響を受けてるじゃないですか。」
確かに、姉がバンド演奏で着る舞台衣装はあの電子の歌姫を彷彿とさせる見た目で、
二番煎じだと言われても仕方のないデザインのように思える。
「うーん、それはそうだけどぉ。」
色々言い訳を考えたが、私としても最後はA子の言い分を認めざるを得なかった。
「けど…初音ミクってボーカルですよね?リズムさんは彼女に歌って欲しかったんでしょうか?」
カノンを論破した後、彼女は興味本意で議題から少々外れた疑問を提示する。
「そうかも、おねぇちゃんて演奏だけじゃなく作詞もやってたから。私もちょっと真似て書いてみた事があるんだ。」
必要以上な情報を伝えるべきではないと思いつつ、ついつい私の口から余計な自己主張が漏れ出した。
「へぇー、それは面白そうですねぇ。どこかこの辺にあったりするんですか?」
それを聞いて目を鋭く光らせると、A子は掃除中の本棚を漁り、歌詞の書いたノートを探し始める。
「やーん、止めてよぉ!全然片付かないじゃーん!」
そんな感じで夏の昼下がり、嬉し恥ずかしという風な乙女の猫なで声が、散らかった室内に響き渡っているのだった。
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