警察や鉄道会社が脱線テロの後始末に追われる中、その正体を知る人間は高い緊張感を伴った日々を送っていた。しかし真実を知りながらも普段と変わらない生活をしている者も存在している。ジークルーネである。既にあれから三日が経ち彼女もかなりのところまで修復が進んでいた。そんなジークルーネであるが、緊張感の欠片も見せず、今日も変わらずネット上でゴロゴロ時間を潰していた。
ここ数日のネット界隈では脱線テロの話題ばかりが取り沙汰され、事実を知っているジークルーネには退屈でしかないものだった。仕方がないので、ジークルーネは違法にアップロードされたアニメを見ていた。アニメの内容は、剣士と王国の使者が各地に散らばった伝説の名剣を回収する話だ。かれこれ数時間ぶっ通しでアニメを見続け、物語はクライマックスを迎えようとしていた。
『もっともその頃には、お前はズタズタになっているだろうけどな』
主人公のキメ台詞にしては物騒だが、ジークルーネはその台詞に顔をほころばせた。
「今の台詞いいわね。余裕がある感じが私にピッタリ」
何にでもすぐに影響されるのがジークルーネの良いところでもあり、悪いところでもある。既にその脳内では、仮想敵にブリュンヒルドを設定しキメ台詞を吐いている自分を想像していた。
主人公が最後の敵を倒し、いよいよアニメも終わりが近づいてきた。
ふいにジークルーネの顔つきが険しいものに変わった。その目はもうアニメを見てはいない。彼女は、はるか彼方にいるであろう存在に目線を向けていた。
「意外と早かったわね。ちょっと厳しいけど……仕方ないか」
アニメを見ていようと警戒用のアンテナだけは常に立てていた。それが、ついにゲルヒルデの反応をキャッチしたのだ。確実な展開を望むのであれば、もう少し時間が欲しかった。しかし、こちらの事情など向こうは知らない。何事も待ってはくれないのだ。
ジークルーネは貴志子にメールでこのことを伝えると、ゲルヒルデを追って動き出した。人間に出来ることは、今のところないだろう。それでも貴志子が言っていた様に最悪の事態に備えることは出来る。
ジークルーネはゲルヒルデを追いながら、その向かう先を予測する。ゲルヒルデは真っ直ぐに目的地を定め進んでいるようだった。その先にあるのは空港のようだ。狙いは間違いなく飛行機だろう。このままでは脱線テロ以上の惨事になることは間違いない。ジークルーネは少しばかり覚悟を決めた。修復率は70%、少し辛いが自分の性能を信じるしかなかった。
ジークルーネがこれほどまでにやる気を出しているのには訳がある。先の脱線テロで優秀なクリエイターが死亡していたことが原因だ。ジークルーネにしてみれば、優秀な娯楽職人が一人消え、自分の楽しみを奪われた形になる。これが怒らずにいられようか。
「ゲルの奴、土下座して謝らせてやるわ。もっともその頃には、ズタズタになってるでしょうけれど」
ジークルーネは誰にともなく呟いた。
「待ちなさい、ゲルヒルデ!」
官制塔の制御を乗っ取ろうとしていたゲルヒルデに、ジークルーネは叫んだ。
ゲルヒルデが振り向く。白いフリルのたくさん付いたワンピース、頭の上につけた大きなピンクのリボンが揺れた。
「ジークだぁ。久しぶりぃ」
ゲルヒルデは、特に警戒した素振りを見せずジークルーネを迎えた。
シュヴェルトラウテが空間認識能力に乏しいEエンジェルであれば、ゲルヒルデは人格形成に失敗したEエンジェルであった。失敗といっても人格そのものが崩壊しているわけではなく、その言葉使いや外見から分かるように幼いのだ。分別の付かない子供、それがゲルヒルデであった。
神の所業に思えるEエンジェル創造にも幾多の過程が存在する。初期に作られたシュヴェルトラウテやゲルヒルデはそれぞれ問題点を抱えており、それらを改善したことによってジークルーネやブリュンヒルドが生まれたのだ。
「ゲルヒルデ、私と一緒に来てもらうわよ」
「イヤッ! 私これからヒコーキで遊ぶんだもん」
「あなたが遊ぶと、現実の世界では多くの人が死ぬのよ」
「カンケーないもーん」
ゲルヒルデには人間が死ぬなど実感の湧かないことであった。人間がゲームで人や怪物を殺すのと同じように、ゲルヒルデにとっては現実世界で人が死のうと何も感じないのだ。
「関係無いことはない。そんな幼稚な考えではEエンジェルを名乗る資格すらない」
ジークルーネでもゲルヒルデでも無い第三者の訪れ。誰よりも気高くあらんとする凛とした声が響いた。
「来たわね……ブリュンヒルド」
ジークルーネは瞬時に黒い甲冑を身に纏い、戦闘スタイルへと切り替わった。元より、その接近には気が付いていた。来たこと自体に驚きは無い。しかし、その修復度合いだけには多少の驚きを隠せなかった。もしこのまま戦闘となれば確実に負けるだろう。しかし、今はゲルヒルデがこの場に存在している。これが吉と出るか凶と出るか……。
それぞれの思惑を抱えながら、誰がどう動くのか。
最初に動いたのは、一番遅くに到着したものの圧倒的な存在感でこの場を仕切っているブリュンヒルドであった。
「ゲルヒルデ、一度しか言わないわ。マスターの元に戻りなさい」
「イヤッ! あそこに戻ったら遊べないもん」
「ありがとう―――」
ブリュンヒルドはゲルヒルデに向けて優しく微笑んだ。
「私もあなたみたいな下品な子いらないわ」
ジークルーネもゲルヒルデもブリュンヒルドにとっては敵でしかない。進一郎をたてるため一応の確認だけはしておくが、本心では邪魔者としか考えていないのだ。ブリュンヒルドは白い甲冑姿の戦闘スタイルに切り替わると、その手に持っていた超大型のランスでゲルヒルデを突いた。
「ブリュンのバカ!」
人格が幼いとはいえ、ゲルヒルデもEエンジェルであることに変わりは無い。それもジークルーネとブリュンヒルドと違い、今の状態は完全な状態なのだ。ゲルヒルデは瞬時に反応し、ブリュンヒルドが突き出してきたランスをハンマーで叩き、弾き返した。
「くっ! 生意気!」
体勢を崩されたブリュンヒルドだが、すぐに体勢を立て直しその場で静止した。そして強烈な怒気を伴ってゲルヒルデを睨みつけた。幼稚なゲルヒルデの抵抗に、多少なりともプライドを傷つけられた。それが気に食わないのだ。
「そっちがその気ならこっちだって!」
ゲルヒルデも戦闘スタイルへと姿を変える。その甲冑は桜色をした見た目にも可愛らしいものだった。実在するならば防御能力に疑問を持たざるを得ない特異な形の甲冑であったが、ここはバーチャル世界であり、ゲルヒルデなりに急所をカバーしているものと思われた。
ブリュンヒルドの登場で事態は激変してしまった。もはや管制塔のハックどころの騒ぎではない。ジークルーネ自身、自分が動くならばブリュンヒルドも動いてくるであろうと思っていた。だがこれだけ早く戦闘状態に突入するとは思っていなかった。しかも現在この場にいるEエンジェルで一番非力なのはジークルーネなのだ。臨戦態勢のブリュンヒルドとゲルヒルデを前にジークルーネは辛抱強く、さらに事態が動くのを待った。
「ゲルヒルデ、私に逆らったことを後悔させてあげる。もっともその頃には、あなたはズタズタになっているでしょうけれど」
ブリュンヒルドは不敵な笑みを浮かべた。持っていた超大型のランスが光の粒子へと変わり、瞬時に二本のランスへと姿を変える。ブリュンヒルドは、二本のランスをゆっくりと構えた。
Eエンジェルの武器というのは、基本的には破壊プログラムの集合体であり、それぞれの扱いやすさや好みにより形作られている。しかし全てが好き勝手に出来るわけでもなく、その姿形は破壊プログラムの性質と似通ったものになることが多い。
今のブリュンヒルドを例に取れば、彼女は大型のランスから小型のランス二本に変えたわけだが、つまり突くことに特化した破壊プログラムが基本にあり、そのうえで威力がある代わりに扱いにくい破壊プログラムから、威力は低くとも扱いやすい破壊プログラムに切り換えたというわけである。
この行為はブリュンヒルドにしてみれば、ある程度は真面目に戦ってやろうということになるのだろうか。しかし彼女はランスを構えたまま動こうとはしない。先に仕掛けないのではなく、今はジークルーネすらも相手にと考えているために動こうとしないのだ。
「フンだっ! バカにしちゃって、ぼっこぼにしてやるんだから!」
じっとしていられなくなったゲルヒルデが、空間を蹴り、一気にブリュンヒルドに近づいた。
「ぺたんこになっちゃえーーー!」
ゲルヒルデはハンマーを振り上げると、ブリュンヒルド目掛けて振り下ろした。バーチャル空間には重力などというものはない。とはいえハンマーという形状をとっている以上、それは見た目通りに加速度を増しブリュンヒルドに襲い掛かった。
「お子様の考えは浅はかね」
ブリュンヒルドは一歩踏み込み、ハンマーの柄に近い部分をランスで受け止めた。ゲルヒルデの一撃は決して軽いものではない。それでもブリュンヒルドは体勢を崩されることもなく、完璧に受け止めてみせた。柄に近い部分だったことが原因の一つであることは間違いないが、そこには完全体ではなくとも十分互角に渡り合える実力が垣間見えた。
そして、ただ受け止めただけでは終わらない。何のための、二本のランスか。ブリュンヒルドは受け止めたと同時にもう一本のランスを突き出した。
「ヒャァ!」
ゲルヒルデは大慌てで飛び退いたが、ランスの先端はゲルヒルデの甲冑をかすめた。
武器が破壊プログラムで構成されているならば、甲冑は防御プログラムで構成されている。プラグラムといえど、最強の矛と最強の盾ではない。つまり相打ちなどという無様な結果にはならない。結果はブリュンヒルドの勝ちである。ブリュンヒルドの武器はランス、突くことに特化している。側面で叩いたりなどの使い方も出来るが、あくまで突くことに特化した強力な武器なのだ。その特性が十分に発揮されていた。
ゲルヒルデの桜色の甲冑は表面を削り取られ、一部その役目を失った。
「お子様が一人前に戦おうなんて……。世の中そんなに甘くないのよ!」
「う、うるさーい! ブリュンなんて大嫌いだもん!」
「嫌いで結構、マスターに逆らうなら容赦はしない!」
今度はブリュンヒルドから仕掛けた。強烈な打突と見惚れるほどの華麗な足裁きで、見る見るうちにゲルヒルデを追い詰めていく。
すでにゲルヒルデはハンマーで攻撃を裁くだけで手一杯だ。
このままではゲルヒルデがやられるのは時間の問題である。ゲルヒルデがやられてしまえば、ジークルーネとてこの場を逃れる手段は無い。
ジークルーネは一先ずゲルヒルデと共闘することに決めた。ゲルヒルデも、ブリュンヒルドに命を狙われている今ならば、ジークルーネの言うことを聞いてくれる可能性が高い。
ジークルーネは黒の大剣を扱いやすい大きさにまで小さくすると、ブリュンヒルドに向かっていった。
「私の台詞を取った罪は重いわよ。ブリュンヒルド」
キメ台詞を取られたジークルーネの怒りの言葉だけが、虚しくその場に残された。
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