6畳半くらいの畳、古めかしい木材に囲まれた小さな和室。部屋の真ん中にはこじんまりとした小さな机が置いてある。
この部屋に置かれている物といえばそれだけ。他に障害物と言えるような物などは何もない。
畳を海に例えるなら、机はまるで、絶海に浮かぶ孤島のようだった。島と呼べるような小物などは、何もなかった。
机の上にはメモ帳とペン、それとメタリックな藍色のノートパソコンが置いてあった。
最近買ったばかりなのだろうか、パソコンの表面はまだぴかぴかと新しい。
まるで昭和の風景だ。置いてあるパソコンはその風景にはなじまないが。
木で枠組みされたその窓からは、ぬるい夏の風が漂ってくる。
机を挟んで、私と彼は座っていた。
ちなみに言うと彼の座り方はずさんに足を組んで、私といえば畳の上で正座していたりする。
家の中へと招かれたはいいが、解決策などあるのか。
『この時代の自分に会えば、帰る方法が分かる』今はあの警官が言ったことを信じるしかない。
「正直最初はね、俺も驚くほかなかったですよ、はは」
彼は笑いながら、机に頬杖をついてこちらを見る。
よくよく見たらかなりイケメン……。ハッ、何を考えているんだ私は。
男性にしちゃ、少し長めの緑髪。ビジュアル系バンドでボーカルやってそうな感じ。
髭は全く生えていない。身体はかなりほっそり系。
ちょっとおしゃれな私服でも来たら、町中で逆ナンされまくりなんじゃないか?
「あなた、いいかしら」
「おお、いいぞ、入れ」
入口のふすまがすーっと開くと、その中からさっきの女性が入ってきた。
手にはおぼんをのせて、おぼんの上にはガラスのコップが二つのっている。
「はい、粗茶です。あなたはウーロン茶ね。夏だから冷たいのでよかったわよね?」
「おお、サンキュ、ミク。上出来だ」
コップを二つともテーブルの上に乗せると、またしずしずと入口に戻り、するりとふすまを閉めた。
男性は、テーブルに置かれたそのグラスを軽くあおる。
「はーっ。いきかえるね。さ、どうぞあなたも」
「は、はい」
私の方は緑茶。
透き通った黄緑色。お茶は全く濁っておらずグラスの底まで鮮明に見える。
いただきますと呟いてから、少しあおってみる。
濁っていないからあっさり薄味……なのかと思ったが、渋みがきいていて意外に美味しい。それでいて後味は爽やか。
なんなんだろう。こんなにおいしいお茶、今まで飲んだことなどあっただろうか。
男性は自慢気にふふんと笑った。
「不思議そうな顔してますね。かなりの逸品でしょ、それ?」
「えぇ、こんな美味しいの飲んだことないです」
「ふふふ、茶葉が高級なわけじゃありません。どこにでもある市販のもの。ただちょっと淹れ方を工夫したり、他の茶葉とブレンドするだけで、お茶の味は2倍にも3倍にも引き出される。ミクの淹れるお茶はいつだって美味しいですよ」
彼は自慢げに笑った後、こう付け足す。
「ま、家事は全般できませんけどね、不器用で天然なもんだから。
洗濯をさせりゃ柔軟剤と洗剤の配分量を間違えるし、料理をさせりゃ焦がすし、手は包丁で切るし、おまけに自分の血見ただけで泣きわめくし、手が込んで大変ですよ」
彼はそう言って苦笑いした。それにつられて私も苦笑いする。
「はは……辛いですね」
「えぇ、おまけにこの間なんかアイツ、自分の服のポケットにボールペン入れたまんま洗濯しちまったもんだから――……っと、こんな話をしに来たんじゃないですよね」
彼は残りのお茶を全て飲みほすと、こほんと咳払いをして、真剣な眼差しで私の方を見た。
「そろそろ本題に入りましょうか。あなたがこの時代に迷い込んだ件について」
一瞬で、あまりにも真剣な表情に変化したものだから、思わず私もごくりと生唾を飲み込む。
「さて、まずは自己紹介から。俺はミクオ。んで、さっきの天然ドジっ子がミク。俺の妻です。そんで、ミクの母親が……」
彼はここまでは静かに述べていく。抑揚もつけずに、ただ平坦と。
ただ、その先が少し言いにくそうに、表情をしかめた。
「……その、理解しがたいかもしれませんが、ミクの母親がこの時代のグミさん。あなたなんです」
一瞬意味がわからなかった。理解するのに10秒ほどかかった。
母親?誰が?誰の?
私の表情に困惑の色が出ていたのだろう。彼はこう言った。
「いきなりこんな事を言われたって、戸惑うのも無理はないでしょう。けれどね、これは事実です」
ミクオさんは机のメモ用紙を一枚はがす。
そして、ペンを取り何かサラサラと書きはじめた。
「図で表すとですね、こんな風になるんですが」
書いたものを私に分かるよう反転して、こちらに手渡す。
----------------
グミ(66歳)
|
|
ミクオ ――― ミク
(29歳) (30歳)
-----------------
書いてあったのは、いわゆる家系図(?)というやつだった。
分かりやすく書いてくれたのだろうが、やはりイマイチ実感がわかない。
「え、つまり私は、あの人の母ということになるんですか?」
「えぇ。ミクのお母さんが貴方で、私から見たら貴方は義理の母ですね」
彼は静かにそう述べた。確かにそう言った。
「え……えぇぇぇええ――!!?」
私は叫ばずには居られなかった。娘がいただなんて。そんな。
それに相手は誰なんだ。一体誰と結婚したんだ、私は。
家系図には、相手の名は書いていなかった。
私には、別にこれといって好きな人がいるわけでもなし。それに将来は自由気ままに一人暮らしをしようと夢見ているのに。
「私の結婚相手は…誰なんです?」
そう言うと、ミクオさんは知らぬ素振りで肩をすくめる。
「さぁ、そこまではね。なんでも、子供ができたと知った途端に逃げちゃったみたいだから」
うわ、最悪。そんな軽い男と私は付き合うことになるのか?イミワカンネ。
私はそんなのとは絶対に付き合わないし。もともと誰かと付き合うつもりもないし。
「と、というか、私が過去から飛んできた事、何でミクオさんはわかったんです?まさか超能力?」
「ははは、まさかまさか。人は超能力なんか使えませんよ。」
「で、ですよね……すみません」
ヤバいヤバい。超能力はさすがに言いすぎだった。
でもタイムスリップができるくらいだから、超能力使える人間がいてもいいと思うけどな。
ヤバい。私の常識が崩れてきてるよ。
「玄関先でも言ったとおり、この時代の貴方から聞いたんですよ」
「私から?」
「えぇ、つい先日ですね、貴方の病院で――」
ミクオさんが、そこまで言った時だった――。
バン!!
突然、入り口のふすまが開く。
あまりにも勢いがよかったもので、ふすまは柱にぶつかり大きな音を立てた。
思わず少しひるむ。
「お父さん!!」
入口のそこに立っているのは、6歳か7歳くらいの比較的小さめな女の子だった。
どういうわけかは知らないが、不満げな表情を顔に浮かべている。
「おお、ユキ。どした?父さんな、今この人と話して――」
「お母さんがまたブルータスのご飯食べたのお!!」
怒りのまじった声を聞いて、ミクオさんはいきなり表情をしかめた。
てかブルータスって。
「またか?」
「うん!確かに2個、数が減ってた!私ちゃんと数えてたから!」
今にも泣きそうな顔で彼女は訴える。
ミクオさんは困ったように溜息をついた。
「ミクも異質なほどに偏食家なんだな。わざわざあんなの食わなくても良いのにな」
そう独り言のように呟くと、優しく少女の頭を撫でた。
私は恐る恐る、口を開く。
「あの、『あんなの』って、もしかして昆虫ゼリーのことだったりとかしません……よね?」
「あれ、よくわかりましたね。えぇ、そうなんです。アイツ昔からああいうのが好きなんですよ。何故かは知らないけど」
そうなのかよ!ホント何やってんだあの人。
それにあんな奥さんを持って、この人も毎日大変だなあ……。
あんなって言っても、私の娘らしいのだけど。
私は将来これほどまでに出来の悪い娘を産むことになってしまうのか。ゴメンなさい、ミクオさん……。ゴメンなさい、名も知らぬ女の子……。
「ゼリー、あと一個しか残ってないんだよお…、ブルータスの明日のご飯が…」
「ゴメンなユキ、あとでまた買ってくるからな」
「ううん。お母さんに買いに行かせるから!」
「そうか、よしよし。母さんには後で父さんからきつく説教しといてやる」
「うん!ありがとう!!」
ミクオさんがそう言うと、少女はまるで太陽の様な柔らかくて眩しい表情を見せた。
子供独特の、心からの素直な笑顔。若さっていいなぁ。
などと考えていると、少女がこちらを見た。
「お父さん、ところでこの人はだれ?」
「こら、指をささない。お客さんだよ」
「お客さん?え、なんかでも……どこかでみかけたような感じだけど」
少女は腕を組んで考え始めた。考える様子も無垢なままで、本当に子供っぽい。
「お、やっぱりユキにはわかるか?この人はな、ユキのお婆ちゃんだ!」
「え、お、お婆ちゃん?でもお婆ちゃんは――」
「今のお婆ちゃんじゃないぞ?時空を超えて50年前からタイムスリップしてきたんだ!」
ミクオさんが大袈裟に言うと、少女はこれでもかってくらいに目を丸くする。
一瞬、時が止まったような錯覚を覚えた。
「え、えぇぇええーーー!?」
今度叫んだのは女の子だった。そして私も内心叫びたくなった。
私がお婆ちゃんだなんて、何かの聞き間違いだろう、うん。
「そうだ、言われてみればお婆ちゃんだ!制服も、髪の色も、歯並びも、肩の虫も!全部写真でみたとおりだあ!」
歯並びは余計だよ!というか人の歯並びまで観察するな!
などという心の声は通じるわけもなく、女の子はキャッキャッとはしゃいで飛び跳ねる。
子供という事もあって、私がタイムスリップしてきたという話をすんなり信じてしまったようだ。
女の子が飛び跳ねている傍らで、ミクオさんが口を開いた。
「紹介します。俺の愛娘のユキです。あなたから見れば、孫にあたりますね」
「ま、孫……」
私には娘がいたことすら驚きでいっぱいなのに、さらに追い打ちをかけるように孫の登場とは。
自分より年上の人が私の娘で、私と10歳差もないような子が自分の孫だなんて。
状況が整理できなくて、混乱するばっかりだ。
「お婆ちゃん!一緒に遊ぼ!ね!?」
「お、お婆ちゃんって……」
「ゴメンなユキ。父さん、まだお婆ちゃんと話してんだ。後にしてくれないかな」
「ヤダっ!!お婆ちゃんと遊ぶー!遊ぶったら遊ぶ!!」
ユキは私の手をガシっと掴んだ。子供の割には握力も強い。
「言う事を聞かないと絶対に離さないぞ」とでもいうように、手には強い力がこもっていた。
その様子を見て、ミクオさんも降参したのだろう。観念したように、ため息交じりに言った。
「スミマセン。ユキとしばらく遊んでもらえませんかね。少しの間でいいですから」
「え!?あ、別にいいですけど」
「わーい!!お婆ちゃんこっちきて!一緒に公園いこ!」
「え、ちょ、ちょっと……」
握力も強ければ、引っ張る力も子供と思えないほど強い。
なかなかパワフルというのか、わんぱくというのか、そんな感じがうかがえる。
私はなされるがままに引っ張られて外へと導かれていった。
「出かけてもいいけど、4時までには帰ってこいよー」と和室から、ミクオさんの朗らかな声が聞こえた。
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