「…ねえ、私たち付き合ってるんだよね?」
高校二年の春、ボクたちは去年の文化祭から意気投合して以来、特にそういう会話をしないまま、二人だけでいつもの放課後を過ごしていた。
「え、ああ…」
ボクたちは、恋愛というものを実はよく知らないのかもしれない。
「なあ、健吾、今日は部活出るんだろ?」
「え?ああ、うん。そうだな」
親友からのその一声につられるまでは、ボクは放課後という毎日をきっと香澄のために過ごしていた。
それは、好きという気持ちだけでなく、今思えば習慣という意味での恋愛ごっこだったのかもしれない。そこには、友人以上の関係はなく、ただ異性同士であるという関係でしかなかった。
「…今日は、部活なんだ」
ボクは香澄にそう言って、さよならを告げた。
「そうなんだ、頑張ってね」
どうしてだろう。香澄はボクの事をどう思ってるのか、今すぐにでも素直に教えて欲しいと強く思った。
そんな曖昧な関係がしばらく続いて、高校三年目の月日が流れた。
卒業を目の当たりにしてからか、ボクは香澄と過ごしたい気持ちから、彼女の進学する大学を受験しようと密かに志していた。
「健吾は、何処に進学するの?」
「…頭悪いからさ、進学は多分無理だな」
ボクらの関係は一般的には恋愛関係として映るのかもしれないけれど、ハッキリとした根拠がボクの中にない以上、それをどうしても香澄に確かめたかった。
「あのさ、香澄」
「うん」
友人以上の関係って、一体何なんだろう。親友でもなく、家族でもない絆みたいな強い感情で繋がれた関係って、どういう関係なのだろう。
「前に香澄から言われてさ、考えてみたんだ。ボクたちの関係」
「…うん」
付き合うって事の意味はつまり恋愛関係であり、その最終地点は結婚という壮大なものなのだろうか。
「香澄の事をさ、好きは好きなんだけど、判らないんだ。友人として好きとか、そういうのとまるで一緒だから、何て言うかうまく言えないんだけど…」
ボクは恥じらいながら、正直な気持ちを香澄に伝えた。
「…うん、判るよ。私も同じ、だから」
恋愛関係って、何。付き合うって、何。その答えが判らない状態だから、きっとボクたちはいつまでも曖昧な関係なのだろう。
「多分ね、互いが好きって思ってる以上に、愛おしいって思うような関係なんだと思うんだ。大切にしたいって思ってこそが恋愛関係なんじゃないかな?」
香澄もまた恥ずかしそうに、そう続けた。
同じ恵まれた環境の中で、何の障害も隔たりもないボクたちの身の回りが、大して二人の進展を遂げず、退屈な日々を繰り返しているから、ボクたちはそれを不満のようなものとして感じ合っているのかもしれない。
「…大恋愛、してみたいね」
「え?」
障害や隔たりが醸し出す恋愛のリスクというものが、今のボクたちには必要なのかもしれない。
そして、卒業の日を迎えた。
ボクは受験に失敗し、香澄とのキャンパスライフの夢を諦めざるを得ない状況に追い込まれても尚、その事実を彼女に明かす事はなかった。
「…健吾、これからどうするの?」
「勉強苦手だからさ、仕事、探すよ」
高校生活で育んできた関係も、互いの異なる環境によって、簡単に壊れてしまう予感がした。
「香澄は、進学したらそっちの世界で愉しくやれよな。ボクもボクで、これまでとは全く違う環境の中で、自分を見出だしてくからさ」
歩むべく道が異なる時に限って、ボクはただ怯えるように逃げ出していた。そこに二人の関係が途切れてしまうかのような結末を何故かしら垣間見てしまうからだ。
「…私たちってさ、付き合ってすらなかったのかな?」
香澄は、小さな声を震わせて泣き出した。
「…大恋愛って、どうしたら出来るの。ねえ、どうやったら出来るの?」
彼女の感情が高ぶる中、ボクは俯いた状態で涙を堪えるのに必死だった。
「…しよう」
「え?」
ボクもまた、震えた唇を噛み締めていた。
「大恋愛…しようよ」
普通の恋愛ですら、よく判らないボクたちが目指したもの。それは、全く以って未知のものでしかなかった。
「明日から別々の道を歩む事になるから、その障害に拍車をかけるように、香澄に会いたいと思う気持ちを大切に出来るように、身近にある繋がりを絶つ事にするよ」
「身近にある、繋がり?」
ボクは時代と共に生まれたそれを手に取り、彼女の前で意思表明の如く決意を告げた。
「…やり直そう。以前のように一途な言葉をしたためて、間を置いてから伝え合うって事が今のボクたちには必要な気がするんだ。便利とか簡潔とかは、もう必要ないよ」
ボクはそう決して、自分の携帯電話を叩き壊した。
コミュニケーションというものが便利で簡潔なものによって安易なものに形を変えてる気がするから、その元凶を断つ事で二人の関係をやり直したいと、そう強く思ったのだ。
「…健吾、正気なの?」
「今の時代に欠かせないものだからこそ、こんなの必要ないよ。今の時代がどうかしてるんだ。大恋愛自体がフィクションに思われてるなんて、身近にありふれてて良いはずなのにさ」
今や大恋愛というものが、映画やドラマの中でしか存在しないものだと皆何処かで割り切っている。そんな事は絶対にないはずなのに。でも何処かでそう思ってしまうのは、今の時代の恋愛観自体が、低い位置に成り下がっているからだろう。
恋愛というものは、もっともっと複雑で尊いもののはずなのに、今となっては友人の延長という位置付けでしかないのだから。
「これからは、手紙を書くね。香澄の心に響くように想いを文字にしたためるから」
「…うん、嬉しい」
それが大恋愛という始まりであれば、きっとそれで良いんだ。
「大切が、互いに伝わると良いね?」
「ああ…だから香澄は、勉強頑張れよ」
二人の関係に、一筋の兆しが見えた気がした。
「ふふっ、何それ。健吾の方が大変でしょ?仕事、そんなにすぐに見つかるの?」
恋愛には障害や隔たりといったリスクが必要なのだろう。順風満帆にうまくいく恋愛なんて、きっと窮屈で退屈でつまらないはずだから。
「大丈夫。大恋愛に比べれば、大した事ないさ」
不思議なんだ。
キミの事を好きでいる気持ちは常に一定なのに、互いを好きであり続ける時間は時折定かではないなんて。
「私たちって、付き合ってるんだよね?」
彼女って、何。恋人って、何。
「それはよく判らないけど、ボクはキミを大切に思ってるよ」
付き合うって言葉が、曖昧過ぎるんだ。
「私も大切に思ってるよ、じゃあ大切に想い合ってるって事だよね?」
言葉が少し長く連なるけれど、そういう言葉でボクたちの関係は、繋がっていたいんだ。
「…大切に想い合ってるって、言葉を口にすると何だか恥ずかしいね」
恋愛とは、恋から愛に向かうステップであり、本番である愛に辿り着くための、恋はリハーサル。
ああでもない、こうでもない、と。
そういう下りを繰り返し積み重ねる事で、時には衝突し、時には満足を得る事で互いを刺激し尊重し仲を深める。
それはすべて、本番に辿り着くため。だから恋はいつだって、リハーサル。
台本通りにシナリオ通りに向かうべく、試行錯誤を繰り返し意図的に造られていくべきものなんだ。
「健吾は、携帯電話を叩き壊してしまいました。それを見た私は驚きのあまり、その衝撃をうまく隠しきれませんでした」
「そう坦々と振り返られると恥ずかしいから、やめてくれよ。でもやっぱり失敗したかな…」
大恋愛とは、意外性やらサプライズやらが時に必要なんだ。
「…で、その後のシナリオは?」
香澄にそうおちょくられて、ボクは頬をそっと赤らめてしまった。
「…手紙、書くから」
「で?」
ようは、アナログに生きよう、とね。
「でっ、て?」
「ふふっ」
香澄は明るい表情で、優しく笑った。
それが何よりも嬉しくて、ボクも負けじと笑った後、また吹き出して笑った。
「…ねえ、健吾、もう一回聞いていい?」
「ん?」
それはそれは、繰り返し確認したければ、互いに好きなだけすれば良いのさ。
「私たち、付き合ってるのかな?」
そう、そんな感じで。
「そりゃもう、つまらない位ね」
つまらない位付き合っていたいから、ボクは香澄を大切に想っていたいんだ。
「つまらないって何よ、失礼じゃない?」
二人は笑った。それが二人の答えであり、二人の形であり、二人の関係だから。
「よくよく考えたら、付き合いって何よ。その場凌ぎの妥協した関係みたいで、まるで大切じゃないみたい」
現代でいう付き合うとは、恋と同じ意味で扱われるというのに、付き合いって言葉だと何だか軽く思えてくるね。
「…私と、付き合って」
「え?」
「ふふっ」
そう。
恋とは、一方的であり突発的。
そして、相手に唱える、
おまじないのようなもの。
その効果が相手に効くか否かは、
かけてみてからの、お楽しみって事で。
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