13.オフィシャルパスポート
「あのテレビ出演のあと、入場客がかなり減りました。私どものテーマパークは未成年の女の子もターゲットにしているので、ああいう、報道がされるとダメージが大きいんです。風評被害と言うのでしょうか。一体どういう根拠で深野さんがテレビでおっしゃられたのか、簡単に説明していただけますか?」
と言う奈津子の口調は、内容は詰問だが、抑制されていておだやかだった。アナウンサーのようなしゃべり方だ。地声をコントロールしている。土岐は奈津子の整った面差しと白い象牙のような艶やかな肌に見とれた。涼やかな声に聞きほれていた。
「統計的な確率の問題で真実は闇の中なんです」
「と、おっしゃいますと?」
と奈津子は少し首を傾ける。
「CDLへ行ったかも知れない未成年女子の原因不明の自殺率が東京都と千葉県で他の県よりも若干高いということなんです。ほんの僅かなんですけども、なぜそうなのか、理由はわかりません。単なる偶然かもしれません。いま現在、鋭意調べているところです」
「どうして、そういうことが分ったんですか?」
と奈津子が少し首を前に出して潤んだような瞳で聞いてくる。
 土岐はその瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚えた。
「警察庁のデータからです。誰がやっても同じ結果だと思いますが」
「それで、理由が解明される可能性はあるんですか?」
と奈津子は豊かな胸の前で白く細い指を組んだ。
「いまのところ、全く」
「深野さんのお話だと女の子の事故死とCDLの間に因果関係があるという話し振りで、今伺ったお話とは随分印象が違うようですね」
「あれはテレビの編集のせいで。僕が書いたのは、因果関係があるかも知れないという程度で」
「これはお願いですが単なる偶然という結論を記者会見か何かで発表していただけないでしょうか。私どもは株式を公開しておりまして、株主様も十万人以上おりまして実際株価も下落しておりまして、ストップ安という程ではないのですが、株主様からの苦情の電話がIR室の方に絶えないとの連絡を受けています。株式の時価評価損は数億円との試算もあります。この調子で営業利益が落ち込むと、株主様に対して責任を取らなければならないし、場合によっては株主様の手前、そちらさまを風評被害で民事の損害賠償で訴えなければならなくなるかもしれません。警察庁と争うのが目的ではなくて、経営陣として株主様に対して責任を取るという意味で」
と奈津子は凛とした目で土岐を射抜いた。
「その辺はアルバイト風情には。僕にいうよりも責任者の深野課長と談判したらどうでしょうか」
「そこが悩ましいところで。こちらといたしましてはことを大きくしたくはないんです。マスコミの絶好の餌食にされてしまうでしょ。かといって株主様に対してしかるべき方策を採らないと株主代表訴訟を起こされて、かえってことが大ごとになってしまうかも」
「それではどうにすればいいのでしょうか」
「さき程も申し上げましたように単なる偶然の数値であってCDLと女の子の自殺とは因果関係は全くないと公表していただければ」 
 奈津子の長い睫毛に土岐は吸い寄せられるように見とれた。ただ見ていることに満ち足りた至福を感じていた。
「偶然なのかどうか、今現在調査しているところです」
「わかりました。結果はいつごろ出される予定なんですか?」
「あと一二週間程で次の調査報告書をまとめなければならないことになっています。最終的には今月末になるんじゃないかと思います」
「それでは、私に結果が出次第、ご連絡をいただけるでしょうか」
「わかりました。連絡先は今日の電話番号でよろしいんですね」
「いいえ、私の携帯電話に直接ご連絡をいただけます?」
 土岐は携帯電話をダッフルコートのポケットから出した。番号登録の画面にして奈津子の赤いルージュを引いた艶やかな口元を見た。
「間違えるといけないので私が」
と奈津子は白い手を差し出した。携帯電話を受取ると画面が消えた。
「電池切れかしら」
と裏蓋を開けて水色の電池パックを取り出した。土岐が自分で確認しようとすると奈津子はそれを制した。
「私のと交換します。買ったばかりだからたっぷり充電されてます」と奈津子は大きな緑色のオーストリッチのボックスバッグから黄色い電池パックを取り出した。ボックスバッグは異様に膨らんでいた。
「あら、偶然かしら、機種が同じだわ」
「すいません。機種変更してそんなに経っていないし、けさ充電してきたばかりなので、電池に問題はないと思うんですが」
と土岐が手を出して取り戻そうとしたが、奈津子はそれを無視し、土岐の携帯電話の電池パックを交換し元に戻して再び画面を開いた。
「ついたわ。それでは永山奈津子で登録しますので、お忘れなく。先程駅からお掛けになった電話番号は事務所の固定電話なので、連絡を下さるときは私の携帯電話の方に掛けて下さい」
と奈津子は白漆を塗ったような歯を見せて微笑む。
 隣の席の運転手は、ひっきりなしに煙草を吸っていた。チェーンスモカーだ。吸っている煙草が短くなると揉み消しざまに次の一本を取り出した。右手でライターに火をつけて絶え間なく吸い続けていた。二人の会話を聞いているようでもなく、天井を見上げながら、吐き出した煙の行方に目線を泳がせていた。
 土岐は登録されたばかりの奈津子の電話番号を確認した。ためしに掛けてみた。すると聞いたことのない奇妙なメロディーが流れた。奈津子が自分のピンクの携帯電話を掲げる。表示された電話番号を土岐に示した。土岐はそれを確認すると、携帯電話を切った。
 奈津子は薄ピンクのマニキュアの指先でレシートをつまむようにして取ると、土岐に顔を近づけるようにして立ち上がった。
「お忙しいところわざわざお呼び立てして申し訳ありませんでした。これからは携帯電話でご連絡を差し上げます。お先に車でお待ち下さい。これはお呼び立てしたお詫びということではないんですが」
と奈津子はCDLのロゴ入りの小さな封筒を差し出した。土岐が封筒の口から中身を覗き見るとCDLの年間パスポートがはいっていた。顔写真のあるべきところに、
〈OFFICIAL〉
という文字が印字されていた。期限は大晦日迄になっていた。
 土岐はレジに向かう奈津子の項と背中に男を惑わす妖気のようなものを感じながら駐車場に出た。アスファルトに底冷えのするような冷気が漂っていた。運転手も出てきた。二人は合流し車に向かうかたちになった。運転手は冬物の厚地の黒っぽいスーツを着ていた。車に向かって歩きながら運転手に追いついてちらりと脇を見たとき、彼の胸にどこかで見たことのあるようなマークのバッチがついているのに気付いた。運転手は終始無言だった。土岐も言い出す言葉が見つからないままだった。そこに奈津子が遅れてやってきた。
「紹介が遅くなってごめんなさい。こちら、遠い親戚の長田さん。私の車の調子がよくないので、今日は運転手をお願いしました」
 土岐と長田は座席の前後に座ったままで改めて挨拶した。
「土岐明といいます。今日はアルバイトの関係でここに来ました」
と長田のフラワーホールのバッジをちらりと見た。長田は無言のまま頭を下げた。その顔に土岐は見覚えがあるような気がした。
「舞浜駅でよろしいですね」
と奈津子が発車を促すように言った。
「ええ、おねがいします」
と土岐が答えると車が動き出した。車は地面をなめるようにして加速した。駅に向かう車の中で土岐は携帯電話の着信記録を確認するような振りをして、バックミラーに映る長田の顔を盗撮した。襟穴のバッジは写すことはできなかった。
 舞浜駅前で車を降りてそこからどこへ行くべきか土岐は迷った。既に三時を過ぎていた。これから統計研究所に向かっても、着くのは四時過ぎで、深野も、直帰でいい、とは言ってくれていた。
 東京行きの電車の中で、頭の中に浮かんだのは奈津子の面差しと運転手の胸についていたバッジだった。その二つが交互に頭の中を二重螺旋状に回転していた。螺旋は下向きに回転しているが、奈津子のイメージとバッジはエッシャーのだまし絵のように、何回回転しても下方へ降りて行かなかった。東京駅に着いても、そうした不安定な、高揚した精神状態が続いていた。どこへ行くべきか決断のつかないまま山手線への長い連絡通路を歩きながら動く歩道に乗っているような感覚に襲われた。飲食店街のあるコーンコースに出た。書店やファストフード店の店先をうつろに眺めながらあるコンビニの前で立ち止まった。おでんというキーワードが舌をやけどしそうな熱さとともに突然脳裏を駆け巡った。蒟蒻かはんぺんというキーワードが次にもっこりと湧いてきた。南條刑事の手帳のメモ図が思い出された瞬間、土岐は携帯電話をポケットから取り出して手にしていた。雑踏の中で着信履歴から南條の電話番号を探し出すのももどかしく掛けてみた。呼び出し音が鳴る。出ない。そのうち留守番電話のメッセージが流れた。土岐はしかたなくメッセージを入れた。「土岐です。例のバッジを目撃しました。いま東京駅です」
 南條からの電話を待つ間に岩槻先生に例のバッジの印の意味を聞いてみることにした。岩槻先生は専門以外の知識についてディレッタントとして教授仲間では有名だった。論文作成に精を出していない手前、なんとなく後ろめたい気持ちがした。すがる思いだった。
岩槻先生への連絡はパソコンのメールに送信することになっている。
@深野先輩のアルバイトは長引いています。当面の生活費が確保されました。学期中の文科省の科研費のアルバイトともども感謝いたしております。つかぬ事をうかがいますが三角形をいくつか串に刺したような図柄(▽▽▽―)について何の記号かご存じないでしょうか。お忙しい事とは存じますが、ご返信いただければ幸甚です@
 送信し終えて、上りのエスカレーターに身を任せながら、山手線のプラットホームに向かいかけたとき、携帯電話の着信音が鳴った。
「南條だ。いま東京駅だって?こっちは出先だが、こないだの居酒屋でどうかな。いま行くと五時前に着くかも知れねえな。あの店、五時からでないとのれんを出さんけど、週末の金曜だし、俺の方から大将に予約入れとっから、先に行って待っててくれる?」
 用件だけ言うと挨拶もなく南條の電話は切れた。何かにせかされているような話し振りだった。深野にメールで直帰の連絡を入れた。
@CDL側の要求は、CDLと未成年女子の自殺とは因果関係がないという方向で調査報告書をとりまとめ、記者会見して風評被害を消して欲しいということでした。これから直帰します@

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

土岐明調査報告書「Nの復讐」13.オフィシャルパスポート

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投稿日:2022/04/03 04:43:23

文字数:4,376文字

カテゴリ:小説

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