少女は見た。
真夏の夜の出来事だった。
着物姿の色白の女性が、
向日葵畑の中で天を見上げ、
美しい音色を辺りに響かせながら歌っていた。
悲しく切ないその歌声に、少女は心を奪われた。
たった数分の出来事だったが、
気がついた時には、自室の寝床にいた。
少女は、先程見た光景が夢である事にガッカリした。
そして、自分も夢で見た女性のように美しい声で歌いたいと思った。
けれど、音痴である少女にとっては、
編み物をするよりも難しい事だった。
少女は、神様が嫌いだった。
神様が自分から声を奪ったのだと思った。
少女は、朝食の合間に夢で見た女性の話を家族に聞かせた。
しかし、家族に言っても笑われるだけだった。
少女は、もう一度あの女性に会いたいと願った。
……………………………………………
今日も夏休みで学校はないのだが、
少女は朝食を食べ終えると、
真っ先に学校へ向かった。
学校の門は、休みの日でも開いていた。
少女には、用事があった。
傍からすれば、小さな用事だった。
しかし少女は、
その用事を済ませたくてうずうずしていた。
少女は、正門を堂々と潜り、
昇降口で靴を上履きに履き替え、
音楽室へ向かった。
音楽室の中は陽の光で明るかった。
今は誰もいないが、先程まで人がいたらしく、
クーラーが付けっぱなしになっていた。
少女は、グランドピアノの前に座り、
昨晩、夢の中で聴いた歌を弾いてみた。
少女は、ピアノだけは得意であった。
歌っているよりも、
弾いている時の方が周りから褒められた。
少女は、つっかえながらもメロディーを思い出しながら一生懸命に弾き続けた。
弾き続けているうちに、
何処からか綺麗な歌声が聴こえて来た。
その歌声は、夢の中で聴いたものと似ていた。
少女は気にせず、ピアノを弾き続けた。
その歌声も、
少女のメロディーに合わせているようだった。
突然、少女の演奏が止まった。
少女の背後に人影があった。
少女は恐れて振り返るのを躊躇った。
人影は少女に近づき、
そして、背後から少女を抱きしめた。
人影の着ている着物の裾から細く綺麗な手が見え、少女はそれにそっと触れた。
「続きを」
人影が少女の耳元で囁いた。
少女もこくりと頷き、演奏を再開した。


人の子よ、儚い夜よ
愛を知らぬ者に、愛の歌を

涙の理由はないと思う
そう言った君の寂しげな顔
宝箱を開けると
宝石よりも価値のあるものが
言葉があった

明日よ、未来の友よ
眠れぬ者に、優しさを

小さくとも
鳥のように翼を広げて
永遠(とわ)のおとぎ話の様に
空を自由に羽ばたいてゆく
そんな奇跡

恐れを抱いて、人を思って
終わりの時まで
願い続けることが出来たなら
言わずもがな木漏れ日
僅かな灯火、降り注ぐ光

忘れ形見、綺麗なものだけ
この瞳に、この心に焼き付けて
過ぎてゆく時の中で
浄化されている

幼い涙の理由は
些細なことではあるが
雨の音に掻き消されてしまう
ただ一人を慈しみながら
哀れんでいる

掠れた声で人は叫ぶ
彼らは想う
休んでもいい、逃げてもいい
壊れてしまう前に
君の心に包帯を

泣きたい時には優しい詩(うた)を
涙が枯れるまで
今だけは全部忘れて
君だけの空想の世界へ
あの時のままで
傷を癒せるように
今はただ、眠りなさい”

演奏が終わると、人影は消えていた。
何時間が経ったのだろう?
ピアノから離れ、窓の方を見ると、
空がベージュ色に染まっていた。
虚しさと同時に、
懐かしい気持ちが少女を包み込んだ。
あの人影はきっと、
夢で出てきた女性なのだろう。
また会えたら、今度は面と向かって話をしよう。
少女はそう思いつつ、静寂が漂う学校を出た。


END

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

花言葉(向日葵)

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投稿日:2023/02/09 13:38:56

文字数:1,542文字

カテゴリ:小説

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