コンビニ 小説版 パート6
ともかくも普段集合している音楽練習室に到達すると、俺は早速と言わんばかりに徹夜で書きあげた最後の一曲を沼田先輩に手渡した。
「良く書けたな。」
呆れたような、安堵したような感情を込めた言葉でそう言った沼田先輩はそのままスコアをめくり、譜読みに集中し始めた。静かな練習室に、沼田先輩が紙面をめくる音だけが響く。俺は緊張しながらその様子を眺めていた。何しろ、相当の自信作だ。これで駄目ならもうこれ以上の作曲を行う気力がない。やがて、最後のページをめくった沼田先輩は顔を上げると、こう言った。
「良くできているな。」
「あざっす。」
「ただ、歌詞が女の子向きすぎる。」
「そう・・っすか?」
「ああ。これ、女の子が男に恋する時の歌だろ。」
「・・そうです。」
俺は少し憮然と、そう言った。意識した女性はミクだったからだ。好きという気持ち。ミクがまだ理解していない感情を感じてもらうために作った曲だ。だから、歌詞が女性向きになってしまったのは当然かもしれない。
「だから、俺達のバンドには合わない。この歌詞を歌える奴は、このバンドにはいない。いい曲だと思うが、今回のサマーコンサートでは見送ろう。」
沼田先輩は務めて冷静にそう言った。
「歌い手がいれば、いいのですか?」
単純に、悔しかった。だから、俺はそう言い返した。
「今からどうやって用意する?他のバンドから引っ張るには時間が無さ過ぎる。サマーコンサートまで後たった二週間しかないぞ。今回は諦めて以前に発表した曲でやるしかないだろう。」
その言葉は正しい。それは分かっている。他のバンドだって自分達の曲で精一杯であるだろうことは容易に想像が付いた。当然ながら、手の空いている女性ボーカルなんて都合よく存在しない。でも、でも。
この曲は発表しなきゃいけない。
「歌い手なら、います。」
「誰だよ。」
聞きわけの無い奴、という表情で沼田先輩は俺を見た。それでも、ここで引くわけにはいかない。
「ミクです。ミクなら、この曲を完璧に歌いきってくれます。」
「ミクって、あれは人間じゃないだろう。」
呆れたように、沼田先輩はそう言った。確かに、ミクは人じゃない。でも、歌姫であることには違いないのだ。
「違います!一度ミクに歌わせて下さい!必ず、沼田先輩が満足のいく成果を出すことができます!」
俺はあくまでそう突っぱねた。どうしても、歌わせたかったのだ。この曲を、ミクに。
「そこまで言うなら・・ただし、一度だけだぞ。」
俺の熱意に飲まれたのか、沼田先輩は僅かに表情をしかめると、諦めたようにそう言った。
「私が、ステージに立つのですか?」
帰宅後、沼田先輩とのやり取りを伝えた時、ミクはそう言って驚きに目を見開いた。
「そうだよ。嫌だった?」
「そんなこと、ないです。ただ、吃驚して。私がステージに立てるなんて、想像もしていなかったから。」
「緊張する?」
「緊張・・そうですね。人間が緊張するという感覚もよく分かりませんが、多分、少しだけ。」
「大丈夫、普段通りやれば。」
にや、と俺はミクに笑いかけた。ミクの声を聞いて、沼田先輩はどんな反応をするのだろうか。驚いて言葉を失うのではないか、と想像して俺は僅かに心が高ぶることを感じた。
翌日は大荷物になった。何しろ、俺のサークルにはパソコンという便利な設備が用意されていない。当然のごとく、俺は自宅からパソコン一式を持参する羽目になった訳である。
少し早めに練習室に入った俺は、パソコンの接続を終えると起動ボタンを押した。微かな起動音が練習室の空気を揺する。そうして俺がパソコンの起動をしている間に、バンドの全メンバーが勢ぞろいした。
「藤田、ミクとやらの準備は出来たのか?」
最後に入室してきた沼田先輩はパソコンの液晶画面を見ながらそう言った。まだ、ミクは展開していない。沼田先輩のその言葉を受けて、俺は質素なデスクトップの画面の左端に置いてある初音ミクと書かれたプログラムをクリックした。画面が一瞬暗転し、そして虚空の中からミクが現れる。
「あ・・こ、こんにちは、皆さん・・。」
現れたミクは、戸惑ったようにそう言った。何しろ、ミクが生まれて初めて見る俺以外の人間だ。そりゃ、緊張もするだろう。
「こりゃ、すげえな・・。」
ミクの姿を見た瞬間、沼田先輩はそう言った。沼田先輩も、初音ミクを目の当たりにするのは初めての経験なのだ。
「どうですか、沼田先輩。」
「確かにいい声をしているな。とにかく、一度合わせてみよう。」
「分かりました。準備はいい?ミク。」
「私はいつでも大丈夫です。」
ミクはそう言って頷いた。
「ちゃんと会話ができるんだな。」
ベースの準備を進めながら、沼田先輩が感心したようにそう言った。
「そうです。ミクはただの機械じゃないですから。」
俺がそう言うと、沼田先輩は僅かに苦笑した。
準備が整った。まだ全員暗譜をしている訳ではないのでそれぞれが譜面台を用意してはいたが、本番さながらの緊張感を全員が持っていることには変わらない。
「準備はいいか?」
全員の様子を見て、沼田先輩はそう言った。ミクも含めた全員が真剣な表情で頷く。
「じゃあ、やるぞ。」
沼田先輩のその一言で、ドラムの寺本がステックを鳴らした。四度。続いて、イントロ部分の演奏。そして、歌いだした。
電子の妖精が。
現実空間を浄化するような透き通る声で。
最後の一音を弾き終わると、俺達は誰とも言わず、溜息を漏らした。曲は完璧だった。いや、それ以上と言うべきか。俺はそう思いながら、沼田先輩の表情を覗いた。ベースを担いだままの沼田先輩は一言、こう言った。
「分かった、藤田。初音さんにこの曲を歌ってもらおう。」
初音さん、という呼ばれ方に一瞬奇妙な表情をしたミクは、直後に安堵したような笑顔を見せた。その笑顔を見て、俺は緊張を解きほぐすような吐息を漏らした。
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