台風の夜、閉ざされた部屋で
その夜、観測史上最大級と報じられた台風が、山間の別荘を完全に孤立させていた。
風は獣の咆哮のように唸り、窓ガラスを叩く雨粒は、まるで何かを急き立てる合図のようだった。
別荘にいたのは四人だけだ。
作家の篠崎 恒一。この別荘の持ち主で、かつて一世を風靡した推理小説家。
編集者の倉田 恒一郎。篠崎の担当であり、今日も新作の打ち合わせのために来ていた。
篠崎の姪で秘書役の篠崎 澪。物静かだが、常に周囲を観察している。
そして私、フリーライターの相原 恒一。篠崎の過去を取材するため、半ば強引に招かれた。
夕食後、停電が起きた。非常灯の薄暗い光の中、篠崎は書斎にこもると言い残し、鍵を内側からかけた。
それが、生きている彼を見た最後だった。
——深夜一時過ぎ。
雷鳴に混じって、澪の悲鳴が響いた。
書斎の扉は内側から施錠されたまま。
窓は全て閉じ、割れた形跡もない。
だが中で、篠崎はデスクに伏し、胸にナイフを突き立てられて死んでいた。
「……密室、ですね」
倉田が乾いた声で言った。
警察に連絡しようにも、携帯は圏外、固定電話も沈黙している。台風が去るまで、私たちはこの別荘から動けない。
不自然な点はいくつもあった。
凶器のナイフは、キッチンにあったものと同じ型。
血の量は致命傷にしては少なく、争った形跡もない。
そして何より、篠崎のデスクには一枚の原稿用紙が残されていた。
《真実は、最も語られなかった者の中にある》
まるで、最後のメッセージのようだった。
倉田は言った。
「先生は最近、誰かに脅されていた。過去作の盗作疑惑を蒸し返す、と」
澪は俯いたまま、何も言わない。
私は気づいた。澪の袖口に、乾ききっていない赤黒い染みがあることに。
だが倉田の靴底にも、血痕があった。
そして私自身も、夕方に書斎の合鍵を見つけている。
疑念は、均等に私たちを蝕んでいった。
深夜、再び停電が起きた。
非常灯が復旧した時、澪はいなくなっていた。
彼女は玄関ホールで見つかった。
震えながら、こう言った。
「……叔父は、自分が殺されると分かっていたんです」
篠崎は、三人それぞれに恨まれる理由を作っていた。
倉田には、編集契約を一方的に破棄すると告げていた。
澪には、遺産を与えないと脅していた。
そして私には、過去の取材で暴いた“ある事実”を、次回作で公表すると。
夜明け前、台風は嘘のように去った。
警察が到着し、密室殺人は捜査された。
しかし——
凶器からは、複数人の指紋が検出された。
足跡は暴風雨で消え、犯行時刻も曖昧なまま。
決定的な証拠は、最後まで見つからなかった。
事件は「解決不能」として記録された。
別荘を去る直前、私はもう一度、書斎を振り返った。
デスクの引き出しに、もう一枚の原稿用紙が残されているのに気づく。
《犯人は、読者が最も疑わなかった人物だ》
私はそれを、そっと元に戻した。
——台風の夜は、すべてを洗い流す。
真実さえも。
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