第五章 01
「罪人、元宮廷楽師カイト。汝の罪は国家反逆罪である。我が国の姫を籠絡せしめ、国家に不用意な混乱をもたらした罪は重い」
 王宮の広間で、宰相がよく通る声で罪状を述べている。
 初めて宰相と男が会話をしたのは、男が宮廷楽師として召し抱えられた翌日の事だった。あの時、男はこの宰相の事を人のよさそうな人物だと思ったのを覚えている。
 だが、この九ヶ月あまりの期間で、宰相が人のよさそうな雰囲気とは正反対な面を見る事がよくあった。民に対して冷酷になる事もしばしばで、国王に反論する事も少なくない。
 しかしきっと、それは宰相という職務を果たす上で必要な事なのだろう。焔姫が民以外の者に冷酷になるように、優しいだけでは国を保つ事が出来なくなってしまうから。
 宰相はこれまで、男に対してはかなり好意的だった。だが、だからといって処罰をゆるくするような人物ではない。
 そしてそんな対応に、周囲の者たちは簡単に流され、同調する。
「やはり下賤な出自の者は……」
「姫を籠絡とは……浅ましい」
「姫に付き従っていたのはこのためか」
「姫が無事でよかった。あんな者に」
 つい先日まで愛想のよかった王宮の人々が、口々に男をののしる。そんな心ない言葉を、男は聞き流した。
 男はただ悲しかった。
 おそらく死罪になるだろう、という事ではない。そんな事は露見した時点で覚悟していた。
 悲しかったのは、そうやって男をののしる誰一人として、焔姫を思いやる事が出来ていないという現実にだった。
 王宮の誰もが、焔姫が人知れず思い悩み、苦しんでいる事を知らない。自分がいなくなったあと、焔姫はまた本心を硬い殻に隠し、激烈な人物を演じるのだ。
「――口を慎め。ここは騒ぎ立てる場ではない」
 玉座に座す国王が、好き勝手に話す皆をたしなめる。
 静まった広間を見渡し、国王は改めて中央で後ろ手に縛られて膝をついている男を見る。国王は何かしらの感情を表に出してはいなかった。国王がどう考えているのか、男には想像もつかない。
「そなたに死罪を言い渡す」
「――異議を申し立てる!」
 誰よりも早く、焔姫が叫ぶ。
 男の背後にいる焔姫の姿は、男には見えない。だが、その切迫した声音に思わず苦笑しそうになる。
「かの者の死罪は不当に重過ぎる。本来であれば――」
「――姫」
 そう遮ったのが国王や宰相であったなら、焔姫は意地でも発言をやめようとはしなかっただろう。だが、男にそう呼ばれて、焔姫は不満そうではあるが口を閉ざす。
「……罪人の肩を持つようでは、姫の威厳が揺るぎます」
 近衛兵に押さえつけられていたわけではなかったため、男は振り返ろうと思えば振り返る事が出来た。しかし、男は振り返って焔姫の顔を見ようとはしなかった。そうしてしまう事は焔姫のためにならないと、分かっていたからだ。
「なれは――」
「――重ねて、申し上げます。姫がそのような態度をとられては、他の者に示しがつきません」
「……っ!」
 殺気さえ放ちそうな気配とともに舌打ちが背後から聞こえたが、男は前を向いたまま決して振り返らない。
 男の発言や態度が予想外だったのだろう。国王と宰相は無許可でしゃべる男を黙らせようとはせず、興味深そうに見ていた。
 やがて、焔姫がしぶしぶ静かにしたところで宰相が咳払いをした。
「……では、よろしいかな。刑は明朝に――」
「――一つだけ、お願い申し上げたき儀がございます」
「……?」
 国王と宰相が男を見る。
 本来であれば、二人が罪人である男の意見を聞くどころか、発言を許すはずがなかった。しかし、先ほどの焔姫をたしなめる男の言動が、二人に意見を聞こうという気にさせていた。
「死罪に関して何か疑義あるとは思っておりません。ただ、刑の執行まで三日……いえ、二日間の猶予を頂きたいのです」
 男の発言に、周囲がざわめく。口々に「脱出を画策するつもりだ」とか「どこまでもずるい事を」などと、これみよがしに言ってくる。
「……静かにせよ。何度も言わせるでない」
 国王が改めて皆を静かにさせると、まっすぐに男を見てくる。そのするどい視線に、男は息をのむ。
「……それで、その二日三日が何だというのだ?」
「九ヶ月前、私が宮廷楽師となった日の晩の事です。姫は私の元を訪ねて来られて、自分の曲を作るようおっしゃいました。ですが今の今まで、曲の制作はまったく進みませんでした。私はこの国の知識も浅く、姫についても知らぬ事が多かったためです」
 国王はもう齢五十になっている。その顔に深いしわが刻まれていて、納得出来ていない事を如実に示していた。
「今まで出来なかったのなら、あと三日でどうなるものでも無かろう」
「――私は!」
 叫び、思わず立ち上がりそうになって、横に控えていた近衛兵が男を抑える。
 そこでやっと我に返り、男はまた膝をつく。
「……出過ぎた真似をしました」
「構わぬ。続けよ」
 面白いものを見たという風に、国王は少しだけにやりと笑う。それを見て、国王が焔姫の父なのだという当たり前の事に、どこか納得した。
「……先日の戦から鎮魂の儀、そしてこの数日の出来事でようやく創作の足がかりが見えてまいりました。曲を作る時間と、たった一度で構いません。それを披露する機会を与えていただければ、それ以上に求めるものはありません」
 男は頭を下げる。
 国王はともかく、他の者は罪人であるはずの男の長広舌に辟易としているようだった。
「……何を馬鹿な事を」
「図々しい」
「処刑に余計な猶予などいらぬではないか」
 背後から聞こえてくるそんな声を聞き流し、男は頭を下げ続けた。
 背後にただならぬ気配を感じるが、それはもしかすると焔姫かもしれない。
「……刑の執行を伸ばす事は――」
「――よかろう。三日、猶予を与える。披露の機会も与えよう」
 延期を否定しかけた宰相をさえぎり、国王はそう言った。宰相は予想外の発言にちらりと国王を見たが、それ以上のリアクションを取る事なく国王に従う。
「……ありがたき幸せにございます」
「――しかし、刑を変更する事は出来ぬ」
「はい。存じ上げて――」
「――父上! 何を馬鹿な事を!」
 血縁とはいえ、国王に向かって「馬鹿」などと口をきけるのも焔姫だからこそだろう。そのあまりにも不遜な発言に周囲の者もざわめく。
「おそれ多くも父上……国王は処刑直前の罪人に演奏会をやらせるおつもりかえ。余の知らぬうちにずいぶんと悪趣味になられたようじゃ。そうするのであれば、恩赦が先でなければスジが通らぬ。余の曲が聞きたければ――」
「――姫。示しがつかないと申し上げたはずです」
「なれはどこまで愚か者じゃ!」
 罵声とともに、男の背後でかつかつと焔姫の足音が近づいてくるのが聞こえる。振り返らないようにするのにかなりの精神力を必要とした。
「私は、今まで生きてきた中で最も素晴らしい曲を作ろうと思っています。……いえ、作らねばなりません」
「なれは……」
「……」
 男の言葉に焔姫の歩みが止まり、言葉から力が抜けていく。またも無許可の発言にもかかわらず、国王は男を止めようとはしない。
「もし作った曲が駄作に過ぎないのであれば、私は死んでも構いません。……いえ、自分が全身全霊をかけたところで駄作しか作れないというのなら、生きている意味などないのです。この仕事には、それほどの覚悟あります」
「……」
「姫が戦場へと向かわれる時、自らの命をそこに賭けて向かう事でしょう。私にとってのこの仕事は、姫にとっての戦と同じなのです。ここには、私の命と魂を賭けなければならない理由がある」
「……愚か者め」
 焔姫の言葉の他は誰一人として口を開かず、王宮の広間はしんと静まり返っていた。
「本当に死罪に反対して下さるのでしたら……そうですね。私の作った曲が傑作だった時だけにして下さい。傑作になりきれないものしか作れなかった時に擁護される事ほど……つらい事はありません」
「……」
 男の言葉は正論とは言い難かった。だが、その覚悟が伝わったのか、焔姫からそれ以上の反論はない。
「では改めて……よろしいかな」
 咳払いをして、宰相が皆を見る。男も焔姫も、その他の者もこれ以上意見を述べようとする者はいなかった。
 宰相はちらりと国王を見て、国王がうなずくのを確認する。
「改めて処遇を伝える。罪人、元宮廷楽師カイト」
「はっ」
 名を呼ばれ、頭をたれる。
「国家反逆の罪により、死罪を申し渡す。ただし、寛大にも汝の懇願を国王は受け入れて下さった。三日の猶予と、曲を披露する機会を設ける事とする。……異議はあるか?」
「ございません。私のような者の希望を叶えて下さり、国王の寛大さと慈悲深さに感謝の言葉もございません」
「よろしい。罪人の処遇については以上とする。衛兵、彼を下がらせよ」
 横に控えていた近衛兵が、男の腕をつかんで立ち上がらせる。男もそれに逆らわずに立つと、国王に一礼して後ろを向く。
 すぐそこに、焔姫が立っていた。
 気丈な態度で立ちつくす焔姫の瞳は、しかし涙をこらえるようにも見え、唇はきつく引き結んでいた。
「……」
「……」
 すれ違う刹那だけ視線を合わせる。が、二人とも言葉は交わさなかった。
 焔姫は、必死にこらえているのだ。
 焔姫の事を思っての男の言動を無駄にしないためと、男の覚悟を侮辱しないために。そして、そんな男の覚悟に敬意を評して。
 焔姫の隣を通り過ぎ、男は広間から出ていく。
「……駄作など作ってみよ。そんな事をしでかそうものなら、余は絶対に許さぬ。絶対に、じゃ」
 焔姫の声に思わず立ち止まる。振り返りたい衝動に駆かられたが、男は何とかこらえた。それに、きっと振り返っても焔姫も背中を向けたままのはずだ。
 その背中は凛々しいだろうか。それとも悲哀に満ちているだろうか。
 男はそこまで考えて、自らがあと数日の命だというのに、それでもなお自分自身より焔姫の心配をしている事に驚いた。
 あぁ、そうか。
 自分は焔姫の事が――。
 そこまで考えて、男は苦笑した。
 結局背後を振り返る事なく、男は広間から出ていった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

焔姫 24 ※2次創作

第二十四話

遅くなって申し訳ありません。
二十八話……だったかな、その辺でもの凄く筆の進みが遅くなりまして、なかなか更新に踏み切れませんでした。
これまではほとんど傍観者だったカイトが、ようやく自らの信念をさらけ出します。
こういう自らの信念を突き通す様は格好いいよなぁ、と思います。
最後の焔姫とすれ違うシーンなんかは、書いてて「絵になったらいいのに」とか思ってました。
誰か二十四話だけでいいので漫画化してくれませんかね……?

閲覧数:67

投稿日:2015/03/01 19:58:52

文字数:4,184文字

カテゴリ:小説

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