先日、撮影の帰り道に夜空を見上げていた。
都会の空なので星はあまり見えない。それでも数個だけ、しぶとく残った光が黒い天井に貼り付いていた。
不思議なことにその星を見ているうちに、自分が今ここに存在していることの方が急に不思議に思えてきた。
私はカメラマンだ。
日々、人や風景を撮影している。
しかし考えてみると写真とは奇妙な行為である。
目の前の世界を記録しているつもりなのに本当に残っているのは「世界そのもの」ではなく
「その瞬間を見ていた私の視点」なのだ。
同じ場所に十人のカメラマンが立てば、十枚の違う写真が生まれる。
世界はひとつなのに宇宙は十個できあがる。
そんなことを考えていると、と妙な想像をした。
もしかすると人間はそれぞれが小さな宇宙そのものなのではないか。
遠い銀河のように互いを観測し合い、ときどき軌道が交差する。
友人になることもあれば、恋人になることもある。
しかし本当は誰も、相手の宇宙の中心までは辿り着けない。
理解したと思ってもそれは相手の表面に反射した光を見ているだけなのかもしれない。
そう考えると孤独な話に聞こえる。
だが私は少し違う感覚を持った。
完全に理解できないからこそ、人は相手を知ろうとする。
届かないからこそ手を伸ばす。
星の光も同じだ。
今見えている光は何年も前に放たれたものだという。
もしかすると、その星はもう存在していないかもしれない。
それでも光は届く。
存在が消えた後も誰かの夜空を照らし続ける。
写真も似ている。
シャッターを切った瞬間は過去へ消える。
だがその光景は誰かの記憶の中で生き続ける。
撮影した人の笑顔も街角の風景も、やがて時間の彼方へ流れていく。
それでも写真の中では静かに瞬き続ける。
私は夜空を見上げながら思った。
人間は星になりたくて写真を撮るのではないか、と。
忘れられないためではない。
遠い未来の誰かに、小さな光を届けるために。
そんな答えのないことを考えながら、私はまたカメラを手に取る。
宇宙の正体はまだ分からない。
人間の正体も分からない。
だがその分からなさの中にこそ、生きる面白さが隠れている気がしている。
コメント0
関連する動画0
ご意見・ご感想