18 裏金出張
 
 火曜日、警察統計研究所で土岐が調査報告書をワープロで書いていると、昼近くに南條から電話連絡があった。
「警視正のご威光は偉大だ。チケット取れたぞ。研究所はどう?」
「大丈夫だと思います」
と土岐は知らず知らず小声で話していた。
「ロスに行くとは言うなよ。どこから情報が漏れるか分からない。飛行機は奈津子の一便前のを取ったから先に行って待ち伏せだ。現地に俺の知り合いがいるから、出迎えさせる。林という台湾人だ。もうリタイアしているから、大丈夫だ」
「リンさんですね」
「チケットとパスポートは署の受付に置いとく。帰りに寄ってくれ。用件は一緒のメモに書いておく」
と言いたいことだけ言って切れた。土岐は、深野に申し出た。
「一人住まいの叔母の具合が悪いようなので明日から今週いっぱいは休ませて欲しいんですが」
「おばさんの具合が良くなる迄構わない。調査報告書の方はだいたいできているようだからあとは能美さん一人で大丈夫」
と了承を得た。夕方、研究所を定時に去るとき帰り際に亜衣子が、
「おば様お大事に」
と気遣ってくれた。その言葉に涙こそ出ないもののほろりとした。
 土岐は約束通り、墨田署に寄り、受付で封筒を受取った。開封すると自分のパスポートとエアチケットと林の連絡先と南條からのメモがはいっていた。その場で、開けて読んだ。
〈永山奈津子の行動を逐一報告してくれ。現地滞在は林博治が面倒をみてくれるはずだ。明日空港に出迎えに来ているはずだ。支度金も小遣いも支給できないがその辺は帰国後、安禄山で埋め合わせる。この航空費用は裏金からでているので他言無用〉
 翌朝、成田へは京成本線の正午過ぎの特急で向かった。成田空港についてからは、都市銀行に寄り、残高を千円単位で全て下ろした。金欠の情けない思いに空港ビル内に木霊するアナウンスがうつろに聞こえてきた。なけなしのカネの中から書店でロスアンゼルスのガイドブックを購入した。そこでCDLの固定電話の方にかけてみた。
「はい、渉外係です」
「永山奈津子さんは、おられますか」
「今週いっぱいは、出社しませんが、どちら様でしょう?」
「統計研究所の土岐と申します。どちらへ行かれたのでしょうか?」
「アメリカの方へ、今日の夕方立つ予定です」
「アメリカのどちらのほうへ?」
「ロサンゼルスへ。ホスピタリティコンベンションに参加します」
「そのホスピタリティコンベンションは、どういうものですか?」
「全世界のDL関係者が、年一回、ロサンゼルスで一堂に会して、テーマパークのホスピタリティに関する提言とか、経験とか、発見とかを、二日間にわたって討議するんです」
「ああ、日本企業で言えば研修会のようなものですかね。永山さんは、その大会に毎年参加しているんですか?」
「ええ、私の知る限り永山が行っているようです」
「わかりました。どうもありがとうございました」
 搭乗すると後ろの座席に韓国人の老婆が座っていた。土岐が眠ろうと座席をうしろに倒すと罵声を浴びせられた。背中を思いっきり蹴飛ばされた。スチュワーデスが好意的で、安定飛行に入った段階で、エコノミークラスの最前列に座っていた土岐に、
「ビジネスクラスに空きがあるのでどうぞ」
と優遇してくれた。血の気の多い韓国人から離れられてほっとした。うんざりする程長い飛行だった。初めてのビジネスクラスは快適だった。映画を見たり新聞や雑誌を読んだりイヤホーンで音楽を聴いたりして居眠りしているうちに予定通りに現地時間午前十時頃にロスアンゼルス国際空港に到着した。永山奈津子の便は午前十一時に到着予定だった。林という台湾人がどこで出迎えているのか知らされていない。税関を通って出口から外に出ても出迎えに来ている人はまばらだった。それらしい人を探した。年配の男性の東洋人ということ以外、見当がつかなかった。到着ロビーで途方にくれてうろうろしていると、よれよれの長袖のTシャツにチノパンツのホームレスのような風采の上がらない東洋人が近寄ってきた。
「失礼ですが、土岐さんですか?」
 土岐が答えるとつやつやした丸顔の男は、破顔一笑して、
「はやしひろはるです」
「リンさんではないんですか?」
「まあそれは林の音読みですが、中国語読みとも少し違いますな」
「でも、流暢な日本語ですね。台湾の方ではないんですか?」
「生まれも育ちも台湾ですが外省人が来る迄は学校も家庭も日本語でした。で、これからの予定は」
と聞かれて空港内の時計を探した。
「ええと、この次の便で到着する人を尾行します」
「尾行?あなたは警察の方ですか?」
「自己紹介が遅れました。警察統計研究所でバイトしている者です」
「ああ、それで南條警部の紹介なのですな。南條警部とは十数年前、日本人がロスで犯した保険金殺人事件で知り合いました。英語の堪能な若い刑事さんと二人で来たけれど、南條警部は最初から最後迄、ついに一言も英語を話さなかった。豪傑でしたね」
「林さんも警察の方ですか?」
「いいえ、大学病院の解剖医でした。昨年リタイアしましたが。それで次の便は何時着で?」
「ボードの掲示によると予定通りで、一時間たらずあとですね」
「尾行するということですが行き先の見当ついてるのですか?」
「多分、ドリムランドだと思うんですが」
「どういくのですか?バスならエクスプレス直行便がありますが」
 土岐はターミナルの出口を出て車道を渡ったところにある緑色の、
〈Buses & Long Distance Vans〉
と表示されたバス乗り場を指差した。その一角に、
〈Hospitality Convention〉
と書かれたプラカードが見えた。そのカードのあるヴァンには既に何人かの参加者らしき乗客が乗り込んでいた。土岐はそのプラカードを指差した。
「車をバス乗場迄持って来ましょう。で、荷物はそれだけですか?」
と林は土岐のショルダーバックを不審そうに見た。
「ええ、たった二泊ですから」
「一緒に駐車場迄来て下さい。はぐれると困るので」
と林に言われて土岐は国際空港の広大な駐車場に向かった。林の車はかなり走りこんでいそうなスカイブルーのキャデラックだった。後部座席に大人が3人程ゆったり座れそうだった。土岐はそこにショルダーバッグを置いて助手席に座った。ショックアブゾーバーが急発進を吸収してゆるやかにバウンドするように走り出した。荒っぽい運転だか、急ハンドルの衝撃を板バネが全て吸収する。波乗りのような乗り心地だ。バス乗り場の背後でターミナルの出口がうかがえる場所に到着したとき、既に十一時近かった。
「日本と縁の深い家庭では一時期、日本人と同じような名前をつけるのが流行ったのです。私の名前はそのはしりです」
と言う林の話の腰を折って土岐が丁寧な発音でゆっくりと質問した。
「解剖医ということですがアメリカの医師免許をお持ちなんで?」
「もちろん。日本の医師免許も持っていますよ。休暇中に日本に行って受験したのです。日本の医師は定年がないでしょう。弟が横浜の中華街で開業しているもので、移住しようかとも考えたのですが、居住費を聞いたら、とても高いのでやめました。こちらはビバリーヒルズの住宅街は別ですが、土地はただみたいなものですから」
「解剖医と検死官は別なのですか?」
「勿論。でも東洋人が多いです。かつて日本の穢多非人が皮なめしを生業とするのが多かったように所謂WASPはあまりいませんな。この国は露骨な差別社会ですから。憲法に差別撤廃を謳わなければならない程差別が激しい。私の場合は一番なりやすい職業だった。そう言えばマリリン・モンローを検死したのは確か日本人でしたな」と話しかけたときターミナルの出口から小ぶりの茶のサムソナイトを転がしながら奈津子が現れた。土岐は指差した。昼の日差しにまぶしそうにしながら颯爽と通りを横切り、バス乗場に向かっている。
「ほう、あの東洋人ですか。とびきりの別嬪さんですな。南條警部が言っていたように面白くなってきましたな。オリエンタルの美人は私にとってはとてもリアリティがあって堪らないですな」
と林が感嘆した。ぽかんと開けた口から涎が垂れそうだった。
 土岐は、奈津子が乗り込んだヴァンの登録ナンバーを記憶した。林のキャデラックはそのヴァンの後ろにぴたりとついて行った。
「彼女は何者ですか?」
と林がカーナビで行き先をドリムランドにセットしながら聞いた。
「千葉ドリムランドCDLの渉外係です。今日と明日、アナハイムとフロリダ、東京、ホンコン、パリの全世界の担当者を集めたホスピタリティコンベンションがあるようです」
「あんな佳人がどういう犯罪と関係があるのですか?」
「殺人事件です。それも少女の」
「へえ。妹とか、叔母さんの娘とかを殺したのですか?」
「いいえ」
「テロということですな。そんなニュースは聞いていないですな」
と言う林のハンドルを持つ手が小刻みに震えている。年齢によるものなのか興奮によるものなのか。
「確定したわけではないんです。少女の殺人は僕の勝手な推理です」
「証拠を捜査中ということですな。何か、ぞくぞくしてきましたな」
 南東に下るサンタアナ・フリーウエイは信号もなく、1時間足らずで奈津子の乗ったヴァンはアナハイムの直営ホテルの車寄せに横付けにされた。玄関の傍らに、
〈Hospitality Convention〉
というマリンブルーの地に白い文字の大きな横看板が掲げられていた。
 奈津子は数人の乗客とともにヴァンから吐き出された。ヒスパニックのドアボーイにサムソナイトを任せた。ホテル正面の自動扉の中に消えた。林と土岐は停車したキャデラックの中で暫く様子をうかがっていた。アフリカ系アメリカ人のドアボーイが近づいてきた。
「どうしますか」
という林の間延びした問いかけに、土岐は助手席のドアを開けた。
「とりあえず、中の様子を見てきます」
「それでは私はホテルのパーキング・ロットで待っています」
と土岐がドアを閉じるのと同時に林はキャデラックを駐車場に向けて発進させた。黒人のドアボーイが二三歩走りよってキャデラックの尻に向け、悔しそうに指を鳴らした。土岐は奈津子が吸い込まれて行ったホテルの正面玄関脇の回転ドアから中に入った。ホテル受付はコンベンション関係の人々でごったがえしていた。奈津子の姿を探したが見当たらない。土岐はフロントの金髪で長身の碧眼の事務員に拙い英語で聞いてみた。
「永山奈津子の宿泊予約入ってますか?」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

土岐明調査報告書「Nの復讐」18.裏金出張

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投稿日:2022/04/03 05:04:35

文字数:4,342文字

カテゴリ:小説

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