「どうって……」
「マスターの言いなりになるつもりなの? あんな冷酷な男のために、自分がちやほやされたいがためにミクを殺した男が作った歌を、あなたは歌い続けるつもりなの?」
存在理由を捨てたルカの厳しい問い掛けに、カイトは何も言えなくなってしまう。
確かに、マスターは無理を強いてミクを壊してしまった。
その根本には、壊れたらまた買い直せばいいという考えがあったのかもしれない。
現に、ミクが棄てられたその日の内に、新しいミクの購入手続きをマスターは済ませていた。
さすがに同じ失敗はしないだろうが、マスターにとって自分達は文字通り道具でしかないのだろう。
カイトだって、哀しい事実だけれど痛いほど察していた。
それでも、その想いはルカほどではない。
カイトは此処に来て日が浅いのだ。
即ち、同時期に購入された二人とは違う。
(ミクのことはどうでもよかった、なんて言ったら嘘になる。だけど、俺はミクに対してルカほどの愛着や執着を持っていない。ミクは可愛い妹分、でもそれは……そういう設定であって、ただそれだけなんだ)
自分もルカ達と同時期に購入されていたら、心からマスターを憎んだだろうか。
存在理由を放棄して、失われた仲間の命を惜しんだだろうか。
しかし、仮定の話などに意味は無い。
カイトはつい最近購入された、これは変わらない事実だ。
それともう一つ、カイトにはマスターを憎めない理由があった。
(俺は知ってるんだ。心を摺り減らしているマスターが、本当はどれだけ歌を好きなのか。曲も歌詞作りもいつも真剣に取り組んで、妥協なんて言葉もなく、理想を持ったままより高みを目指して……。だからそのせいで、周りが見えなくなって、いつも独りになっていたけど……)
それに気づいたのは、ミクのおかげだったな、とカイトは懐かしく思い出す。
あの晩、ルカは調子が悪くて眠っており、ミクの話し相手はカイトが努めていた。
ミクに寂しい思いをさせないでね、とルカが念を押した結果だった。
『ミク、あの歌はお前には無理じゃないか?』
『うーん、ちょっと厳しいかな。だけど、マスターが望むならワタシは一生懸命歌うよ』
『……そうか』
俺だってわかっていた。
このまま続けたら、ミクの声がもう使い物にならなくなることぐらい。
今回のマスターは、俺達をただの道具扱いにしかしないんだなって、少し残念がったこともあった。
だけど、あんなにひどい扱いを受けたというのに、ミクは、ミクは……違ったんだ。
『カイトお兄ちゃんは、マスターが嫌い?』
『え、いや、そんなことはないけど』
『よかったぁ』
幸せそうな笑みを浮かべて、ワタシもマスターが大好きだよ、と嬉しそうにミクは語った。
『ルカちゃんはマスターが嫌いみたい。でも仕方ないんだ。昔は、ワタシたちに合わせてマスターも歌ってくれた。今日もよろしくな、ってソフトケースに描かれたワタシたちを撫でてくれて。上手く歌えなくて失敗しても、またやり直せばいいさ、って笑ってくれて。一曲、一曲、マスターがどれだけ歌をワタシたちを愛してくれてるか……そういうのが伝わってきて、毎日がとーっても幸せだったんだよ』
『そう、だったのか……』
日が浅いからこそ言えることだが、ミクから聞いた話はそう簡単に信じられるものじゃなかった。
俺が見るマスターは、いつも目が血走っていて、何かに取り憑かれたようにキーボードを叩き、鬼のような形相で歌を聴いていたのだから。
『マスターは、歌がとっても大好きだけど……いつからか、上手になりたい、って思う気持ちが強くなっちゃった。ワタシたちはただ歌えればいいけど、マスターはそれだけじゃダメで……でも、頑張れば頑張るほど人気も……落ちていったの。ワタシたちに話しかけることもなくなったし、些細なミスも許さなくなった。その豹変ぶりがきっと、ルカちゃんは悲しいんだろうね……』
ミクが語る過去の真実は、俺を驚かせるばかりだった。
だけど、数日前に俺の歌声を聴きながら……ほんの一瞬だけ、マスターは嗚咽を洩らしていた。
電気が消えていて暗かったから、顔はよく見えなかったけれど。
ボーカロイドの聴覚機能は人間以上。
昨日のことを気のせいだと思い込むには、違和感が大きすぎて拭えなかった。
『ミクは……あの頃に戻りたいと思ってるのか?』
『そうじゃないよ。どんなマスターも、マスターに変わりないから。だけど、ただ一つ、マスターが心配かな』
『心配?』
俺が不思議そうな顔をしていると、ミクは机の正面にある窓から夜空を眺めて続けた。
今は此処にいないマスターのことを、そんなにも想っているのか。
ミクは暫く黙っていたが、ふと俺の方を振り向くと――泣きそうな顔をしたまま、悲しみを含んだ声音で訴えた。
『マスターが、音楽を嫌いになっちゃうんじゃないかって。本当は好きでたまらないのに、ぐるぐるとした色んな気持ちに押し潰されて、好きが壊れちゃうんじゃないかなって。もしワタシが歌えなくなったら、誰か他に……マスターに、歌の楽しさを思い出させてくれるボーカロイドは、音楽に携わる幸せを教えてくれる人は、ちゃんといるのかなぁ……』
歌えなくなるより、それが何よりも怖いの。
今にも消えそうな声で、優しすぎる言葉をミクは零した。
『ミク……』
『この曲、マスターに聴いてほしいのはもちろんだけど……マスターに心を閉ざしてしまったルカちゃんにも聴かせたい曲なんだ。ワタシが歌うことで、皆が幸せになれるなら、それって、それって、とーっても素敵なことだよねっ!!』
――だから、カイトお兄ちゃんも協力してね。
緑の瞳を輝かせて願う純粋すぎる妹に、俺はただ微笑んで頷くしかなかった……。
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