「ただいまー」
「帰ったでござる」
ぐみとがくぽの声にリリィとカル、リュウトが顔を出す。
「お帰りなさい!」
「リュウト、まだ起きておったのか」
「だってー、おやすみなさいって言いたかったの」
パジャマでモジモジしている。ぐみがそんなリュウトの頭を撫でてにっこり笑う。
「そっかー。そーだよねー家族なんだし!」
「やれやれ…」
がくぽもほころんだ顔でリュウトを抱き上げた。
「只今帰ったぞ、リュウト。良い子でおったか?」
「うん!リリィおねえちゃんと庭掃除したよ!それとね、ナスの漬物つけた!」
ぎゅうっと首に抱きついて、リュウトがぐみに笑いかける。
「ぐみおねえちゃんの好きなにんじんの皮むきも、手伝ったよ!」
「うわーリュウトマジイケメン!!すっばらしー!誰ですかこんな素晴らしい子に育てたのは!」
「アタシだろ」
リリィが冷めた声でがくぽからリュウトを下ろす。
「飯は?」
「いただこう」
居間に移動するとカルが食事の支度をしていた。がくぽとぐみを見てにこっと笑う。
「乙」
「乙ありです。兄貴のおかげで遅くなりましてー」
「むう」
二日酔いのせいでいつもより声が伸びなかったのは事実だ。黙るしかない。
出された野菜の甘辛煮には、いびつなにんじんが入っていた。ぐみがそれを幸せそうに平らげる。がくぽもしょっぱい漬物を口に運ぶ。
「がくの兄貴、夕方にルカさんが来たよ」
お茶を入れながらカルが言う。がくぽは少し首を傾けた。
「何用かあったのか」
「ミクさんが現場でさくらんぼもらったからお裾分けだって。あと兄貴に紙袋渡してって。部屋に置いといた」
「さようか。お返しはしたのか?」
「舐めてもらっちゃ困るな、兄貴。もらった皿には何かを乗っけて返すのが礼儀だろ?」
やんちゃな目でカルが笑う。リリィがえへんと胸をそびやかした。
「リリィちゃんお手製のパンケーキ乗っけて返しましたよー」
パンケーキ、の言葉にぐみの目が輝く。
「え、ちょ、リリちゃんなにそれ。おねーちゃんに詳しく」
「もーね、焼いた焼いたー。冷蔵庫に入ってるよん。明日の朝ご飯にするなら、リリちゃんクリームとハチミツ乗っけてサーブしちゃいまっせ。ねーさま。夜中食うのは知らん」
「よし今夜は我慢する。うふふー楽しみー」
ヨッシャヨッシャと腕をふってぐみが皿を持って立ち上がる。ついでがくぽも。
「あー洗いモンは置いといていいよ。アタシやっから」
「じゃあぐみ先にお風呂入るね」
「相分かった」
答えてがくぽはそのまま自室へ向かった。
紙袋、というのは例の日記だろう。しかし珍しいこともあるものだ。
あの日記は顔を合わせて交換していた。こんなふうに居ないときに置かれるのは初めてだ。そういえば変なメールが入っていたが、一向に繋がらない。
何か怒らせてしまったかな、と思い悩んで部屋の戸を開ける。文机に見慣れた紙袋があった。
「しかしカルに中身を見られたら困ったことになろうに…」
つくづく合点がいかない。とりあえず気楽な部屋着に着替えて、文机の前の座布団にしゅっと座る。
あれ?そういえば自分は昨日日記を書いたっけ?
カイト殿から「ミリオンおめ」のメールが来たから、昨日有名Pに囲まれて飲んだところまではどうやら事実だ。その後があまり分からない。
ルカの繊細な文字より先に昨日の自分を思い出そうとページを繰った。
「げふっ」
変な声が出た。
「な、なに?なにを書いておるのじゃ…?」
自分の字とは思えないきったない文字。それだけでも悶絶ものなのに、この内容はなんじゃ。
寿司が食いたいは、まあ訳が分からんがいいわ。何を続けざまに世迷言をのたくった。
「ひと、ひとつにて…せ、拙者…何を…」
軽いめまいを感じて床に片手をつく。
これを、拙者はルカ殿に見せたのか?
今日の朝、ぐみとスタジオに行ったときにルカ殿がいたのは記憶がある。ではその時渡したのか?これを?しれっと?
その結果ルカ殿は、明日を待つまでもなくこの日記を書いて寄越したと。それが現実か。なんという現実。
見るのが恐ろしい。しかし、やらかしてしまったものは仕方がない。甘んじて罵倒も受けよう。酒に飲まれた状態で書いた自分が悪いのだ。
緊張しつつページをめくると、いつもより少し震えたルカの文字。やっぱり動揺しておるなと再確認する。
成るほど、あのメールは気が動転したせいか。さもあろう。自分だって分かっていたら何かしらしたであろうから。ルカ殿が謝ることではない。
「………」
沈黙が続く。
ぺら、と前のページに戻る。汚い自分の文字。ぺらとページをめくる。ルカ殿の多少動揺した文字。
三回ほどその動作を繰り返した。
そして三十分くらい、日記を眺めた。
これはなんじゃ。
まったくもって本当に、これは何事じゃ。ルカ殿何を申しておるのじゃ。
「……う」
喉の奥で声がつまった。そのかすかな響きが大仰に聞こえて、直後がくぽは我に返ったかのように耳の先まで真っ赤になった。
ルカ殿。これはいかん。
拙者の世迷言を、酔うた男の戯言を。なぜこんなに大真面目に捉えた。
一面「ばーか!」と罵られても当たり前だと思っていたら、全くもって予想外の内容。ルカ殿なんと真面目な性格であろうことか。
拙者とルカ殿がひとつになる?
あの麗しい姫が、拙者の腕のなかに収まると申すか。
しかもルカ殿は自分で退路を絶っておられる。何があろうと中途で挫けるなと、物凄い言葉を発しておる。
女にここまで書かせて「いや、あれは酔った勢いでござる」などと言えるものか。言えるならただちにその口を切り落とせ。
「これは進退極まってござる」
進退どころかもう後戻りできない。進むしかないのだ。ルカ殿に嫌われないためには、何があろうと進むしかないのだ。
ぱたんと日記を閉じて天井を睨む。
恋焦がれたあの麗しい姫が、自分のものになる。
―――どこで?―――
ふと頭をよぎった。
このかしましい我が家でか?それともルカ殿の家でか?どちらも有り得ぬ。
がくぽは立ち上がって障子を開けた。廊下に出てぐるりと見回す。
女子供の部屋からは離れているとはいえ、同じ屋根の下。自分の家族には申し付けておけば近寄ってはこないだろうが、存在だけでルカ殿が萎縮するかも知れぬ。
かと言って誰もおらん所というのも浮かばない。ホテルとやらもあるが、生憎自分はそちらに明るくない。
ふと、目の端に離れが見えた。
なんという、ありがたきかな日本家屋。
草履を履いて庭へ出る。離れの周囲をうかがい、扉に手をやると意外にもからりと開いた。鍵がないらしい。
中を覗くとどうやら茶室らしい。四畳半程度の小さな部屋。季節の花も掛け軸もない。そしてちょっと埃っぽい。
むう。がくぽが唸る。
どうすれば良いだろうか。がくぽにしてみれば自分の部屋が最も落ち着くのだが、なにぶん幼い弟妹がいる。
ならばこの離れが良いか。…いや、これはさすがに失礼か。
ぐるりと茶室のまわりを巡りながら考えていると、母屋の二階の窓が開いた。
「兄貴何してんの」
ぐみが迷惑そうな顔をしている。
「起こしたか」
「泥棒かと思ったじゃんよ、そんなとこで物音とか」
「のう、ぐみ」
丁度良いと声を潜めて上を見る。不機嫌そうなぐみの眉毛。
「拙者が女人を連れ込もうと考えておったら、ぐみらはいかがする?」
「はあ?予定あんの?立ててから話せよ」
緑の髪を乱雑に掻いて鼻で笑う。
「てか言っとくけど女だってそんなアヤシイトコには簡単に連れ込まれねーから。女なめんな」
「やはりここは相応しくないか」
ふーむ、とため息をつくがくぽ。ぐみはアレ?と首をかしげた。
「もしかしてガチで予定立ったの?」
「さてどうかな」
「んー…。そうだねえ。もし本気でそーなったら、あたしらは旅行にでも行くかもね」
いたら邪魔っしょ?と笑う。さすがぐみ。分かっている。
「良いのか」
「だってあんな曲出されたら当分新曲は出てこないよ。お仕事ねーもん。リリちゃんとーカルちゃんとー、リュウトと旅行。楽しくね?」
「リュウトにお前らのお守りができるかのう」
「やってもらおうじゃないの。リュウトだって男だぜ~」
「さようか。ではその時になったら頼むとするか」
「りょーっかい。兄貴も一人で飯作れるし、心配するこた一切ないす!」
にひっと笑ってぐみが窓を閉めた。シャッとカーテンが閉まる音が耳に響く。
なるほど、旅行か。
それは思ってなかった。なかなか良い案だ。
「だてに我が家の長女ではないな、ぐみも」
笑ってがくぽは部屋に戻った。
机の前に座り、閉じた日記を開きなおす。
「では、本格的に考えようぞ。ルカ殿」
筆を取り、とりあえず今日の日付を書き始めた。
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