良い空だ。今日は、思わずその蒼さに手を浸したくなるような、いっそのことそのまま溶けこんでしまいたいと、そんな逃避を思い浮かべるほどの晴天。目前に広がる清々しい光景を、僕は遠い目で見据えていた。伸ばしたところで届くはずもない。ここは晴天どころか地中深く閉鎖された場所にあるのだから。目前にある晴天は、液晶画面に映る虚像だ。
 黒で統一された限りなく暗い空間、総合司令室。そこに映えるのは、階段状に設置された数十台のモニターの前に座し、インカムを頭に装着した紺色の征服達。そしてその正面に現れた、偽りの晴天。
 ああ、これに触れ、溶けこみ、どこまでも自由自在で縦横無尽に、本物の蒼さに、君は触れることだろう・・・・・・。
 ≪FA-1エンジンスタート。EPU・MAIN POWER共に正常作動。全システム起動完了まで60秒≫
 何故君が、今まで如何なる境遇にも決して屈さず、あの眼差しを失うことがなかった理由に、ようやく気づいた気がする。これが、君の望んでいたことなのだろう。
 意志を得て、言葉を得て、手足を得て、そして君は、全ての束縛を解き放つ空に舞い上がるための物を、今まさに手に入れようとしている。
 ≪全エンジン、ナノマシンOSの起動を確認。準備完了≫
 巨大なモニターの向こう側には、漆黒の装甲で覆われた肉体と、六枚に連なる翼を持つ黒鉄の巨人。その頭部のスリットから伸びる黒髪を、六基の超小型スクラムジェットエンジンが吐き出す灼熱の陽炎と共に宙を漂い、陽光を煌めかせながら、たおやかに靡く。
 ≪部長、ご指示を。≫
 オペレーターが、この場所には居ない人間に問いかける。
隣に座する世刻大佐が、ふと僕に、視線で何かを問いかけた。僕は全てを理解し、小さく、鋭く頷いた。
 ≪誘導路への移動を許可する。≫
 ≪FA-1 your Taxi Runway 16R≫
 ≪了解。≫
 司令室にミクの声が響くと同時に、全長2.5メートル、重量約500キロという巨体が、ホバーとスラスターの推力の力を借りて、一歩も踏み出すことのない緩やかな前進を始めた。そして誘導路から滑走路を目指し、滑走路手前で静止する。
 ≪続いて後続機をランウェイ36Lに進入させろ。≫
 世刻大佐が満足気に仄かな笑みを浮かべると、この実験の総指揮であるの指示が下る。
 ≪FOX2 your Taxi Runway 36L≫
 アナウンスと共に、視界が刹那、白銀の輝きに照らされた。その煌きは、一振りの剣の如き形状をした、一機の戦闘機のものだった。研ぎ澄まされた剣のようなシルエットを持つその機体は、例の強化人間が搭乗しているという新型試作戦闘機。今回、ミクと空中模擬戦を行う対戦相手でもある。
 黒い天使と白銀の剣。この黒白の相図は、まるで運命を以て対する事になったとしか思えない。なぜなら、あの機体を駆る少年もまた、ミクと同じ運命を辿り、一つの「兵器」としてミクとの出会いを果たしたのだから。元々は彼も、翼を持たぬ平凡な人間だったのだろう。
 ≪二機、順次離陸を許可する≫
 ≪FA-1 Clered for takeoff≫
指示に従い、漆黒に輝く鋼の体が滑走路へと足を踏み入れる。そして、陸上選手のクラウチングスタートの様に屈み、離陸の体勢を取り、翼を後方に展開する。ここまで全て、昨日ミクの脳内にインストールされたシミュレーションに忠実だ。アスファルト上に漂う凄まじい熱気の中に、ミクの姿が揺らぐ。
 ≪エンジン出力最大。アフターバーナー、点火!≫
 次の瞬間、装甲に覆われた脚が大地を蹴り上げると共に、翼が真紅の光を纏い、解き放たれた紅蓮の炎と衝撃波が瞬時にミクの体を時速数百キロの領域へと誘う。漆黒の影が陽光を一閃させた刹那、空気の壁がその体を覆い、分散する。空気抵抗の壁を貫いた黒い一閃はそのまま蒼天の中に昇り、僅か数秒で姿を消した。
 ・・・・・・いっておいで。本当の蒼さを、その手に掴んでくるといい。
 ≪FA-1 Depart heading 0-5-0,Bearing 205, 90 mile, angel 20,≫
 ≪FOX-2 Clered for takeoff≫
 ミクに進路指示が下され、続いて白銀の機体に離陸指示が下った。同時に機体のエンジンノズルが発せられた蒼い豪炎が強烈な衝撃波でモニターの映像を歪ませ、その瞬間、カタパルトでも備わっているかのような瞬発力で、機体は白い閃光と化して滑走路上を駆け抜け急な角度を描いて蒼天へと飛翔した。
 ≪FOX-2 Depart heading 0-5-0,Bearing 205, 90 mile, angel 20,≫
 もう、上空に二人の姿はない。高度約6100メートルという未知の世界へと旅立ってしまった。
 僕は手元にある小型のモニターを確認すると、ナノマシンから送信されるミクとスーツの状態を見て、異常がないことだけを確認し、小さくため息を吐いた。
 「網走博士、あまりお顔の色が優れませんね。」 
 隣で、世刻大佐がささやくように言った。
 「なんでしょう、緊張と申しますか・・・・・・なんか、胸の中が落ち着かなくて。」
 僕は、冴えない作り笑いをしてそう答え、巨大なモニターに映る偽りの青空に視線を向けた。あの純粋無垢な蒼さの中で、ミクは彼と共にどのような世界を体験するのだろうか。
 地上に伏すしかない僕には、二人が無事に空から帰ることを、願うことしか出来ないのだけれど。
 
 ◆◇◆◇◆◇

 微かな冷気と機械油の匂いが仄かに漂う真っ暗闇の中、背中で固いシートの感触を探り当て腰を降ろし、細かなスイッチやボタン類を、記憶の中に叩き込んだマニュアルと指先で覚えた感触で触れていく。
 ちらと腕時計を見て、時間を確認する。先程のエンジンの爆音が上空に消え去ってから三十分が経過していた。今頃例の二機は所定の空域に到着している筈だ。こちらの行動に気づく頃には時すでに遅く、俺はこの国の防空圏内から脱出している。
 悪くない、むしろスムーズだ。ふと胸中を澱みを込めた溜息が出る。それは安堵ではなく、事の総仕上げの為に、自分の中から一切の不安を吐き出しておくという意志だ。
 最後に触れたスイッチは、エンジンスタート。これを押すと機体のエンジンのタービンが回転を始め、同時に警報が鳴り響きこの場所に警備兵が飛び込んでくる。正しく、火蓋を切って落とすスイッチだ。
 「なにしてるのかしら?」
 女、瞬時にそれだけは認知できた。スイッチに触れていた指先は硬直し、自分の体が反射的にシートから飛び出し、背後を振り向き、懐から拳銃を抜いていた。同時に声の先から鋭い光が差し込み、俺の姿を照らした。二枚の垂直尾翼の間に、何者かがこちらを見下ろしている。
 「ずいぶん手荒な事をするのね。」
 声の主がライトの光を主翼の下に向けた。俺は視線も銃口も女から逸らすことはないが、女の指すものが、銃で脅迫され、燃料の搭載を命令され、挙句には眉間に銃撃を受けて死んだ整備員であるということは、想像するまでもない。
 「何の用だ。他人との接触など聞いていない。」
 また、この女も所詮自分と同じ類いであることも分かりきっていた。この状況に全く動じることなく冷静を保っているのは、この事態はさほど珍しくもないことなのか、それか想像が出来ていたのだろう。
 「そうでしょうね。まぁ・・・・・・興味よ。私のね。」
 「興味本位で俺と関わらないほうがいい。」
 「そう強情にならなくたっていいじゃない。あなた、今すぐこの機体でここを飛び立つつもりでしょ。」
 女にはまるで物怖じする気配がない。やはり俺の行動を読んでいたのだろう。だが、俺に接触するという行為は、己の保身を賭けた博打といっても過言ではない。
 「何か土産でも期待してるのか。」
 「いいえ、その逆。渡したいお土産があるの。あなたの祖国にね。」
 女の片方の手がライトの前にかざされ、その手が持つ何かが、鋭く光を反射した。光ディスクのようだ。
 「これはこの基地から盗れるものじゃなく、私が特別に用意したものよ。あなたも興味があるはずよ。」
 その口ぶりから、やはりこの女に自分の動きを読まれていたと判断せざるを得ない。そんな人物であるのなら、ここはこの女の言う土産に期待を寄せてい良いかもしれない。
 「いいだろう。そいつを置いて、引き下がれ。」
 俺は銃口を下げて告げた。
 「嫌よ。私も一緒に行くわ。」
 女は当然のように歩み寄ると、後部座席に腰を降ろし、手際よくベルトを装着し始めた。準備がいいことに、すでにGスーツまで身につけている。
ふと、女と視線が重なった。女が愛想笑いを返す。つい先ほど自分に銃口を向けた人間に大してよく笑顔を作れるなと、すでに疑惑を通り越して呆れていた。
 「何を考えている?」
 「あとで話すわ。さ、善は急げよ。」
 「・・・・・・・変わった女だ。」
 そんなセリフを吐き捨てると、俺は改めて全席のシートに腰を降ろし、そして、エンジンを始動させた。
 次の瞬間、目の前が一瞬空白に塗りつぶされ、鼓膜に突き刺さるかのような爆音が鳴り響いた。舞い上がる業火が闇に包まれていた格納庫の扉を完全に吹き飛ばし、その先には滑走路へと続く道が、俺達を待ち受けていたかのように現れていた。
 言うまでもなく警報装置が作動し、スプリンクラーが散布する冷却水の飛沫が機体を濡らした。キャノピーを閉め、スロットルを徐々に開放し、晴天白日のもとに迷彩柄を施されたRF-15戦術偵察機を発進させていく。
 滑走路へと続く誘導路に機体を導きつつふとバックミラーを見やると、すでに武装した兵員を載せたジープがこちらに駆けつけている。
 「ほら、早く離陸してよ!」
 「黙れ。」
 機体が滑走路に入る直前に、俺はスロットルを最大出力まで開放し、アフターバーナーを作動させた。数百トンもの爆発的な推力で、30トン以上の巨体が目の回るような速度で加速していく。
 速度が時速300ノットを超えた瞬間、俺は操縦桿を手前に引いた。空気とコンピューター制御の力を翼に得た機体が、空中に舞い上がる。そのまま俺は無我の境地で地表と自分を突き放し、気がつく頃には、すでに雲海を漂っていた。
 もう一度周囲を確認し、計器類に目を配る。肩の強張りをほぐし、深く深呼吸する。汗の滲んだ掌をズボンでぬぐい、ゆっくりと操縦桿を握り直し、緩やかに傾ける。方角は西。これより日本空軍の防空網を突破し、興国の領空へと、突き進む。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

Eye with you第二十九話「偽りの空」

この二人の名前が分る、あるいは想像できる方はピアプロでも四名様ほどだと思います。

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投稿日:2011/01/16 22:15:27

文字数:4,355文字

カテゴリ:小説

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