チェシャ猫「このクッキーも、美味しいよ」
アリス「ありがとう。この紅茶も美味しいよ」
チェシャ猫「ありがとう、アリス」
帽子屋「そろそろお開きの時間だ。また明日、お茶会をしよう」
【小さく、時計の針が進む音(止まるまで、少しずつ音が大きくなる)】
ディー「えー? もう終わり? まだ日は落ちてないよー?」
帽子屋「もうすぐ落ちる。暗い森を歩きたくはないだろう?」
ディー「うっ。それは嫌だなぁ。じゃあ帰ろうか、ダム。……ダム?」
ダム「え、あ、ああ。帰ろう。夜は冷え込むからな」
帽子屋「アリスは私の屋敷に来るといい」
アリス「うん、わかった」
三月兎「あはは! もう終わっちゃったー。帽子屋帽子屋、早く屋敷に帰ろう!」
アリス「……帰る?」
<考え込むように、小声>
白兎「アリス、また明日も。ここで会おうね」
アリス「あ、うん。楽しみだね」
帽子屋「アリス、何をしている。先に戻っているぞ」
アリス「今行く」
ディー「ダム早くー! 置いてっちゃうよ?」
ダム「ああ、わかっている」
【時計の針の音だけ。少ししてぴたりと止まる】
ダム「アリス」
アリス「ダム? どうか、したの?」
ダム「お前は今、幸せか?」
アリス「うん、楽しいよ」
ダム「思い出してくれ」
アリス「思い出すって、何を? 私、屋敷に戻らなくちゃ」
ダム「お前が帰るのは屋敷じゃない。ここではない、お前の世界だ」
アリス「さっきから何を言ってるの」
ダム「今ならまだ戻れるかもしれない」
アリス「ダム」
ダム「あいり」
アリス「え?」
ダム「それがお前の本当の名前だろう。チェシャ猫がこっそり、教えてくれた」
(回想的な)チェシャ猫「アリスはね、本当はね――あいりっていうんだよ」
ダム「本当は帰したくない。だが、それではお前は幸せにはなれない」
アリス「あ、私は、アリス。じゃない、アリスなんかじゃない。私は、あいり。白い兎を、追いかけて、それで」
ダム「読み間違えたところをもう一度読み直すには、戻るしかない。もう一度文字の道を辿るしかない」
アリス「帰らなくちゃ。ダム、私」
ダム「帰り道は、今までお前が辿ってきただろう?」
【アリスが走り出す音】
-ハートの城門の外(地面:タイル)-
女王「来たか」
アリス「女王様」
女王「遅い。これは私の世界だ。邪魔者など入る隙などない」
アリス「はい、女王様。私は元の世界へ帰ります」
女王「首を刎ねてしまう前に、さっさと行け」
アリス「もう、あなたの世界には来ない」
女王「ああ。私もそれを望む」
(脳内再生的な)アリス「最後はお城の前」
-ディーとダムの小屋前、森(地面:土)-
ディー「僕たちの話を聞いてくれる?」
ダム「ウィリアムというおじさんが」
アリス「ごめんなさい。二人の話を聞く時間がないの」
ダム「帰るんだな」
アリス「うん」
ディー「物語を放棄して、帰るんだねアリス」
アリス「そう。私は帰るの。それとディー、私はアリスじゃない。」
ディー「ああ、そうだね」
<悟るように>
アリス「ディーは私に忠告をしてくれた。ダムは私がアリスじゃないことを、何度も確認してくれた。本当に、ありがとう」
【アリスが走り出す音】
(脳内再生的な)アリス「その前はダムとディーの小屋」
-帽子屋の屋敷の薔薇園(地面:コンクリートタイル)-
帽子屋「何だ。逃げ出したんじゃなかったのか?」
三月兎「お茶会するっ!?」
アリス「ううん。お茶会はしない。私は、帰る」
帽子屋「そうか。自分で始めた物語を、自分で放棄するとはな。身勝手も甚だしいものだ」
アリス「ごめんなさい。でも、三月兎とのお茶会はとっても楽しかった。帽子屋の紅茶はとっても美味しかった」
帽子屋「忘れ物はないな?」
アリス「うん。私は何も、持ち込んではいないもの」
帽子屋「逆も然り。この世界の物を持ち出すことのないようにな」
アリス「それも大丈夫。来たとき同じで何も持っていないから。二人とも、ありがとう」
【アリスが走り出す音】
(脳内再生的な)アリス「その前は、帽子屋のお茶会」
-森(地面:土)-
チェシャ猫「出口はあっち。こっち。どっちかな?」
【着地音】
アリス「わっ! チェシャ猫!」
チェシャ猫「もう一回。僕の名前を呼んで」
アリス「チェシャ猫」
チェシャ猫「うん。アリス。お別れだね」
アリス「お別れだね。それと私はアリスじゃなくてあいり」
チェシャ猫「わかってるよ。でも慣れちゃってるし」
アリス「チェシャ猫は何度も気づかせようとしてくれてた」
チェシャ猫「気づかなければよかったのに」
アリス「ふふっ。……ごめんね。でも、ありがとう」
チェシャ猫「あーあ……出口はあっちだよ」
<優しく>
アリス「わかった。ありがとう、チェシャ猫。さようなら」
チェシャ猫「うん。さようなら。またねじゃないところが、悲しいなぁ」
【アリスが走り出す音】
(脳内再生的な)アリス「最初はチェシャ猫と出会った。この先が思い出せないけれど」
【風が吹き抜ける音】
白兎「遅いよ、アリス」
アリス「白兎?」
白兎「新しいアリスを探しに行かない限り、僕は君の世界にいけないからね」
アリス「ええと、私」
白兎「大丈夫。帰るんでしょ?」
アリス「うん。どうやったら、帰れるの?」
白兎「簡単だよ。来た道を辿ればいい」
アリス「ずっと辿ってきたよ。でもこの記憶はないもの」
白兎「んふふ。ほら見てアリス。この穴、見覚えない?」
アリス「あっ!」
白兎「僕を追いかけて、どうなったんだっけ?」
アリス「穴に落ちた」
白兎「落としたのは僕なんだけどね」
<小声>
白兎「同じようにすれば、帰れるよ。覗いてみて」
アリス「すごく、懐かしい気がする。……ってうわあ!?」
白兎「突き落としたのは僕なんだから、帰りも突き落とさないとね」
<間を開けて>
白兎「ずっといるって、言ってくれたのになぁ……」
<泣き笑うように>
チェシャ猫「だから言ったでしょ? 敵に回したくないって」
白兎「チェシャ猫!」
チェシャ猫「もし帽子屋を怒らせていなかったら、アリスを引き留めてくれてたかもなのに」
白兎「最後の最後に、失態だよ。まったく」
<落ちている最中に聞こえてくる>
女王「アリス」
ディー「アリス」
ダム「アリス」
三月兎「アリス」
帽子屋「アリス」
チェシャ猫「アリス」
白兎「アリス」
白兎「さよなら、アリス」
-公園(地面:土)-
桐生「……いり。おい、あいり! 起きろ!」
アリス「うう……あっ! 私、帰らないと!」
桐生「お、おお? うん、帰らないとな」
アリス「え……桐生? あれ、私、今まで何を」
桐生「こっちが聞きたいよ。探しにきたら、公園のベンチで寝てるんだから。雨が降らなかったのが奇跡だよ」
アリス「……夢を、見ていた気がするの」
桐生「え、どんな夢?」
アリス「それが、思い出せないの」
桐生「そっか。思い出したら、教えてほしい。あと、さっき怒鳴ったりしてごめんな。つい」
アリス「あ、わ、私も、その、ごめんなさい」
桐生「それで、考えてみたんだ。難易度の高い劇ばかりじゃつまんないから、もう少し……そうだな。『不思議の国のアリス』の劇なんかどうかな?」
アリス「アリス……? それってどんな話? 私も、手伝う」
桐生「え、まじで? じゃあ一緒に考えようか」
アリス「うん」
桐生「送ってくよ。雨が降る前に帰らないとな」
アリス「そうだね。帰ろうか」
<間を開けて>
(チェシャ?)猫「にゃー」
その後、学芸会で披露された演劇部の『不思議の国のアリス』の劇は、成功を期した。
主人公のアリスが今まで通ってきた道を戻り、物語を放棄してしまうという内容が、斬新だと高評価を得たらしい。
あのとき見た夢は、ただの夢ではない気がする。もうどんな夢だったかも覚えてはいないが、ふとした瞬間に思い出す。
私を想ってくれる人がいる、支えてくれる人がいる。
あいりは、これから先も演劇を続けていく。
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