また誰かが読んでいる。一度眠りに付いた僕を、呼び起こそうとする。
誰かの呼び声と共に眠りについて、誰かの呼び声に誘われ、僕は目を覚ました。
眠りの中、僕はやはり一人だった。
暗黒の世界。冷たい風も、鈍色の雨も、そんな物悲しいものの代表さえないそんな世界なのに、真っ暗闇に取り残された僕の心は、儚く消え去りそうなほど、寂しかった。
だからこそ、誰かが僕を呼び起こそうことすることに、言いようの無い安心感すら感じていた。
「先輩。おはようございます。ご気分はどうですか?」
開かれた視界の先で、鈴木君が心配そうに僕を見下ろしていた。
その背後では、見覚えのある天井と水色のカーテン。机。横たわっているベッドの感触は、久しぶりであるものの、確かに身に覚えがある物だった。
ここは、僕の家だ。
「僕は・・・・・・どうしたんだい?」
「憶えていないんですか。先輩、本社の連中が帰った直後に突然倒れたんですよ? 僕の車でご自宅までお送りして、その、勝手なことして申し訳ないんですけど、お邪魔させていただきました。」
鈴木君は苦笑交じりに、そして申し訳なさそうに頭を下げた。
確かにそうだった。本社から視察に来たと言う、あの図々しい青年達が去った直後、僕は突然意識を失い、その場に崩れ落ちた。
疑う余地など無い。睡眠不足による体調不良だ。
ミクの開発に、僕は文字通り寝食を忘れていたのだ。当然食事や睡眠は確保していたが、社内の仮眠室にある硬いベッドでの一時間も無い仮眠や、バックに突っ込んであったいつ買ったかも分からないシーチキンの缶詰が僕の健康状態を良好に保てるはずがなく、遂に昨日、数カ月過酷な状況に耐えてきた体が、遂に悲鳴を上げリタイアしたのだ。
しかも忘れていたのは寝食だけではない。時間の感覚、昼夜の感覚も、ミクに夢中になる余り、ほとんど僕の意識の中から抜け落ちていた。
何も時計が見えなかった訳ではない。ただ、気にもとめなかった。それだけだった。しかし一度意識を失ったせいで、それも完全に失ってしまった。
「ねぇ。」
「はい。」
「僕は、どれくらい眠ってた?」
それは突然意識を失った人間が再び目を覚まして最初に問いかける言葉の代表格。映画やドラマの中だけの凝った演技だけの話かと思っていた言葉をいざ使ってみると、それは自然な行為だと言う事に気が付く。
時間の経過が余りにも気になった。研究室は、ミクはどうなったかと。
「・・・・・・およそ、半日です。」
「ミクは・・・・・・?」
「大丈夫ですよ。まだ本社からは何も言ってきませんが、朗報を待ちましょう。」
「そうだね・・・・・・。」
目覚め直後の何も考える事のできない脳を無視して、僕の体はベッドから起き上がり、指先で、水色のカーテンに僅かな隙間を開けていた。
陽光が、鋭い刃物のように視界に突き刺さり、痛みさえ感じた僕は一度目を伏せたものの、今度は少しずつカーテンを開いていきながら、陽光に照らされた外界を見ようとした。
和らぐ陽光の中、久しぶりに見た、水面都の姿が僕の眼に映った。
僕の故郷。水面都。日本の首都。
クリプトン本社が、その力の象徴として水面都中央に建造した本社ビル、クリプトンタワー。
ここで生まれ、ここで育った。いつもと変わらぬ故郷の姿が目の前に広がっていた。
ふと外の風景から目を逸らすと、視線は無造作に、机の上にある置き時計を捉えていた。
視界と共にたゆたう時計の針は、午前十時を指していた。
「研究室に・・・・・・顔を出さなくちゃ。」
「ダメですよ先輩。せめて、三日ほど、ご自宅でご安静になってください。」
「でも・・・・・・。」
「社長も、快く許可していただきましたから。」
「ああ・・・・・・分かった。分かったよ。」
鈴木君があんまり僕を説得しようとするものだから、僕は苦笑し、とりあえずは体を起こして、鈴木君と共にベッドに腰掛けた。
「それじゃあ、一つ僕の頼みを聞いてくれる?」
「ええ。喜んで。」
「今日は、ここにいてくれないかな。」
「えっ。」
我ながら愚かで無茶な要求をしたと後悔したが、今鈴木君に言うべき言葉といえばこれしかなかったし、素直に、誰かと一緒に居たいと言う心境の末に出た言葉だった。
「・・・・・・いいですよ。」
「え?」
鈴木君の快い答えに今度は僕が驚きの声を上げた。
「お電話を入れれば、社長も許して下さいますよ。網走先輩の看病に付き合ってて、今日は来れなくなりますってね。」
と、彼は僕に微笑みかけた。
久しぶりに、人の優しさが見に染みた瞬間だった。
家族がいなかった僕にとって、鈴木君の言葉が、どんなに幸福だったことだろう。
「鈴木君・・・・・・。」
「さて、では今から社長にお電話入れますね。」
やけに乗り気な雰囲気になった鈴木君は、そのまま僕の隣で携帯電話を取り出して、通話を始めた。
「あ、社長ですか? 今網走先輩がお目覚しました。はい。大丈夫です。お任せください。ええ・・・・・・あ、はい・・・・・・え?! なんですって・・・・・・!」
上機嫌で社長と話していたはずの鈴木君の言葉が、不自然な所で停止していた。
「ほんと・・・・・・ですか? ええ。きっとそうです。確認に行きましょう。すぐに向かいます。では。」
和やかなはずだった携帯電話の通話は荒々しく途切れ、鈴木君はベットから立ち上がり慌ただしく身支度を始めた。
「どうしたの鈴木君?!」
「たいしたことではありませんよ。どうせ誤りです。すぐにお戻りしますね。」
それだけ言い残し、彼は足早に僕の部屋から立ち去っていった。
ひどいよ。鈴木君。
こんな不安と物哀しさを残して、こんな冷たい部屋に、僕を一人置き去りにするなんて。
社長との会話の中で、何があったのかは分からない。確認する術も無い。
体には気怠さと疲労がのし掛かり、痛みとも苦しみともつかない感覚が胸に降り積るのだから、再びベッドに伏し、瞼を閉じてミクの身を安じるより僕の生はなかった。
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