四月三十日

 ジャック・モノの『偶然と必然』は、なんて親切なめぐりあいの寄贈者なのだろう。半ば、忘れかけていた白井ケンイチに出会ったのだ。そして、今度は強靭な靭帯を伴って。わたしは、彼に会う面会許可証を得た。それは、彼がクラウン・クラブをやめない限り、向こう一年間有効なのだ。
 川村さんとは、出席番号が近いというだけの理由で、入学してから今日までなんとなくお喋り友達になっている。彼女が、三年になって、
「また、テニスをしたい」
と言った。
「お腹の脂肪が気になるの」
と言っていた。その彼女が彼女の家の近くにあるテニス・クラブに一緒に入らないかとわたしを誘った。彼女の家が、もしわたしの登校の途中の駅の近くになかったとしたら、わたしは断っただろう。そして、もし彼女からの申し出のあった日の昼休みに、文学好きなゼミの先輩に会っていなかったら、わたしは彼女の申し出を快諾していなかったかもしれない。武田というペダンティストの四年生は、マーサ・エリス・ゲルホーンの『言論の自由と権力の抑圧』をパラつかせながら、
「基本的人権の精神的自由が卒論のテーマだ」
と衒学的な専門用語を会話の端々にちりばめながら、とくに文學における表現の自由をやりたいといった。そしてまた、彼は、
「文学雑誌の編集もやっている」
と付け加えた。わたしが、
「伊藤整のチャタレー事件の猥褻文書の解釈は、あなたの卒論に関係するかもしれませんね」
というと、彼は、三島由紀夫の『宴のあと』のプライバシーと表現の自由についてぶった。言うことがなくなると、
「自分の刊行した雑誌をあげるから部室に来てみないか」
とわたしを誘った。下心が丸見えだったが、わたしは咄嗟に断りのうまい口実が頭に浮かばなくて、仕方なく彼のあとに従った。
 わたしは、文学は嫌いではない。でも、研究するほど文学に惚れてはいない。むしろ、青白い文学青年を見ると、鳥肌が立つほど反吐が出る。
「小説は文学という学問ではない。小さな説だ」
という『おバカさん』の遠藤周作の物言いが好きだ。『死者の奢り』の大江健三郎みたいに、ぶよぶよと小太りの青白い男は、『個人的な体験』にのめり込んでいるようで、見るだけで吐き気を催す。『ノルウェーの森』の村上春樹の田舎のイモおじさんみたいなのも、作品から受けるイメージと本人があまりにも乖離しすぎていて、嫌い。文学好きな男は、決まって『岬』の中上健次の様な酷いブ男か、『風立ちぬ』の堀辰雄のような青白い痩せこけたもやし男なのだ。人を愛し、『蟹工船』の小林多喜二のように社会を変革しようという覇気もなく、どうでもいいような観念をねちねちとこねくり回す。『斜陽』の太宰治を嫌った三島由紀夫がボディビルで肉体を鍛え、盾の会を創設した気持ちがわかるような気がする。
 文学研究会の部屋の薄汚さといったらない。武田さんは、先に中に入っていったが、わたしは入り口に佇んでいた。だらしのなさ、不潔さ、猥雑さ、それらが自分たちの特権であるかのような顔をした、およそ無気力な男が三人ばかり、昼休みの部室の中に座っていた。火野葦平の『糞尿譚』でもあるまいに。瑕だらけの机の上には、コピー用紙やら、雑誌やらが乱雑に積み重ねられ、床には、ミスコピーが丸められたり、靴で踏みにじられたりして、散乱していた。
 わたしは、一目でうんざりした。そして、午後からの授業に出ようとした時、わたしは川村さんに会った。彼女から、
「テニスクラブ・クラウンに入らない?」
と誘われたとき、わたしは今見てきたばかりの青白い男たちの群れと対照させて、汗にまみれて躍動する男の人の臭いを思い出していた。武田さんに会っていなければ、テニスボールの「ポーン、ポーン」という鼓膜をくすぐる音と、男の人の汗のにおいを思い出して、テニスを再び始めることにあれほど喜びを見出しはしなかっただろう。
 そして、わたしは、今日、会った!ロッカールームに通じる狭い廊下を、見覚えのある髪の形をした男の人が、先に歩いていた。項の髪のばらつき具合、肩の盛り上がり加減、腰の容子、引き締まった長く浅黒い足――何一つとして、わたしの記憶と異なるものは無かった。それは、疑うまでもなく、白井ケンイチだった。わたしのからだ中に熱湯を注ぎこんだような戦慄が走った。わたしは不意に胸苦しさに襲われた。わたしの足は、無性に震えた。わたしをとりまくテニスクラブの廊下の壁が揺れているように見えた。わたしの踵は、歩を進めるたびにガクガクと小刻みに上下した。呼吸をすることが、この上もない苦しさを伴っていた。
「女子ロッカーはここよ」
と彼女が声をかけなかったら、わたしはそのまま男子のロッカーの方に向かって歩いていたかもしれない。女子のピクトグラムが目に入らなかったのだ。
 確かにあの人。半年前のわたしに、あれほどの強烈な印象を植え付けた人、その人に全くの偶然から会えたのだ。いや、わたしは白井ケンイチの動線を知らなかったから偶然と思っただけで、ある時点において作用している全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力を持ち、未来を含む宇宙の全運動も確定的に知りうる『ラプラスの悪魔』に言わせれば、本当は必然だったのだ。長い冬を経て、浮気なわたしが忘れかけていた人。日記を読み返す以外は絶えて思い出すことのなかった人。その人が、わたしの心の中にかつての情念そのままに、不死鳥のようによみがえった。
 わたしは、彼と軽井沢でテニスに興じることを夢見る。そこで歌が生まれる。

  声をかけてみようかな
  テニスウエアのよく似合う人
  それともテラスの椅子にもたれて
  本でも読んでいようかな
  手でも振ってみようかな
  テニス焼けした美しい人
  にっこりこっちを向いて微笑む
  そんな気がする軽井沢
    さわやかな風 高原を巡り
     テニスボールを追いかけて行く
    さわやかな恋 高原に芽生え
     テニスコートの木の影に咲く

  わたしもテニスしようかな
  相手になってくれそうだから
  一汗かいたらきっと友達
  そんな気がする軽井沢
  サイクリングに誘うおうか
  テニスシューズを履いている人
  あのひとに乗せてもらおう
  二人で乗れる自転車で
    さわやかな風 高原を巡り
     サイクリングの足に絡まる
    ささやかな恋 高原に咲いて
     サイクリングの道 埋め尽くす

  軽井沢を一巡り
  二人で行けば疲れはしない
  ペダルをこぐのもきっと楽しい
  忘れられない想い出に

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

土岐明調査報告書『千鶴子の日記』四月三十日

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投稿日:2022/04/01 08:22:20

文字数:2,723文字

カテゴリ:小説

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