暖かい日差しの注ぐポカポカした陽気の中、とある医院の一室で
赤ん坊をあやす小柄な姉と、その様子を見守る大柄な妹の姿がありました。
「よーしよしよし…。」
鼓家の長女リズムが、小さな愛息子をその両腕に抱えて頬擦りしています。
「おねぇちゃんったら…鼻の下伸ばして、ゾウさんみたい。」
そう言い終わった後で、(長いのは象の鼻で鼻の下ではないな…)
と心の中でこっそり訂正する次女のカノン。
「だぁだぁ、あーう…。」
母親の腕の中で赤ん坊が小さく声を漏らす様子を眺めながら、
カノンは嬉しくも哀しい、とても複雑な心境になっていました。
またいつものように優しい姉がその場所を、妹に譲ってくれるのではないかと…
どこかでそんな卑しい期待してしまっている自分がいる事に、彼女は気が付いたのです。
「ノンちゃんも少し抱いてみるニョロ?」
内省に耽りながら暗い顔をして少し落ち込んだ風の妹に、リズムは声を掛けました。
「えっ、いいよ。なんだかちょっと怖いし…。」
カノンはそう言いながら手に持ったお茶を口に運びます。
「!?なにコレ?変なお茶。」
次の瞬間、思わず吹き出してしまいそうになるのを堪えながら、カノンは絞り出すように声を上げました。
「あぁ、健康に良いからってマキマキが持ってきたヤツニョロね。」
そう言ってリズムは机の上に置いてあった小袋を妹に見せます。
「甘…茶?」
なにやら見慣れない名前に眉をひそめるカノン。
「ノンカロリーだからいくら飲んでも糖尿病にならないニョロ!」
なるほど、そのパッケージには謳い文句らしき甘茶の効能が幾つも書き連ねてありました。
「へぇー、変わった味だけどハーブティーみたいな感じなのかな?」
カノンはドキドキしつつも再び湯飲みに口を付けます。
甘いようで少しほろ苦い独特の味とちょっと薬のような匂いが舌と鼻に感じられました。
部屋の隅に置いてある誰かからの贈り物に目をやりながら、カノンはそのお茶を飲み干します。
かつて釈迦が誕生する際、不死の霊薬「甘露」が天から降り注いだという伝説がありました。
そこから日本の仏教行事では、毎年4月に釈迦の誕生を祝って「花祭り・灌仏会」などと呼ばれるお祭りが行われ、唯我独尊の姿勢を取った仏像に甘茶を掛けて子供達の健康を願うようになったそうです。
「それでねおねぇちゃん、この前の実験の話なんだけど…。」
ベビーベッドに寝かし付けられた赤ちゃんを横目に、カノンはノートパソコンの画面を見せながらリズムとなにやら話し込んでいました。
「ふむ…、データは申し分ないけど、このペースで続けていくと論文制作までちょっと間に合わないかもしれないニョロねぇ。」
リズムは妹の見せた実験結果に満足しながらも、まるで先生のように苦言を呈します。
「おねぇちゃんって、もしかして私を助手としてコキ使う為に同じ大学を勧めたの…?」
そんなリズムの言いように、カノンは少し勘繰るように呟きました。
大学で研究室に入ったカノンは姉のリズムから引き継いだロボットの研究に追われ、
それはそれは忙しいてんてこ舞いな日々を送っていたのです。
毎日毎日、実験実験実験、データ取りデータ取りデータ取りデータ取り…。
そのようなルーチンワークを繰り返し、週に一度はこうして休学中の姉の元を訪れ、お決まりの報告会を行っているのでした。
「はぁー…、疲れた。」
リズムに別れを告げ、家に帰ったカノンは荷物を片付けると、膝を崩して自室のベットにもたれ掛かりました。
ベットの布団の上には何枚かの紙切れが散乱しており
カノンはその内の一枚を手に取って、そこに描かれた落書きに目をやります。
それは彼女が描いた姉リズムの花嫁姿でした。
リズムが結婚相手に選んだ男性は10才以上年上の大学の准教授。
はぐれ者扱いされる少し代わった気質の男でしたが、どうやら姉はその辺りが気に入ったようです。
実は言うとおねぇちゃんと旦那さんは、婚姻届けを役所に出しただけでまだ結婚式を挙げていませんでした。
理由は簡単、資金が無かったからです。
いつかお金が貯まった後でちゃんとした結婚式をしよう、おねぇちゃんはそのように夫と約束をしたそうです。
しかしその点で、カノンには一つ気になる事がありました。
「やっぱり、あんまり可愛くないよね…。」
紙に描かれた姉に向かって妹は呟きます。
リズムは和風の、神前式での結婚式を希望していたのですが、その為の花嫁衣装…いわゆる「白無垢」のデザインがカノンから見て、あまり素敵だと思えなかったのです。
スマホを使って白無垢について色々検索してみましたが、どれもいまいちピンと来ません…。
決して和服がダメという訳ではないのですが、女性の門出を祝うのにその衣装はなんとなく野暮ったくてスマートでないように彼女の眼には見えてしまうのでした。
「よーし!」
そう言ってカノンは何か思い立ったようにベットから起き上がると、椅子に座って机に向き直り、鉛筆と消しゴムを手に取ります。
次に大学の講義で使うルーズリーフを机の上に用意すると、なにやらカリカリと絵を描き始めました。
白い着物をベースに打掛と懐刀と角隠し…、それはカノンが自分で考えたオリジナルの白無垢でした。
けれど中々思った通りのデザインが描けません。
1枚描いて、2枚描いて、3枚4枚5枚。
何枚描いても理想のイメージに行き着けないのです。
悔しくなりながらも黙々とペンを動かし続けていくカノン。
するといつの間にか机の上には花嫁衣装の描かれた紙が何枚も敷かれ、その勢いは床にまで徐々に拡大して行きました。
そうこうしている内に彼女は昼間の疲れから睡魔に襲われて、段々ウトウトして来ます。
しばらくは眠気に耐えながら船を漕いでいましたが、とうとう目蓋の重さに負け、
カノンは机に突っ伏してしまいました。
(結局…私に何が出来るんだろう?)
彼女は己の意識が薄れていくのを感じながら、そんな疑問を朧気に胸にします。
そして周りに広がった何枚ものアイデアスケッチに埋もれるような形で、
カノンは昏々と深く眠り続けるのでした。
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