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1997年6月某日
水面が割れた
次の瞬間、ジーセの3#ロッドを通して、確かな生命がつたわってきた。
「でかいな」声に出していた。まさか、こんなつまらない川にいるサイズではなかった。人生ってやつには、時には思いがけないことが起きる。
ロッドは満月の様にしなって小刻みに震えている。リーダーは9フィート3#、ティペットは2#を50cm、フックは20#のテレストリアル、何時切れてもおかしくない。
私は少しずつラインを出していきながらゆっくりと右岸を上る、尺山女か40オーバーの岩魚か、なんとなく考えていた。川の流れをものともせず、上流へ上流へとあがる力は並大抵ではない。ラインを一瞬止め、ロッドを左へ倒す。岩魚は左岸よりの淵に向かう、なんとなく岩魚と決めつけていた。浅瀬を、足場を確かめながら左岸へと渡る。こんな浅いところでも流れがあるので、何時転ぶかわからない。しかし、ロゴーのシュ-ズはしっかりと岩を掴んでいた。さすが、純毛フェルトだ。何分たったのか、さすがにロッドを絞る力は弱まって来ていた。ゆっくりとリトリーブする。
キャッチ&リリース。
別にこだわっている訳ではないが、食べない魚はリリースすることにしている。47cmの岩魚だった。この位のサイズになると食べてもけっして旨くは無い。やはり、食べて美味しいのは尺前後だろう。
今日はここまで、5匹のキープがあるのでリリースしてあがる事にする。pm5:00。これから戻って焚き火をすればちょうどよい時間だ。奴も戻っているだろう。
一時期、イブニングライズに凝ったことがある。確かに魚は釣れるが、メシの時間が遅くなり過ぎるので今は、よほど釣れない時にしかやらない。薪を集めていると、奴が帰ってきた。
「どうだった」
私は顎をしゃくった。蓮はちらっと見ただけで勝手にうなずいている。
「おまえは、どうだったんだよ」
「相変わらずさ」
「まったく、たまには釣ってこいよな!このへたくそ」
「しょうがね-だろ、俺は餌釣りで、フライは専門外なんだ」
「だったら、次からは餌を絶対に忘れるな。今日はおまえがメシを作れ」
「はいはい」と言いながら蓮はまな板を出し始めた。
岩魚の刺身、から揚げ、ムニエル、塩焼き。そして、骨酒。これが俺達の夕食だった。
私は、その間に山ほどの薪を集めた。そして、それを組んでいく。薪の組み方ひとつで、火の持ちが変わってくるのを、長年の経験で知っていた。最近では、オートキャンパーと称する輩がかなりいて、焚き火ひとつで商売が出きる様だが、俺達にはまったくその気は無かった。好きな時に山に入り、釣りをする。そして、旨い酒を飲む。今はそれだけで良いと思っている、今だけは・・・。
「できたぞ!」蓮の声で炎から目を離す。こいつもそんなところだけは一緒のようだ。性格も、考え方も、違うのに妙に気が合うのはこんな些細なことからかもしれない。
ムニエルの良い匂いが漂ってきた。ビリ-カンの中の骨酒も良い色具合だ。黙ってマグカップで骨酒を掬う。目だけで二人乾杯をして勝手に飲み始める。
「うまいな」
「これを、飲むためだけに、生きてるって気がしてきた」
「おまえには、似合わないフレーズだな」
言いながら、私も同じような事を考えていた。
「しかし、おまえの料理も様になってきたな」
「何時も、何時も、たらふく食っていながら良く言うよ」
「一時期、おまえはゴマ油にこりすぎて、さすがの俺も閉口していたさ」
蓮は肩を竦めて、いっきに骨酒を飲み干した。
焚き火の中の薪が、音を立てて崩れ、しばらくすると、パチパチと独特の音を立て始めた。
不思議と焚き火は観ているだけで飽きない。いつも、炎の形を変え、まるで生き物の様に動いている。
私は、少し薪を足しながら、塩焼きの具合を見てみる。
腹の中に見える、丁度骨の部分にまだ、火が通っていない様だ。
刺身にも手を伸ばす。よく、川魚は、「生で食べるものではない」と言う奴がいるが、それは嘘だと思う。確かに、鮮度の落ちた物はだめだが、川の水をそのまま飲める様な綺麗な川から釣った鮮度のよい物であれば、まったく問題無い。事実、今までに、山に来て薬の世話になったのは、怪我をしたときだけだった。
ポケットから、マルボレソフトを出し、ポッジ-で火をつける。
「そのポッジ-も随分年季が入ったな」
「かれこれ、17年になるな」
「俺達も古くなってきているんだろうな」
私は、肩を竦めた。人間だけは、年季が入ってもただひたすら、年をとっただけ、という奴もいない事は無い。いろんな、経験をして寛容になれる人と、逆に自分が一番苦労した、又は、自分が一番すごい。などと考え、そして、そんな言動している人もよく見かける。自分だけは年季と呼べる、錆を出したいと思う。
「そう言えば、おまえは、どんな物でも年季が入る前に、無くすもんな」
「よけいな、お世話だ」
「お世話ついでに言ってやる。おまえは、拘りも、誇りも無くしている」
「おまえほどには持っていると思う」
「まったくだ」
自分では、特に拘っているつもりは無いが、確かに、俺達には『俺流』というのがある。
それは、当然、私と遼でもその流儀は違うのだ。
「寝るか」
「そうだな」
たいした話もせず、早々にシュラフに入り込む。
つづく
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