曲を作ろうとして鍵盤に手を置いた時、音がまだ生まれていないのに、なぜか風景だけが先に立ち上がる瞬間がある。何も弾いていないのに、そこには確かに気配があり、まだ形にならない音の影だけが漂っているように思える。私はこの影のような感覚が好きで、音を出す前にしばらくその揺らぎを眺めてしまうことがある。沈黙がわずかに震えて、これから生まれる旋律の輪郭をそっと教えてくれるような気がする。
沈黙はただの無音ではなく、音の種が眠っている場所だと感じている。焦って鍵盤を叩くよりも、その場所に少しだけ耳を澄ませてみると、旋律の行きたい方向が自然と決まっていくことがある。まるで音がこっそり地図を広げて、自分が進みたいルートを見せてくれているように感じるのだ。音を作るというより、沈黙から拾い上げる作業に近いと思う時もある。
メロディを考える時、最初に鳴らした音が突然強い存在感を放つことがある。その音がまるでここを中心にしてほしいと言わんばかりに主張してくるのだ。すると他の音がその周りに集まりだし、やがて線がつながり形が生まれていく。私はこの流れがとても好きで、気づけば自分もその動きに引き込まれている。音同士がひそかに会話しているように思える瞬間がある。
こうした瞬間に立ち会うと、私は作曲という行為が自分ひとりの作業ではないように思えてくる。沈黙が呼吸し、音が語りかけ、指先がそれにそっと触れる。まるで三者が同じ机の上で協力して、小さな物語を編んでいるような感覚だ。曲が完成に近づくほど、最初の沈黙の揺れがそのまま旋律の根っこになっていたことに気づく。あの揺らぎが作品の芯になっていたと思うと、少し不思議で、そして嬉しくなる。
完成した曲を聴き返す時、その中に沈黙の断片を見つけることがある。音と音の合間にわずかに残った気配が、作り始めた時の景色を呼び戻してくれる。まるで曲の奥にもう一つの物語が眠っているようで、その余白が作品をより深くしてくれる。私はこの余白が好きで、音の裏側に隠れた静けさに魅力を感じる。
沈黙は何も語らないように見えて、実は最も多くの可能性を抱えている場所だ。そこに触れられた時、私は音楽が始まる。今日もまた鍵盤に手を置き、沈黙が震える瞬間をそっと待っている。
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